金曜日と土曜日の夜、発達障害を持っているという子ども達と親と指導者たちの番組を見てしまった。一人の子どもが言う、それは僕の個性の一つですと!
親のひとりが言う、普通の子どもに育てようと努力した。その時指導者(?助言者)から子どもの好きなことをさせましょうと!と言われてショックでしたと。
普通の子どもに育てたいと言いう気持ち私にもよくわかります。50年前自閉症などと言う考え方は一般的ではなかった。60年以上前の医学書には子どもの精神病という記述さえあったのです。
学生時代’児童研究’という授業があって、それは90分授業だったと思うけれど自閉症児の観察とその行動をどう解釈するか議論する授業でした。ですから、10代の頃にすでに自閉症児について知っていました。
二男は早産でした。母乳を吸えませんでした。4カ月たっても首は座っていないように見えました。医師は頭が多きいいだけだといったけれど声をかけても笑わなかった。自閉症?と疑った。何とか刺激を与えて表情を引き出そうと躍起になっていました。歩くのは普通だったけれど、動きが激しく多動に思えまた。しゃべりだしたらしゃべっているその言葉が私には理解できない速さでした。普通の子に育てるにはどうすればよいかと私は考えて行動したのでした。高校生になったその子が従姉に言うことには、僕の幼年時代は地獄だったと!姪は驚きあんなに心配かけていたのにと答えていました。
普通の子にしようと強制するのを止めたのは、この子が小学生になった5月、障害を持つ幼児の保育の会のボランティア始めたことでした。知的障害のある子ども、身体的障害なる子ども、また重複した障害を持つ子ども。その子たちと接していると普通の生活とは何であるか考えさせられました。大切なのは基準がもわからい普通の生活を目指すことではなく、ひとりひとりの子どもにとってどんな生活が楽しく幸せな生活か考え、それを目指すことではないかと思うようになり、我が子の行動にも笑って対応できいるようになっていました。
カナダにいる姉の孫娘は就学すると発達障害と言われました。(中断)
私が彼女に出会ったのは小学校入学の数カ月前でした。トロントに宿泊した時、姪家族が夕食をごちそうすると言って宿へ訪ねてくれました。玄関先で、姪がGおばちゃんよと紹介すると彼女は別の方向へ駆け出して、前庭に咲く花々に挨拶を始めたのでした。そして、ひと通りあいさつし終えると私のところに駆け寄りハグしてこんにちわの挨拶をしてくれました。
学校では友だちができなかったようです。受け持ちの先生が、この子の特性について子どもたちと話し合いしたいというのでお願いしたそうです。どんなことが話し合われたのかわかりませんが、子ども達も彼女の特性を理解し、個人のパーティを開いた時は必ず招待してくれるようになったそうです。
長い夏休みには発達障害を持つ子どものための数週間の合宿があり、初めは家族と、そのうち一人で参加するようになったようです。周りの人たちの支えがあれば、それぞれ楽しく生活できるのだと思いました。
先日と言ってもひと月以上前でしょうか、姪が彼女のことをフェースブックに書いていました。
高校を卒業したそうです。数学と化学の成績は抜群に良かったそうです。本人は将来、化学を専攻したいと言っているそうです。姉にもそんな姿を見せてやりたかったです。
普通という基準はないですよね。各個人、各家庭はそれぞれ違います。そして能力においてもみんな凸凹。
親のひとりが言う、普通の子どもに育てようと努力した。その時指導者(?助言者)から子どもの好きなことをさせましょうと!と言われてショックでしたと。
普通の子どもに育てたいと言いう気持ち私にもよくわかります。50年前自閉症などと言う考え方は一般的ではなかった。60年以上前の医学書には子どもの精神病という記述さえあったのです。
学生時代’児童研究’という授業があって、それは90分授業だったと思うけれど自閉症児の観察とその行動をどう解釈するか議論する授業でした。ですから、10代の頃にすでに自閉症児について知っていました。
二男は早産でした。母乳を吸えませんでした。4カ月たっても首は座っていないように見えました。医師は頭が多きいいだけだといったけれど声をかけても笑わなかった。自閉症?と疑った。何とか刺激を与えて表情を引き出そうと躍起になっていました。歩くのは普通だったけれど、動きが激しく多動に思えまた。しゃべりだしたらしゃべっているその言葉が私には理解できない速さでした。普通の子に育てるにはどうすればよいかと私は考えて行動したのでした。高校生になったその子が従姉に言うことには、僕の幼年時代は地獄だったと!姪は驚きあんなに心配かけていたのにと答えていました。
普通の子にしようと強制するのを止めたのは、この子が小学生になった5月、障害を持つ幼児の保育の会のボランティア始めたことでした。知的障害のある子ども、身体的障害なる子ども、また重複した障害を持つ子ども。その子たちと接していると普通の生活とは何であるか考えさせられました。大切なのは基準がもわからい普通の生活を目指すことではなく、ひとりひとりの子どもにとってどんな生活が楽しく幸せな生活か考え、それを目指すことではないかと思うようになり、我が子の行動にも笑って対応できいるようになっていました。
カナダにいる姉の孫娘は就学すると発達障害と言われました。(中断)
私が彼女に出会ったのは小学校入学の数カ月前でした。トロントに宿泊した時、姪家族が夕食をごちそうすると言って宿へ訪ねてくれました。玄関先で、姪がGおばちゃんよと紹介すると彼女は別の方向へ駆け出して、前庭に咲く花々に挨拶を始めたのでした。そして、ひと通りあいさつし終えると私のところに駆け寄りハグしてこんにちわの挨拶をしてくれました。
学校では友だちができなかったようです。受け持ちの先生が、この子の特性について子どもたちと話し合いしたいというのでお願いしたそうです。どんなことが話し合われたのかわかりませんが、子ども達も彼女の特性を理解し、個人のパーティを開いた時は必ず招待してくれるようになったそうです。
長い夏休みには発達障害を持つ子どものための数週間の合宿があり、初めは家族と、そのうち一人で参加するようになったようです。周りの人たちの支えがあれば、それぞれ楽しく生活できるのだと思いました。
先日と言ってもひと月以上前でしょうか、姪が彼女のことをフェースブックに書いていました。
高校を卒業したそうです。数学と化学の成績は抜群に良かったそうです。本人は将来、化学を専攻したいと言っているそうです。姉にもそんな姿を見せてやりたかったです。
普通という基準はないですよね。各個人、各家庭はそれぞれ違います。そして能力においてもみんな凸凹。
凸凹が際立っていると育てている親はハラハラでしょうね。
凸凹が際立っても、それ個性とお互い認め合うことが大切だと思います。
子どもの人生、焦らず互いにも守ることが大切かと思います。予期せぬ方向に向かうこともあるかと!
無責任ですが、あるが儘に、伸びるままに成長に任せる!
再婚された50歳ぐらいの女性。相手の子供、小学生のママになりました。物心がない頃に母親を喪った女の子の子育てが大変らしく、一層の事、発達障害の診断されたら、そのためにうまくいかないということで、私も気が楽になるのに、、、と呟かれました。アッ、コレ(の発言)はアウトだ!と思いました。案の定、再婚は長くは続きませんでした。
世の中なかなかうまくゆきませんね!