glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

笑える幸せ!

2008-08-01 18:16:32 | 家族・友人・私
 28日午後成田着。
 リムジンバスに乗って気が付くと目の前にニュースが流れています。殺人、鉄砲水による死亡、火事など。日本社会の暗さに愕然となりました。

 一人旅では危険も、冒険もほとんどなく無事こなしていた私ですが、姉、友人と3人旅で気が緩んでいたのでしょうか、アムステルダムにつくなり試練が待ち構えていました。それは次々と続き、でも私達はそれを笑いで吹き飛ばしていました。私たちの旅はまるで冒険冒険の連続でしたがとても楽しく、日本の社会がこんな悲惨な出来事にあふれていることをすっかり忘れていました。

 エスペラント市:Herzbergでの一夜を私は息子の所に行くと決めていました。娘の成長を見せたいと思う息子の願いに逆らえなかったのです。現地で二人も同行したいと言い出しました。私はインターネットで切符を買ってもらい持っていましたが、ふたりは持っていません。Herzberg駅は無人駅になっていて切符はインフォメーションでしか買えません。に元世界大会を組織していたジャン・カルロがエスペラントセンターの図書整理にボランティアで来ており、彼がドイツ語の話せない私たちの切符を買うのを手伝ってくれました。もう80歳近いのです。しかし、私たちが駅や電車を間違えないようにHerzberg の隣のホームだけの駅:Herzberg Schloß まで同行くれました。エスペラント界では名の知られた人ですが 人のために働くことを楽しんでいました。

 私達の笑いのもとは私の孫娘のくだらないとも思える一言でした。
 彼女は私たちが訪れた前日に2歳2カ月になっていました。排泄練習の真っ最中だったのです。
 朝、彼女はトイレに行くと要求、所が連れていった父親を浴室から締め出し一人で排泄しました。
 <パパ、×××!>という声に父親がすっ飛んでゆきました。<ママ、×××!>と言われ今度は母親がすっ飛んでゆきました。嬉しそうな笑いの後に<オンマ、オンマ×××!>という声がしました。同時に息子が<お母さん、見て見てと言っているよ!>と大声を出しました。
 行ってみるとスポンポンの裸の彼女が自分で便器を覗くようにして私に自分の排せつ物を示し、見ろと勧めました。<わあ、すごい!ひとりでできたの?えらい、えらい!>というと彼女は、自分が認められたことが嬉しくてで踊り出しました。それはまるで妖精のようでした。

 その話を聞いた姉が、トイレ使用を<見て見て!>と言いだし、私たち二人が同じくその言葉を使い、それからの10日間、私たちは事あるごとに笑っていましたし、その笑いは3人部屋の緊張を和らげました。こんなくだらないことで笑える不思議さ。ほとんど意味もないことで笑うなど何年ぶりだったでしょうか?子ども時代に返ったような日々でした。

 帰国後、旅行中に発売されたお話『ハリー・ポッター』が待っていました。これを読み切らず何ができましょう!つい先ほど読み終えました。
 日本のある有名なエスぺランティストが空想物語はばかげていて面白くないと言いました。空想だからこそ面白い!と、私は思います!
 
コメント (14)
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