もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

韓国の積弊清算の実態は

2018年08月21日 | 韓国

 韓国恒例の”積弊清算”は我々の想像を超える実態であることを伝える記事を読んだ。

 記事では、文政権発足後、各政府機関に「調査委員会」又は「タスクフォース」と呼ばれる作業チームが”進駐”して前政権の瑕疵を探す方法が採られており、文化大革命時に「革命委員会」が進駐して反革命行動や反革命分子の摘発を行った中国共産党の手法と同様(模倣)と記事は伝えている。特に、国家機密を扱う外務省や国家情報院までにも、市民活動家が乗り込んでメインサーバーまで調査する程の徹底ぶりであるらしい。このことが事実であれば、友邦国の機密、外交交渉の過程、情報活動の全てが白日の下に曝され、多くの情報が彼等の宗主国である北朝鮮・中国に渡るものと思われる。最も峻烈を極めているのが文化人のブラックリスト問題、戒厳令準備問題、国定教科書問題であるらしく、国定教科書に関しては執筆者の身上・思想にまで調査が及んでいるそうである。韓国では日本以上に政党が乱立・離合集散を繰り返しており、2大政党による政権交代とは呼べないものの親米・親北政権が交互に現出している。2大政党による政権交代では前政権での行き過ぎた政策に修正が加えられるものの国の方針に大きな変化はないために、国としては緩やかな変革と健全な歩み・進化を遂げるものと期待される。しかしながら、前政権を全否定して180度施政方針が変化する振幅を5年ごとに繰り返えす韓国では、国の進路は定まらず、良好な国際関係をも維持できないのではと思うのだが。

 日本もかって民主党が政権を担当した空白の3年間を経験した。そういえば、民主党政権発足時には”積弊清算(55年体制破壊)”や”革命委員会”的な事業仕分けが行われたが、その際にも韓国のように国家機密にまで触れようとしなかった良識は評価すべきであろうと考えるものである。


オール沖縄の後継者選びに思う

2018年08月20日 | 野党

 翁長沖縄県知事の死去に伴う県知事選での、オール沖縄の後継者選びが本格化している。

 昨日の報道では、病床にあった翁長氏が2名の後継者を指名する音声データが存在しており、オール沖縄にあっても立候補を模索していたものの指名されなかった現副知事が「遺言として尊重する」として選挙戦不出馬を早々と表明した。音声データを聴いたのは県議会議長だけとも報じられているが、死の床にある殿様の口元に家老が耳を寄せて「お世継ぎは誰々」と宣言する時代劇の一場面に似ている。また、翁長氏の姿からは、政権の保護と永続を家康に懇願した豊臣秀吉の妄執をも感じさせる。下野を余儀なくされた田中角栄氏が、院政を敷いて以後の総理大臣交代に力を発揮したことは良く知られており、政治家の衣鉢を継ぐとして肉親が地盤と看板を受け継ぐことも多いが、個人の政治理念と活動の行く末を他人に・公に託したのは、翁長氏を嚆矢とするのではないだろうかと思う。道半ばにして人生を終えなければならない翁長氏の無念は計り知れないと思うものであるが、混乱が予想される後継者選びを遺言と称して決着を図る指導部と遺言を安易に受け入れるオール沖縄の体質に不安を感じざるを得ない。もし仮に翁長氏が指名した候補者が県政を担当するとしても、それはあくまで翁長流の行政で翁長氏の行政ではないために、微妙に変質したり変化するものと思う。そうならないためには、後継者は翁長氏の思考と業績を受け継ぐとしつつも、自己の政治理念を自分の言葉で語れる人であることが有権者に対する誠意であると思うのだが。

 前にも書いたことであるが、公党(オール沖縄も公党に準じると思う)の党首の一言が満場一致で受け入れられる姿は全体主義・独裁主義の典型であると思うので、今回の翁長氏の一言ですべてを解決しようとするオール沖縄の姿は、全てが首領様や将軍様の一言で決定される”どこぞの国”を彷彿させるもので、言い知れぬ違和感と危機感を感じるものである。


アフガニスタン内戦の再燃に思う

2018年08月19日 | アメリカ

 内戦が続くアフガニスタンで、タリバンの大規模再攻勢が報道された。

 同内戦では断続的に内戦終結の和平交渉が行われてきたが、タリバンが現在のアフガニスタン政府を認めないと主張するために2015年以降中断されていた。しかしながら、これまでタリバンとの直接対話を拒否してきたアメリカが方針転換して、7月下旬に国務次官補がタリバン代表と会談したことから和平交渉の進展が期待されると観測されていた矢先の出来事である。攻撃は和平交渉を有利にするための支配地域拡大の意味があるとも見られているが、本当のところは分からないのが実情であると思う。この際にと思ってアフガニスタンの内戦の歴史を改めて調べてみたが、内戦の萌芽は既に1964年のアフガニスタン人民民主党(共産主義政党)誕生に見られるように思う。以後、同党主導の反政府運動が活発化して1973年のクーデターによって立憲君主制崩壊・共和制誕生で第1幕が終わった。しかしながら、共産主義政権も国内の民族対立とイスラム原理主義者の台頭に有効な解決策を見出せずに、1979年にはソ連の軍事介入を要請し、第2幕とも云える12年間に及ぶ泥沼のアフガン戦争に発展した。第3幕はソ連の崩壊によってソ連軍が撤退した後、パキスタンと中東諸国が支援するタリバン勢力が無法状態の治安を回復したために国民から一応の評価を得たが、極端なイスラム原理主義支配と9.11テロを始めとする国際テロはアメリカ主体の西欧有志国連合との戦闘に発展した。現在は第4幕とも呼ぶべき内戦終結への努力時期ともとれるが、半世紀以上も混乱したアフガニスタンでの内戦が収束して平和が訪れるとは到底思えない。

