記憶がゴチャゴチャになってきました。とうとうアルバムを取り出しました。
私が歩いたところは≪LUZICKE HORY≫という森でした。
実はイジナが行き先々で土地の名前を忘れない様にと絵葉書を買って一枚ずつくれたのです。それがアルバムに納まっていたのです。
7月29日早朝、出かけようとしているマリエの夫N氏に会い挨拶をする。マリエは洗濯物にアイロン掛けをしていました。私のTシャツ、ジーパンにまで!!私はアイロン掛けが嫌いなのでノーアイロンで着ているからと途中で止めさせました。
それからが大変!! 彼女はまとわりつく犬達を追い払いながら、にわとりとウサギにエサをやり、7時には新しいパンがくるからと自転車で店へ出かけました。その間、私は彼女が用意していた菩提樹のお茶を飲みながら、優雅にも2階のテラスでお茶と朝の空気を味わっていました。菩提樹のお茶は女性の体に良いという話です。
チェコではビ-ルまでも自分の健康に合わせて選ぶのです。薬用として飲んでいました。
サンドイッチを作り、泉のあるところに駆け下ったのは8時過ぎ。マクスとイジナが待っていました。マクスは妻と二人暮らしです。イジナは夕べからマクスの所に泊まりエスペラントの特訓を受けていました。-ant-、-int-、-ont-、-at-、-it-、-ot- という分詞形が理解できないと嘆いていました。
ドイツ人が二人くる筈だが時間だからと私達は出発しました。途中マクスは丈夫そうな枯れ枝で杖を作りイジナに渡しました。イジナは腰の骨(腰椎)が分離しているのです。
途中、ライネとマリアンネの兄妹がタクシーで追いつき、グループは6人なりました。ブルーベリーを摘み、摘み歩きながら食べるのですが、これはみずみずしく美味しくて喉を潤してくれます。
数立方メートルもある大きな岩の重なった場所に着く。マクスは70才近いのにとても身軽でヒョイヒョイとまるでカモシカみたいに駆け上がってしまった。私も負けずによじ登る。岩の上の風の感触もまた心地良い。
20年程前、金儲けをしている者を狙う泥棒が現れました。勿論まだ社会主義時代です。彼は盗んだ金の一部を貧しい村の家々に投げ入れていました。警察が何度も捜査にこの広い森に入りましたが、泥棒はこの岩の中の入り組んだ所に隠れ家を作って潜んでいました。村人が協力しないので、警察は泥棒の居所がつかめず、彼を逮捕できませんでした。数年たったある厳しい冬、この泥棒は町まで出かけることができなくなり、村人の家々にに押し入り食料を盗みました。怒った村人達は雪解けを待って、この岩を取り囲み泥棒を捕まえました。まるで日本のネズミ小僧のようです!!
小高い場所で昼食を食べました。イジナが持って来た見事なきゅうりが水代わりでした。それから展望台のある場所に出て、展望台から森の向こうに見えるヤブロネツの町を見を下ろしました。展望台のあるところには必ず宿泊施設と休憩所があります。
そこで美味しいビールを飲んで散歩続行。いつのまにか林を抜けていました。
民家の横に艶やかなエンジ色の葉持つ大きな赤ブナの木が立っていました。この地方で一番大きなブナの木だそうです。この木を見るといつも元気が出るとイジナが言いました。大地は緑一色の草地です。
『昔、住んでいた頃と同じ!』マリアンネが言いました。
この兄妹は戦後、チェコから追放されたドイツ人だったのです。
ライネがポツンと言いました。『僕のように心の病気を持っている者にとって森歩きは本当にいいね!! こうしているととても落ち着く・・・。』と。
『僕は14才だった。ドイツ人とみなされてキャンプに収容されたのは! 』マクスが話し出しました。その時マクスの母親はキャンプの前に立ち、『私の息子を返して!! あの子はチェコ人だ。ドイツ人じゃない!! 』と数日間叫び続けマクスを取り戻したそうです。
話はドイツの戦後保障に及びました。チェコ人の多くは金による弁償よりも、もう戦争に巻き込まれないこと、自分達の国が自主独立国家として続くことを願っていると。
彼は父親については語りませんでした。
ライネが私に言いました。『何で草原にしておくんだと思っているだろう? 石ばかりで耕しても耕しても石が出て来るんだ!! 』『そうなの。子どもの頃、親が野菜を植えようと耕してたら、石ばかり出てね、その石を運び出しすのが私達の仕事だったの! 』とマリアンネが付け加えました。ここは農業も牧畜もできない土地だったのです。
この日は7時間歩きました。人は疲れずにこんなにも歩き続けることができるのですね!
