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生きること:過去と未来とエスペラントと

柔道がしたかったな!

2021-07-29 08:33:10 | rememoro: 思い出
 昨日ニュースで新井選手がメダルを取ったと報じていました。

 女性の柔道はいつごろから、どの土地で始まったのでしょう。

 中学校入学式の翌日だったと思うけれで、クラブ活動参加のクラブを決めなくてはならなかった。農村地帯で女子のほとんどが家庭部に、男子のほとんどが農業部に参加する。文化的なクラブと言えば文芸部と演劇部だけだったように思う。体育系でも女子の参加できるクラブに何があったか思い出せません。男子用クラブで思い出せるのは野球部と柔道部です。

 小学校6年間、他所から引越してきたよそ者としていろいろないじめにあっていました。父が教師をしていたので、目には目を、歯には歯を敵反撃はしてはいけないというのが我が家な鉄則でした。逃げるが勝ち!意地悪に反撃することは自分を貶めることと教えられていました。それは今でも身についていて、意地悪なことを言う人や人を差別することを言う人を見ると、できるだけ避けるというのが習性になっています。

 村には小学校が3校あり、中学校は1校。新入生の3分の2近い生徒は初めて出会うことになる。入学式後のホームルームの司会者を教師に指名されたのでした。ホームルーム終了後、他校から来たクラスメートが太い薪を持って現れ、お前は生意気だと殴りかかってきた。かろうじて逃げたけれど腰のあたりを数回殴られたのでした。本当に悔しかった。

 家には兄が4人もいる、からかわれたり、遊ばれたりするととびかかる。それに、2番目の兄は痛くないように投げ飛ばしながら私や弟と遊んでくれました。そんなわけで私は結構敏捷で鍛えられている。本気で反撃したらたとえ薪を持っているとしてもあんな男の子のひとり投げ飛ばす自信はあった。本当に悔しかった。家に帰って母に聞いた、柔道を女の子がやってもいいのかと。母は師範学校で柔道の型は習ったが、実技はしたことがないといいながら自分が習った型を見せてくれたました。

 クラブ見学の日、私は柔道部に行きました。顧問の先生は2段の有段者。型は教えられるけれど、男子と組ませるわけにはゆかないと。柔道をやることで私をいじめっ子に負けない体力を私が持っていることを示したかったのですが敢え無くとん挫したのでした。69年前の4月の話です。
 もし、あたしが柔道を習うことができたら、私の人生は変わっていたかも!
 
とにもかくにも、新井選手、金メダルおめでとございます。

 
コメント (2)
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