glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

ワルシャワ:ポーランド語は難しい

2009-08-10 09:40:45 | エスペラント
 4時頃だったでしょうか、ワジェンキ公園へトラムで出発。

 朝、アパートの管理事務所でトラムの番号や停留所について、またワルシャワゲットーの地理的範囲等も情報を得ていました。その事務所いた若者二人は私たちのしつこい質問に対しても丁寧に答えてくれましたので、それほど不安も無く地図を方手に出発しました。といっても私は地図が苦手、方向感覚も良くありません。進む先を決める役は方向感覚に優れた姉の役目でした。

 ですが、ポーランド語は難しいですね。文字列が長いからと言って読みが長いわけではないのです。子音数個で一音もあるらしく発音の検討もつきません。友人に聞いたら,例えば'ch’がフ、ところが'f'もフと言うのです。そこで停留所の名前は読まず、Z で始まる長い綴りとか、短い綴りと言うように頭文字と綴りの長さで判断した次第です。

 ワルシャワ大会の際、大会で初めて会ったポーランド人でハンガリーに住むアリーナがこの公園に連れてきてくれました。もちろん歩いて。
 その時は植物園の中を抜けてこの公園に入ったのです。丁度お昼時、水上宮殿の入館受付が10数人並んだ見学者の列を無視して扉を閉じようとしていました。アリーナが日本の客に見せてやれないか、彼女はここを訪れるチャンスは無いと交渉するとみんなが、この人を入れてやれと騒ぎ出し、等々受付が譲歩して靴の上にはくスリッパを出してくれたのです。そして並んでいた人たちもぞろぞろと私の後に続いて入館したのでした。
 ポーランド人はなんと面白い人種だろうと感じました。

 アリーナとは一昨年、パソコンが故障してメールアドレスを失くして以来連絡が途絶えています。社会主義崩壊後、他国で随分と苦労しました。それでもポーランドに帰りたくないと、市場で花など売って生活を支え、友人たちの援助で農園を手に入れ苦しい時期を乗り切りました。子どもは3人いましたが上の二人はポーランド政府の奨学金を獲得しポーランドで大学教育を受けたということでした。
 ポーランド人とはどんな状況でも生き抜く民族と感じたものです。
 
 ショパン像:周りには花々が咲き、ベンチには人々が憩っていました
 
夕暮れの水上宮殿の前庭。写真べたの私には宮殿のような大きなものは撮れない!

宮殿の前庭にはクジャクが多くいて観光客がカメラを向けると自分の容姿を誇らしげに見せびらかしていました。

 帰りのトラムでふと見るとなんと停留所の名にESPERANTOを見つけました。明日はこのトラムで出発です。



『 お勧めの飲み物 → ピーチアイスティー 』

 昼食の時あまりの暑さにアイスティーを頼みました。『アップルティーとピーチティーが有ります。』物珍しさにピーチティーを頼みました。
 さわやかで、そのうえたっぷりの量。のどの渇きをいやしてくれました。

 私の推量ですが:
 濃いアイスティーに少なくとも同量の桃のジュースを加えたらこの味になると思います。甘味もほのかで自然な味。お試しください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする