Tは虫が好きで、道を歩く時は垣根の葉っぱや草の陰の観察を怠らない。図鑑では魚も好きである。特に深海魚が好きで、ばあちゃん、深海魚がいるところしってる?などと言いながら壁に貼ってある地図の日本海溝などをさして深海魚の生息地を教えてくれる多分。
いま一年生である。3月にラオスから帰国した時は日本語を忘れていて、日本語の質問には返事をしなかった。学校で、国語は特別授業を受けることになったがその成果もあるようで、少し奇妙だけれど日本語をしゃべるにようなった。
いや、しゃべるようになったと言うよりもおしゃべりしすぎる状態になってしまった。こちらの話は聞かず、自分の見た物のこと、感じたことをしゃべり続ける。でも、しゃべれないよりも良いかもとしゃべらせているのだけれど!
日本語で可笑しなことと言えば’いる’と’ある’の区別がつかない。エスペラントでもいるとあるは同じ単語を使うから、そのうち気が付くかもしれないが、今はしゃべらせることの方が大切だろうと思う。ただ、これは家族内の話で、外では周囲の方々に迷惑をかけていることもあるでしょう。
さて、丹沢で車酔いで疲れて寝込んでいたが、目覚めるとパタパタと大きなスリッパを鳴らしながら2階の部屋から階下に下りてきました。手には小さな虫かごが。この宿は中央が吹き抜けになっていて、音響効果が抜群に良い。下に来たと思うといきなり空中に手を伸ばし何かを掴んだ。なんと蛾をと取ったのです。それから彼の虫探しがはじまりました。パタパタ、パタパタ。宿泊客は私たち家族を除いて周囲は釣りに来た男性たちだけでした。
彼は天窓近くにカマキリがひばりついているのを発見。カマキリあるよう。見て、見て!カマキリるよう。を誰彼と無く連発している。父親にあんな高いところのものは取れない、諦めなさいと言われていたが諦めななかったようで、私がお風呂から出てきたら、大きなカマキリが虫籠に入っていました。どなたか長い棒で落としてくれたようです。宿のご主人にうちでは子どもの野外活動もやっちるので今度参加しては?と勧められていました。
これは翌週父親と富士山麓の野外活動に参加した時に拾ったTの宝物
キジの羽と言っているけれど私には真偽のほどはわかりません。
さて余談です。うちの息子達は子ども達とよく遊びます。時には子ども達に遊んでもらっているようにさえ見えます。これは子ども時代に父親に遊んでもらえなかった時間を自分の子どもと遊ぶことで穴埋めしているようにさえ見えます。
夫曰く、外で子どもの世話をする仕事をしているのに家で迄子どもの世話はしたくないと。自分の子どもをきちんと育てられない人に世底をきちんと育てられるか。これが私たち夫婦の口論の種でした。
幼少期を過ぎたら、子どもはもう親を必要としなくなる場合もあると思います。幼少時に親子関係をきちんと築いておくべきとどんなに言ってもダメでした。私がいろんな問題と格闘している時でも我が子の問題は避けました。今、子どもたちは大人になり、一定の関係を保っていますが、成長期の子ども不満は本当に大きかったのです。
子どもの不満はともかく、私の憤りいまだに解けていません。
いま一年生である。3月にラオスから帰国した時は日本語を忘れていて、日本語の質問には返事をしなかった。学校で、国語は特別授業を受けることになったがその成果もあるようで、少し奇妙だけれど日本語をしゃべるにようなった。
いや、しゃべるようになったと言うよりもおしゃべりしすぎる状態になってしまった。こちらの話は聞かず、自分の見た物のこと、感じたことをしゃべり続ける。でも、しゃべれないよりも良いかもとしゃべらせているのだけれど!
日本語で可笑しなことと言えば’いる’と’ある’の区別がつかない。エスペラントでもいるとあるは同じ単語を使うから、そのうち気が付くかもしれないが、今はしゃべらせることの方が大切だろうと思う。ただ、これは家族内の話で、外では周囲の方々に迷惑をかけていることもあるでしょう。
さて、丹沢で車酔いで疲れて寝込んでいたが、目覚めるとパタパタと大きなスリッパを鳴らしながら2階の部屋から階下に下りてきました。手には小さな虫かごが。この宿は中央が吹き抜けになっていて、音響効果が抜群に良い。下に来たと思うといきなり空中に手を伸ばし何かを掴んだ。なんと蛾をと取ったのです。それから彼の虫探しがはじまりました。パタパタ、パタパタ。宿泊客は私たち家族を除いて周囲は釣りに来た男性たちだけでした。
彼は天窓近くにカマキリがひばりついているのを発見。カマキリあるよう。見て、見て!カマキリるよう。を誰彼と無く連発している。父親にあんな高いところのものは取れない、諦めなさいと言われていたが諦めななかったようで、私がお風呂から出てきたら、大きなカマキリが虫籠に入っていました。どなたか長い棒で落としてくれたようです。宿のご主人にうちでは子どもの野外活動もやっちるので今度参加しては?と勧められていました。
これは翌週父親と富士山麓の野外活動に参加した時に拾ったTの宝物
キジの羽と言っているけれど私には真偽のほどはわかりません。
さて余談です。うちの息子達は子ども達とよく遊びます。時には子ども達に遊んでもらっているようにさえ見えます。これは子ども時代に父親に遊んでもらえなかった時間を自分の子どもと遊ぶことで穴埋めしているようにさえ見えます。
夫曰く、外で子どもの世話をする仕事をしているのに家で迄子どもの世話はしたくないと。自分の子どもをきちんと育てられない人に世底をきちんと育てられるか。これが私たち夫婦の口論の種でした。
幼少期を過ぎたら、子どもはもう親を必要としなくなる場合もあると思います。幼少時に親子関係をきちんと築いておくべきとどんなに言ってもダメでした。私がいろんな問題と格闘している時でも我が子の問題は避けました。今、子どもたちは大人になり、一定の関係を保っていますが、成長期の子ども不満は本当に大きかったのです。
子どもの不満はともかく、私の憤りいまだに解けていません。