 国外に逃れた難民は600万人以上とも云われ、内戦における死者は統計すら見当たらない状態であるアフガニスタン。全世界のアヘンの6割を生産しアヘンの関連の収入がDGPの3割に達する最貧国アフガン。我々から見ると「内戦などしている場合ではないだろうに」と思うのだが、狂信者は別のアフガンの明日を見つめているのであろう。


剣道段位授与に学ぶ

2018年08月18日 | 社会・政治問題

 剣道連盟傘下の居合道部門で、高段位の授与に金品の授受が介在することが話題になっている。

 柔剣道の高段者は、実力によるものでは無く、名誉職・論功行賞・家元制度のようなものと思っていたので、審査に関して金品の授受があっても然程驚かなかったが、なぜその授受が違法であるのかと考えてみた。先に不祥事が発覚した日本ボクシング連盟を含めて、多くの連盟・協会は財団法人や社団法人化されており、財団・社団法人とは、事業内容が極めて公益性の高いもので、かつ国の厳重な審査を経た極めて信頼できる団体と思っていた。しかしながら、財団法人や社団法人は、300万円程度(自分には十分高額であるが)の資金と十数名分の名簿があれば誰でもが設立できるものであることが判った。ちなみに、師範等の免状を得るためには高額な上納金が常識である華道や茶道についても各家元の多くが社団法人を名乗っている。剣道連盟の例に戻ると、本来実力に依らない高段位の選考における金品の授受がなぜ問題なのかは誰も教えてくれないが、連盟が日本オリンピック委員会や日本スポーツ協会に所属しているために、幾ばくかの公金が渡っているのが原因なのかな?と推測する。幕藩体制末期にあっては名誉の売買は公然と行われ、御用金の多寡によって苗字帯刀の栄誉を得たり、勝海舟の父のように御家人株を買いさらに貧乏旗本の養子となって直参の位まで手に入れた例もある。しかしながら、公正な競争が原則である近代社会において、名誉や地位を購うことは厳に戒められるべきであろうし腐敗の温床となることは明らかであるとともに、国の中央までがその風潮に染まった時には国を危うくすることすら考えられる。現在進行中の文科省の不祥事にも何やら同種の臭いを感じるところであるが。

 科挙の合否や官職を売買することで亡国の道を歩んだ中国歴代王朝を反面教師として、一部の特権階級を使嗾して国家を債務漬けにした挙句に自家薬籠中のものにする、習近平体制の一路一帯戦略の根幹は腐敗の輸出である。上を目指す者、上に立つ者は金銭に負けない矜持を持って欲しいと願うものである。


東京裁判とオランダ人判事の先見性

2018年08月17日 | 歴史

 極東国際軍事裁判(東京裁判)で、戦犯の一部無罪を主張したオランダ人判事が存在していたことを初めて知った。

 同裁判では、インド人のパール判事がA級戦犯全員の無罪を主張したことは知っていたが、オランダ人のレーリンク判事も広田弘毅元首相や東郷重徳元外相ら5人の無罪を主張していたことを初めて知った。パール判事の主張は「平和(侵略)に対する罪」という国際的にも存在しなかった概念を以って遡及的に過去の行動を罪に問うことの不条理から、裁判自体が無効であるとの法的論拠によるものと理解している。パール判事の出自から推し量るならば、宣戦布告の無い植民地支配(侵略)を行った欧米戦勝国が侵略に対する罪名で日本を裁く茶番を非としたものとも考えられる。レーリンク判事は、平和に対する概念は認め、軍人の非人道行為は非とするものの、文官に対して死刑判決は適用すべきではなく、広田氏や東郷氏については無罪と主張したと記事は伝えている。来日前は”日本は峻烈に裁くべき”とする一般的なオランダ人と同様な考えを持っていたようであるが、日本と日本人の実情を知り、特に広島の惨状を目にした以降は大きな心境の変化があったようで、以後の主張に辿り着いたものと考えられている。このことには原爆投下を指示して数十万人の非戦闘員を殺害したアメリカ大統領が何ら糾弾されることのない不条理を考えたためかもしれない。レーリンク判事は戦犯の一部無罪を主張したことにより、帰国後にはオランダ人から人知れぬ迫害と冷遇を受けたようであるが、主張に対する信念と日本人に対する尊厳の念を終生持ち続けたそうである。

 判決後、レーリンク判事は「今は人々が感情的になっているが、やがて冷静に返ったら、より正しく判断するだろう」、パール判事は「時が熱狂と偏見とを和らげた暁には、過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するだろう」と各々述べている。自虐史観の原点とされる東京裁判から70年、我々は冷静になるどころか敗戦後の精神的な狂乱状態から抜け出せずにいるのか、はたまた日本人として立ち返るべき原点を見失ったのか、いずれにしても東京裁判を見直せずにいることは、日本の不幸と思うのだが。