土曜日Mがバスに乗って喜んでいましたので、6月26日帰国の日空港にはモノレールを乗りついで行くことにしました。モノレール駅までタクシーに行きました。モノレールはまだ新しいのでしょうか改札口は入る人も出る人も不慣れな様子で、案内人もいるのですが彼らもてんやわんやの状態でした。
NはMを先に通したら自分が通れなくなって、別の通路を開けてもらったりして乗り継ぎ駅へ。乗り継ぎ駅で息子が3人前切符を買おうとすると案内人がやってきて4人分買えと云います。息子がMをさして幼児だと云っているようです。すると彼はMを壁際に連れて行きました。そこには身長用の表が貼ってありました。Mを立たせると彼の身長は110センチ強ありました。90センチ以上は料金が必要とかで、Mも丸い赤いプラスチックの切符を受け取り大喜びしていました。もしかしたら最初の駅でもMは料金が必要だったのかもしれません!日本のように就学、未就学ではなく、身長表ですから料金をごまかすわけにはゆきませんが、この案内人乳母車に乗っているTも立たせて料金がいるかどうか調べたそうでした。
いままで色々な国に行きましたが、身長で料金を決めると云う国は初めてです。表は2メートルくらいまでありましたから、もしかしたら背高のっぽさんは割増料金になるのかもしれません!
タクシーでついた最初の駅
階段を上ったら高級感のある山崎パンがありました。地元の人がしっかりと映り込んでいました。
幼稚園のお昼寝用布団、月曜日に持って行き、金曜日に持ち帰ります。Mは小さいと云っていました。
来年までには足が蒲団からはみ出てしまうでしょう!
畳むとバックのようになります。日本の保育園・幼稚園で蒲団を持ち帰ると云う話は聞いたことがありません。
これでしたら保育士さんも楽ですね
タイの1週間は3食昼寝、プールつきでした。まただれに遠慮すると云うこともなく過ごしましたが、自分で考えて行動できないと云うことは結構大変なことでした!私がついた時Mは父親を置いてでも、私と一緒に日本に帰ろうと母親にせがんでいましたが、私の帰る朝、日本にはTとお母さんとお父さんと一緒に帰ると断言し、空港では元気に手と手とタッチして別れました。
NはMを先に通したら自分が通れなくなって、別の通路を開けてもらったりして乗り継ぎ駅へ。乗り継ぎ駅で息子が3人前切符を買おうとすると案内人がやってきて4人分買えと云います。息子がMをさして幼児だと云っているようです。すると彼はMを壁際に連れて行きました。そこには身長用の表が貼ってありました。Mを立たせると彼の身長は110センチ強ありました。90センチ以上は料金が必要とかで、Mも丸い赤いプラスチックの切符を受け取り大喜びしていました。もしかしたら最初の駅でもMは料金が必要だったのかもしれません!日本のように就学、未就学ではなく、身長表ですから料金をごまかすわけにはゆきませんが、この案内人乳母車に乗っているTも立たせて料金がいるかどうか調べたそうでした。
いままで色々な国に行きましたが、身長で料金を決めると云う国は初めてです。表は2メートルくらいまでありましたから、もしかしたら背高のっぽさんは割増料金になるのかもしれません!
タクシーでついた最初の駅
階段を上ったら高級感のある山崎パンがありました。地元の人がしっかりと映り込んでいました。
幼稚園のお昼寝用布団、月曜日に持って行き、金曜日に持ち帰ります。Mは小さいと云っていました。
来年までには足が蒲団からはみ出てしまうでしょう!