私が歩いたところは≪LUZICKE HORY≫という森でした。
実はイジナが行き先々で土地の名前を忘れない様にと絵葉書を買って一枚ずつくれたのです。それがアルバムに納まっていたのです。
7月29日早朝、出かけようとしているマリエの夫N氏に会い挨拶をする。マリエは洗濯物にアイロン掛けをしていました。私のTシャツ、ジーパンにまで!!私はアイロン掛けが嫌いなのでノーアイロンで着ているからと途中で止めさせました。
それからが大変!! 彼女はまとわりつく犬達を追い払いながら、にわとりとウサギにエサをやり、7時には新しいパンがくるからと自転車で店へ出かけました。その間、私は彼女が用意していた菩提樹のお茶を飲みながら、優雅にも2階のテラスでお茶と朝の空気を味わっていました。菩提樹のお茶は女性の体に良いという話です。
チェコではビ-ルまでも自分の健康に合わせて選ぶのです。薬用として飲んでいました。
サンドイッチを作り、泉のあるところに駆け下ったのは8時過ぎ。マクスとイジナが待っていました。マクスは妻と二人暮らしです。イジナは夕べからマクスの所に泊まりエスペラントの特訓を受けていました。-ant-、-int-、-ont-、-at-、-it-、-ot- という分詞形が理解できないと嘆いていました。
ドイツ人が二人くる筈だが時間だからと私達は出発しました。途中マクスは丈夫そうな枯れ枝で杖を作りイジナに渡しました。イジナは腰の骨(腰椎)が分離しているのです。
途中、ライネとマリアンネの兄妹がタクシーで追いつき、グループは6人なりました。ブルーベリーを摘み、摘み歩きながら食べるのですが、これはみずみずしく美味しくて喉を潤してくれます。
数立方メートルもある大きな岩の重なった場所に着く。マクスは70才近いのにとても身軽でヒョイヒョイとまるでカモシカみたいに駆け上がってしまった。私も負けずによじ登る。岩の上の風の感触もまた心地良い。
20年程前、金儲けをしている者を狙う泥棒が現れました。勿論まだ社会主義時代です。彼は盗んだ金の一部を貧しい村の家々に投げ入れていました。警察が何度も捜査にこの広い森に入りましたが、泥棒はこの岩の中の入り組んだ所に隠れ家を作って潜んでいました。村人が協力しないので、警察は泥棒の居所がつかめず、彼を逮捕できませんでした。数年たったある厳しい冬、この泥棒は町まで出かけることができなくなり、村人の家々にに押し入り食料を盗みました。怒った村人達は雪解けを待って、この岩を取り囲み泥棒を捕まえました。まるで日本のネズミ小僧のようです!!
小高い場所で昼食を食べました。イジナが持って来た見事なきゅうりが水代わりでした。それから展望台のある場所に出て、展望台から森の向こうに見えるヤブロネツの町を見を下ろしました。展望台のあるところには必ず宿泊施設と休憩所があります。
そこで美味しいビールを飲んで散歩続行。いつのまにか林を抜けていました。
民家の横に艶やかなエンジ色の葉持つ大きな赤ブナの木が立っていました。この地方で一番大きなブナの木だそうです。この木を見るといつも元気が出るとイジナが言いました。大地は緑一色の草地です。
『昔、住んでいた頃と同じ!』マリアンネが言いました。
この兄妹は戦後、チェコから追放されたドイツ人だったのです。
ライネがポツンと言いました。『僕のように心の病気を持っている者にとって森歩きは本当にいいね!! こうしているととても落ち着く・・・。』と。
『僕は14才だった。ドイツ人とみなされてキャンプに収容されたのは! 』マクスが話し出しました。その時マクスの母親はキャンプの前に立ち、『私の息子を返して!! あの子はチェコ人だ。ドイツ人じゃない!! 』と数日間叫び続けマクスを取り戻したそうです。
話はドイツの戦後保障に及びました。チェコ人の多くは金による弁償よりも、もう戦争に巻き込まれないこと、自分達の国が自主独立国家として続くことを願っていると。
彼は父親については語りませんでした。
ライネが私に言いました。『何で草原にしておくんだと思っているだろう? 石ばかりで耕しても耕しても石が出て来るんだ!! 』『そうなの。子どもの頃、親が野菜を植えようと耕してたら、石ばかり出てね、その石を運び出しすのが私達の仕事だったの! 』とマリアンネが付け加えました。ここは農業も牧畜もできない土地だったのです。
この日は7時間歩きました。人は疲れずにこんなにも歩き続けることができるのですね!
だんだん、引き込まれてしまいました。
神様は
争うために
人に心を授けたの?
いまでも、どれだけの普通の人が意味のない争いに巻き込まれているのでしょうか
私は “井の中の蛙”ですがここにいても大事なことは大事と言うことだけは忘れないでいたいです。
こんど、子供たちに会うときはヤッパリそのことを伝えられたら、繋げられたらとおもっています。
今日は上手くコメントできません。ごめんなさい!
本当にありがとうございます。
私のであった人達が、普通のことばで語った喜びや苦しみの万分の一でもどなたかに伝えられたら嬉しいと思っています。
人の数だけ歴史はありますが、他人をちょっと知るだけで避けられる争いもあると信じているのです。