「ゾコーバ」の承認却下には異見があることが報じられた。
報道によると、日本感染症学会と日本化学療法学会が塩野義製薬の新型コロナウイルス感染症経口薬「ゾコーバ」の緊急承認と緊急承認の審議方法の見直しを求める意見書を、厚労相に提出したとされているが、意見書では、軽症患者の飲み薬が未だ開発(承認)されていないことが、現在の病床・医療逼迫の一因と手厳しい内容であるらしい。。
「ゾコーバ」の承認が見送られた薬事審議会では、有効性に関して激論があったものの賛否の採決を行うことも無く「なしくずし的」に継続審議となって閉会したと報じられていたので、本ブログでも緊急承認という制度下でも過度にゼロリスクを追及する薬事行政の体質が作用したのではとするとともに、何やら利権争いと功名争いの匂いが捨てきれないと書いたことを思い出した。
思えば、ワクチンの緊急承認では国内の治験が無いままに緊急承認に踏み切ったが、これは日本基準の「ゼロリスク」よりも世界基準である「薬剤(ワクチン)で救える命と失う命の天秤」判断を優先したものと高く評価したが、因果関係は不明ながらもワクチン接種後に急死した事例が起きたことから薬事審議会は従来のゼロリスク基準に先祖返りしたものかもしれない。
薬事審議委員と学会の関係は門外漢には知りようもないが、おそらく学会に籍を置く審議委員も多いのではと思っているので両者の見解が分かれることを不審に思う。
ここから先は、学術的知識の無い人間の勝手な意見であるが、両者の見解・結論が分かれた最大の原因は「年齢」によるものではないだろうか。学会の中枢は未だに研究・医療の現場に身を置く少壮者であるに対して、政府委員としての審議委員は既に現場を離れて過去の実績と評価のみ大事に考える高齢者であるのではないだろうか。こう考えれば、審議結果は国民の利益よりも保身・死後の評価を保つことが優先されるのは避けられないように思える。
加齢が意欲・能力を奪うのは避けられないことは事実で、ノーベル賞の高齢受賞者を見ても受賞対象成果は40代前後に挙げたものが多く、高齢で枯れた才能に悲観して自殺した芸術家・文筆家も多い。浅薄な知識を掘り起こしても、高齢にも拘わらず実績を挙げた人は、驚くべき精度で日本全図を完成するとともに地球の大きさを立証研究した伊能忠敬くらいしか思い出せない。
未曽有鵜の国難や厄災に際しては、発想の転換や行動力こそが必要で老齢者の繰り言には重きを置くべきでないように思えるので、「ゾコーバ」についても薬事審議委員を少壮者に交替させて再審議するならば、別の結論に達するのではないだろうかと思う。ただし、いずれの意見が正しかったのかは歴史の判断に俟つほかない点が悩ましいところであるが。