畳むとバックのようになります。日本の保育園・幼稚園で蒲団を持ち帰ると云う話は聞いたことがありません。
これでしたら保育士さんも楽ですね
タイの1週間は3食昼寝、プールつきでした。まただれに遠慮すると云うこともなく過ごしましたが、自分で考えて行動できないと云うことは結構大変なことでした!私がついた時Mは父親を置いてでも、私と一緒に日本に帰ろうと母親にせがんでいましたが、私の帰る朝、日本にはTとお母さんとお父さんと一緒に帰ると断言し、空港では元気に手と手とタッチして別れました。
バスを待っている人は見かけました。
タイの様な湿度の高いところの人は徒歩では外出しないのかもしれません。ラオスでもビエンチャンで歩いているのは外国人でした。
インドでは歩いていると人気のないところから突然、物乞いが現れるので怖かったです!一般人とはほとんど出会いませんでした。
写真の蒲団はマジックテープで留めるだけですので子どもも簡単にたためます。
近くと云っても20キロほど離れたところに月二回開かれる日本語学校があるそうです。プールで知り合った方に聞きました。近いと云ってもいつも道路がいつも渋滞しているので1時間ほどかかるようです。
タイは暑いのトゥクトゥクでの移動は大変です。そこはバンコクの郊外ですので多くの人が車で通勤しているそうです。
車がない人はタクシーを使うより方法はなさそうです。何キロか知りませんが初乗り料金は35パーツ、105円ほどです。スーパーも市場も初乗り料金でした。往復で210円。私達の路線バスの半額以下です。多くのタイ人が使っていました。幼稚園に行く時はタクシーが連なっていました。
知らない土地では身の安全が第一です。言葉も知らずに一人で外を歩くのは危険でしょう。タクシー内の犯罪も多いので一人で知らない場所へ行くのは怖いとN入っていました。
glimiさんはタイ事情として書いていらっしゃるけれど、基本保育園は保護者と歩きで、じゃないのでしょうか。予防注射にタクシーで行かなくてはならないのは、タイ人の普通の子供たちの事情ではないような?
私は、パリやロンドンでも大卒や公務員の基本給と地下鉄初乗り料金を訪ねる癖がありました。その地域で暮らす大体の生活水準が想像できるからです。
glimiさんのお孫さんは、日本から給料が支払われている人がバンコクで暮らす場合だと思うのですが、いかがですか。
ちなみにバンコクの日本人学校(小学校)は、うちの近所の小学校(1学年4クラス)より規模が大きいと聞きました。20年ほど前の話ですが。それほどにバンコクに日本企業が進出しているのだと思ったものでした。Mちゃん、日本語が恋しいのでしょうね。
最近モノレールは使いません。横浜から羽田行きは便利になりましたから・・・。4年半前、ラオスに行った時、バンコクからの飛行機が遅れ、JRの最終列車に乗るのにはモノレールを使いないさいと案内所で云われて使ったのが数10年ぶりでした。
羽田のモノレールが出来た時、丁度エスペラント世界大会が東京であって、女人禁制と言われるその「モノレールの運転席」に私入れて貰いました。
エスペランチスト達を乗せてガイドしたのです。説明の為に書いたものを読むのですが、外の景色を見せるため灯りを消してしまい読めないので付けてもらった記憶が蘇りました。客車の灯りを消すと運転席も真っ暗になったものですからね。
体重と手荷物の重さのバランスは私が常に主張しています。40kg未満の私も100kgを越えそうなおっさんも手荷物の重量制限が同じなのは理屈に合わん、とストックホルムの空港で主張し無視された悔しい思い出は50年前のことです。
少しづつ変わって来ている様ですが。
私の経験は昭和40年代半ばでした。でも折りたたみ布団とは考えたものですね!
日本も進化しているのですね
衛生面でも個人の所有のものを使う方がいいですね。
ヨーロッパへの手荷物量は20キロですが、タイ航空は30キロだそうです。その上、エールフランスよおり座席の前との間隔が広かったです。でも私は20キロしか持ちませんでした。
月曜の朝、保育所に二人の子供とお昼寝用布団の二人分持って行っているお父さんを見かけましたよ。もちろん日本です。
今はどうなっているのでしょうか。働いている親も持ち帰られては大変でしょうから、業者に委託するようになっていたらいいですね。