glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

2008:夏2・オランダは入国拒否

2008-08-29 09:09:25 | エスペラント
 予定時刻、朝7時アムステルダム到着。入国監理官にパスポートを見せ入国。いよいよスタートラインについたと思ったとたんに、別の管理官に呼び止められて逆戻りさせられる。

 どこへ行く、ホテルの名は・・・そこでハタと困った。というのもなぜか成田で、リュックに入れていた行動予定表を旅行鞄に入れてしまったのです。早朝のことUEAに人がいるはずもない。どうやってここを抜け出すか必死で考える。友人の持っていた日付だけはエスペラント書きの日本語に訳した行動予定表を見せても数人で相談して手元に返されるだけ。

 気がつくと私たちの後ろに数十人の中国人らしき人たちが待機させられていました。姉の飛行機は7時10分についているはずです。鞄受け渡し所には人影もなく、迷子になると焦るばかりでした。なにしろ私は英語は単語ぐらいしか思い出せません。それにしても彼らはエスペラントという単語も、大会がロッテルダムだあることも知らないのです。
 "UEAよ、地元でしょう!それくらいの宣伝しておいてほしい!" ぶつぶつ言ってもだれにも通じません。

 ベルリン在住の息子は休暇でスイスに行っているので連絡不能。でも、会社に電話してもらえば同名の日本人がいて休暇中であることを証明してもらえるかもしれない。

 ノートに記した息子の住所・氏名と会社の電話番号を係員の一人に見せました。彼女はその会社名を知っていて他の人達に見せ、すぐ通過を許されました。

 なぜ、これだけ多くの人間が留め置かれたのか理由は全くわかりませんでした。
もう、姉の姿は見えません。二人でHerzbergに行く覚悟をきめ切符売場を探し当てました。うれしいことに私たちを探しあぐねて一人でHerzbergに行く決心をした姉とばったり出会ったのです。国外への切符はアムステルダム中央駅でないと買えないというので中央駅に向かいました。

 ですが、私たちの可笑しく困難な旅はまだ続くのです。

 教訓:海外では自分の身元を保証する書類や行動予定表は必ず手元に置くこと。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする