ワルシャワの後、私たちはポーランドエス会会長 Halina Komar の主催する1週間のAntauxkongreso el Revojに 参加しました。その遠足にローマン・ドブルジェンスキーがおりました。かれはローマン、ローマンと参加者に呼ばれ、親しまれていました。
Antauxkongresoについての私の感想や批判は後で書く事にしてローマンとの時折の会話の中で私が感じた事考えた事などそ少し報告したいと思います。

LA ZAMENHOF-STRATO について
ある時、『危険な言語』の著者リンスがローマンに言いました。ザレスキー・ザメンホフの経験を何とかして書き残せないかと。そこで彼は努力しようとリンスに約束しました。
ローマンは機会あるごとにザレスキー・ザメンホフに過去を話させようとしました。しかし彼はすべてを忘れていました。過去の苦しい体験を忘れることで生きてきた彼には過去の事は心理的に思い出したくない出来ごとでした。
彼が自分の過去を語り始めるまで5年の月日が必要だったそうです。一つの思い出を手掛かりにまた一つ思い出すと言うようで、錯覚している事もあるだろうと言うことでした。
なぜこんな話をするのかなとふと思いました。そして思い出したのは『 La familio Zamenhof 』の著者 Zofia Banet-Fomalowa が雑誌に書いた記事です。ローマン著書 LA ZAMENHOF-STRATO には間違いがある。私がその事を指摘したにもかかわらず彼は答えないと言う事が書かれていました。
私は彼女の La familio Zamenhof は読んでいないのでどこが違っているかわかりません。
熊本で開かれた日本大会に彼女が来てこの本の宣伝をしました。私も買おうと思ってその講演を聞きました。彼女は大げさな身振りで自分がどれほど大きな努力をし、調査し、この本をかきあげたかまるで自己陶酔しているかのように語っていました。それを聞きながら私の本を読みたいという気力はすっかり失せていました。
本を読んで、よくここまで調べ上げたなあと感動する方が、著者の努力を押しつけられるより私は好きです。
ローマンはこのような非難の存在を意識していたのかもしれません。
例え事実といくらか違う部分が有ったとしても、私は LA ZAMENHOF-STRATO は狂気の時代を生き抜いた一人の若者の記憶として大切だと思っています。

ザメンホフの墓参り
私たちがザメンホフの墓に言った事を聞いたローマンが言いました。『実は金曜日に日本人がワルシャに着くけれど、金曜日はユダヤ教の安息日なので、墓地には入れい!』と。
そして数年前やはり安息日にやってきた日本人がいたそうです。その人はどうしてもザメンホフの墓が見たいと壁を乗り越えて侵入したそうです。
いくらなんでもあんな高い壁を乗り越えて?と言うとそれでも乗り越えたよと笑っていました。
その人は自分の宗教の墓地を神聖な場所と考えないのでしょうか。そこに他宗教の人が忍び込んだ時腹を立てたりしないのでしょうか。
私は宗教人ではありません。が、意図が何であれ同じ日本人として恥ずかしい気持ちになっていました。
ローマンは私の気持ちを察したかのように『でも、もうそれはできないよ。テロを警戒してガードマンを置いているから・・・。』と言いました。
私は2度もザメンホフの墓を訪れるとは思ってもいませんでした。他の人たちにも予期せぬ機会が訪れる可能性は大いにあるのです。
Antauxkongresoについての私の感想や批判は後で書く事にしてローマンとの時折の会話の中で私が感じた事考えた事などそ少し報告したいと思います。



LA ZAMENHOF-STRATO について
ある時、『危険な言語』の著者リンスがローマンに言いました。ザレスキー・ザメンホフの経験を何とかして書き残せないかと。そこで彼は努力しようとリンスに約束しました。
ローマンは機会あるごとにザレスキー・ザメンホフに過去を話させようとしました。しかし彼はすべてを忘れていました。過去の苦しい体験を忘れることで生きてきた彼には過去の事は心理的に思い出したくない出来ごとでした。
彼が自分の過去を語り始めるまで5年の月日が必要だったそうです。一つの思い出を手掛かりにまた一つ思い出すと言うようで、錯覚している事もあるだろうと言うことでした。
なぜこんな話をするのかなとふと思いました。そして思い出したのは『 La familio Zamenhof 』の著者 Zofia Banet-Fomalowa が雑誌に書いた記事です。ローマン著書 LA ZAMENHOF-STRATO には間違いがある。私がその事を指摘したにもかかわらず彼は答えないと言う事が書かれていました。
私は彼女の La familio Zamenhof は読んでいないのでどこが違っているかわかりません。
熊本で開かれた日本大会に彼女が来てこの本の宣伝をしました。私も買おうと思ってその講演を聞きました。彼女は大げさな身振りで自分がどれほど大きな努力をし、調査し、この本をかきあげたかまるで自己陶酔しているかのように語っていました。それを聞きながら私の本を読みたいという気力はすっかり失せていました。
本を読んで、よくここまで調べ上げたなあと感動する方が、著者の努力を押しつけられるより私は好きです。
ローマンはこのような非難の存在を意識していたのかもしれません。
例え事実といくらか違う部分が有ったとしても、私は LA ZAMENHOF-STRATO は狂気の時代を生き抜いた一人の若者の記憶として大切だと思っています。



ザメンホフの墓参り
私たちがザメンホフの墓に言った事を聞いたローマンが言いました。『実は金曜日に日本人がワルシャに着くけれど、金曜日はユダヤ教の安息日なので、墓地には入れい!』と。
そして数年前やはり安息日にやってきた日本人がいたそうです。その人はどうしてもザメンホフの墓が見たいと壁を乗り越えて侵入したそうです。
いくらなんでもあんな高い壁を乗り越えて?と言うとそれでも乗り越えたよと笑っていました。
その人は自分の宗教の墓地を神聖な場所と考えないのでしょうか。そこに他宗教の人が忍び込んだ時腹を立てたりしないのでしょうか。
私は宗教人ではありません。が、意図が何であれ同じ日本人として恥ずかしい気持ちになっていました。
ローマンは私の気持ちを察したかのように『でも、もうそれはできないよ。テロを警戒してガードマンを置いているから・・・。』と言いました。
私は2度もザメンホフの墓を訪れるとは思ってもいませんでした。他の人たちにも予期せぬ機会が訪れる可能性は大いにあるのです。