glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

ワルシャワ:エスペラントゆかりの地へ Ⅰ

2009-08-12 10:01:09 | Weblog
'09-7-17
朝から暑くなりそうな気配を感じ、早めにアパートを出ました。トラム180番、停留所 ESPERANTO で下車し、人のない通りを散策しました。全く変わり映えなのしない団地の中の道です。
 ザメンホフ通りも同じような感じです。22年前ワルシャワ市内のバス遠足に参加したのですが、細切れの記憶しかありません。

 ナチスがユダヤ人地区をどれほど徹底的に破壊したかの写真が Marjorie Boulton の著:ZAMENHOFの p.136~137 の間の写真集に載っています。


通りを示す写真は私たちが歩いた事の単なる証明写真です。特に下の写真は光線の関係でどうしてもうまくゆきませんでした。行きどまりは学校のような大きな建物でした。



 ユダヤ人墓地に入るとザメンホフの墓はすぐにわかりました。ただ、妻クララの墓は黒く汚れていて一瞬どこかと迷いました。
 22年前花束をささげた亡くなった友人の事を思い出しました。私は花はささげません。自分の花が枯れた様子を想像したくないのです。取り替えに来れないのですから。
 ビヤリストックの大会でクララの父アレクサンドロ・ジーベルニックの墓が壊れそうなのでと修復のための寄付を求められました。彼の墓もこの墓地にあるそうです。


 
 福祉に携わる多くの人が子どもたちと死に赴いたヤニュシュ・コルチャックの事を知っていると思います。ザメンホフ夫妻の墓以上にこの像に心を打たれます。
 彼はザメンホフのどの弟かと親交が有りザメンホフ家に出入りしていたと聞いたか読んだかした記憶が有るのですが、定かではありません。もしかしたら22年前にここで聞いたのかもしれません。
 どなたか事実を知っていたら教えてください。

コメント
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