翁長沖縄県知事の死去に伴う県知事選での、オール沖縄の後継者選びが本格化している。
昨日の報道では、病床にあった翁長氏が2名の後継者を指名する音声データが存在しており、オール沖縄にあっても立候補を模索していたものの指名されなかった現副知事が「遺言として尊重する」として選挙戦不出馬を早々と表明した。音声データを聴いたのは県議会議長だけとも報じられているが、死の床にある殿様の口元に家老が耳を寄せて「お世継ぎは誰々」と宣言する時代劇の一場面に似ている。また、翁長氏の姿からは、政権の保護と永続を家康に懇願した豊臣秀吉の妄執をも感じさせる。下野を余儀なくされた田中角栄氏が、院政を敷いて以後の総理大臣交代に力を発揮したことは良く知られており、政治家の衣鉢を継ぐとして肉親が地盤と看板を受け継ぐことも多いが、個人の政治理念と活動の行く末を他人に・公に託したのは、翁長氏を嚆矢とするのではないだろうかと思う。道半ばにして人生を終えなければならない翁長氏の無念は計り知れないと思うものであるが、混乱が予想される後継者選びを遺言と称して決着を図る指導部と遺言を安易に受け入れるオール沖縄の体質に不安を感じざるを得ない。もし仮に翁長氏が指名した候補者が県政を担当するとしても、それはあくまで翁長流の行政で翁長氏の行政ではないために、微妙に変質したり変化するものと思う。そうならないためには、後継者は翁長氏の思考と業績を受け継ぐとしつつも、自己の政治理念を自分の言葉で語れる人であることが有権者に対する誠意であると思うのだが。
前にも書いたことであるが、公党(オール沖縄も公党に準じると思う)の党首の一言が満場一致で受け入れられる姿は全体主義・独裁主義の典型であると思うので、今回の翁長氏の一言ですべてを解決しようとするオール沖縄の姿は、全てが首領様や将軍様の一言で決定される”どこぞの国”を彷彿させるもので、言い知れぬ違和感と危機感を感じるものである。