glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

読書と会話

2012-11-09 10:01:08 | エスペラント
 Mortosonorilo de Chamblay を読み終えました。読んだ日も読まない日もあったのですが本文217ページを3週間以上かかってしまいました。(10/12~11/5)著者はエスぺランティストが毎日本を30ページ読むと発行回数が増えエスペラント界も活性化すると書いていましたが、それには及びませんでした。

 内容は子どもの頃読んだ少年少女の読み物、講談社や岩波から出された本:例えば、三銃士、怪盗ルパン、鉄仮面、アンバンホーとか軽い読み物を想像していただけたらと思います。つまり娯楽本ですから、難しくはなっかたです。ただ、お城とか教会とかの建築や構造に詳しくはないので背景(設定された場所の構造)がわかりにくい所もありました。
 初めは音読でしたのですが、後半会話が多くなってくると音読では疲れてしまい黙読になってしまいました。

 会話は場面は結構弾むように進みます。それには前の人の話を受けて疑問詞が無かったり、主語が無かったりという事がお起こります。これに耳ではなく本で言葉を覚えた日本人の中には違和感を持つ人もいるかもしれません。以前私も大会で、友人たちとおしゃべりした勢いで活動家である知人に疑問詞なして話しかけたら、私はそういうエスペラントは知りませんと返答されました。でも、単語とイントネーションだけで通じる会話もあるのです。これをエスペラントの言語の乱れという人もいます。しかし・・・などと物語とはちがうことを考えたりの読書でした。
 
 『タンタンのぼうけん』をご存じでしょうが、これをフランスでは会話の教科書として使っています。コペンハーゲンの大会ででフランスで教えている方にこれを使って会話をさせるための指導書 : La birdostrioj kiel lernolibroj という本をもらい、タンタンシリーズの一つ『 Tincxjo en Tibeto』を買いました。
 その本を見た知人の一人がこの本の文はでたらめが多いと批判しました。いわゆる裃を付けたようなきちんとした構文とそれを時には変形させてしまう会話とどう調整させるか私たち日本人が外国のエスペランティストと話したり議論したりするときに問題になってくるように思います。そのエスペラントは間違っていると訂正し続けたら普段の会話も成り立ちませんし・・・。
コメント (3)
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