光市母子殺害事件
1999年4月14日、山口県光市の会社員本村洋さん(35)宅で妻弥生さん=当時(23)=と長女夕夏ちゃん=同(11カ月)=が殺害された。近所に住む18歳になったばかりの男が4日後に逮捕、起訴された。犯行時少年への死刑適用について議論を呼んだ。最高裁は今年2月20日、上告を棄却し、被告の死刑が確定した。裁判を通じ、本村さんは犯罪被害者支援の重要性を訴え続け、被害者の権利を明記した犯罪被害者基本法成立(2004年)や、遺族らが刑事裁判に加わって求刑意見などを述べられる「被害者参加制度」を盛り込んだ刑事訴訟法改正(07年)の大きなきっかけとなった。
(2012年4月1日掲載)
人権と報道・西日本委員会第4期第1回会合<上>キャンペーン「罪と更生」 光市母子殺害最高裁判決
●真実に迫れたか
西日本新聞の報道や取材をめぐる人権問題を議論する第三者機関「人権と報道・西日本委員会」の第4期委員による第1回会合が3月22日、福岡市の本社で開かれた。委員会は、土井政和委員長(九州大大学院法学研究院教授)▽上野朗子委員(裁判員裁判を育てる市民の会会員)▽前田恒善委員(福岡県弁護士会人権擁護委員会委員長)の3氏全員が出席、本社から編集・論説部門の責任者が参加した。委員会からの提起などに基づき、本紙のキャンペーン企画「罪と更生」、光市母子殺害事件最高裁判決、九州電力の一連の問題を含む東日本大震災・原発事故報道の3テーマについて意見を交わした。
■キャンペーン「罪と更生」
●再犯に焦点 画期的だ・土井氏 支援状況掘り下げて・上野氏 司法の限界を感じた・前田氏
田川大介報道センターデスク 本紙長崎総局の記者が、長崎刑務所を取材したことが企画の出発点。高齢の認知症患者や障害のある受刑者が単純作業を繰り返していた。服役後も福祉の網に漏れ、パン一つを盗み、再び刑務所に戻る。こうした軽微な累犯者の裁判を傍聴したり、記事にしたりすることは少なく、司法担当記者ももどかしさを感じていた。今後は裁きのシステムも含め、更生の現場に迫りたいと考えている。
土井委員長 こうしたテーマをキャンペーンとして選択したことに敬意を表したい。犯罪被害者側には社会の関心が集まるが、加害者側には厳しい視線が向く。加害者や刑罰、矯正施設に収容されている人の実態に目を向けたのは画期的だろう。刑務所に行く人は悪くて恐ろしい人というイメージがあるが、成育歴をみると、虐待経験があるなど社会的には被害者だった人も目立つ。高齢者や障害者らも多い。社会の誤解が改まるきっかけとなったのではないか。
前田委員 累犯者の弁護人を引き受け、実刑判決が出た際、被告から「ご苦労さん」と言われてむなしい気持ちになったことがある。本当に更生しているかどうか、職業裁判官ですら見極めるのは難しい。たとえ法廷では反省していたとしても、社会に出てまた罪を犯してしまう。司法では限界がある。福祉などの支援体制が重要だ。
上野委員 関連記事の中に、重い知的障害が見逃されたまま19回も服役した累犯者を取り上げたものがあった。今までの裁判にはどんな意味があったのだろう。捜査関係者は真っさらな気持ちで、取り調べをしたのか。学校の授業も習熟度別に行われている。こうした累犯者に対し、どういった支援、プログラムがあるのか、さらに詳しく知りたい。
井上裕之編集局長 今回の企画は反省から始まっている。事件事故が起きると警察の捜査、裁判までは取材するが、判決の確定後、被告がどうなったのかフォローしてこなかった。かつて前科何犯と書いていた時代もあったが、今は前科前歴には触れないため、なぜ再犯にいたるのか、記者の関心が薄れていた面もある。更生しようとしても、無理解な社会の荒波にもまれて、再び罪を犯してしまう。この構図は決して特殊な世界の話ではなく、社会の縮図として広くとらえたい。
安武秀明報道センター長 本紙は1992年に容疑者の人権、98年に犯罪被害者の人権を考えるキャンペーンを展開してきた。更生というテーマは地味な話という指摘もあったが、ジャーナリズムの役割が問われるテーマだと考えている。
土井委員長 性犯罪の前歴者に衛星利用測位システム(GPS)の機器を携帯させるとの議論があるように、再犯防止の動きが権力的な監視を強める方向にいく懸念もある。福祉と司法が連携した場合、対象者に寄り添う福祉本来の役割が変質することはないだろうか。あえて問題提起だけはしておきたい。
■光市母子殺害最高裁判決
柴田建哉報道センター部長 少年法は少年の更生や社会復帰のため少年時の罪で起訴された被告の実名報道を禁じている。山口県光市の母子殺害事件で最高裁から死刑判決を受けた元少年について、本紙は、再審や恩赦の可能性があると判断し、少年法の趣旨を尊重して匿名報道を継続した。毎日新聞、東京新聞も同様の判断。一方、朝日、読売、日経新聞やテレビ各局は死刑確定で被告の更生に配慮する必要はないとして、実名報道に切り替え、メディアによって対応が割れた。
相浦衞読者室長 読者から多数の抗議をいただいた。テレビが一斉に実名で報じたことが印象的だったようだ。ある女性からは「なぜ足並みをそろえないのか」とも指摘された。
土井委員長 実名に切り替えた一部報道機関は「重大な社会的関心事」であることを理由の一つに挙げた。ただ、死刑は生命を奪うことで初めて執行されたことになる。冷静にみれば匿名だろう。とはいえ社会的には理解が進んでいない。もっと分かりやすく説明する努力が必要だ。
前田委員 実名か匿名か、メディアが足並みをそろえる必要はまったくない。新聞社それぞれの判断があっていい。だが、社会的関心を言うのなら、死刑事件なら重大で無期懲役ならば重大ではないのか。実名報道とは何なのか、本質的な議論は避けられない。
上野委員 わが家の家族でも意見が分かれた。逮捕から13年。いまさら実名を出す意味があるのか。私には唐突感があった。刑が執行されたときで足りるのでは。
井上編集局長 権力により誰が死刑を言い渡されたのか実名を伝えるべきだという考え方もある。だが再審などの可能性が残る以上、社会復帰の道がないと断定することには違和感がある。メディアが死刑判決を突きつけるようなものだ。
柴田部長 少年事件でも実名を報道するメディアも出ている。背景には厳罰化の傾向があるのではないか。
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●人権と報道・西日本委員会
2001年5月設置。西日本新聞の報道や取材によって名誉毀損(きそん)、プライバシー侵害などの人権問題が生じた場合、問題解決に向けて審議、見解を示す。審議対象となる事案がない場合でも、人権にかかわる報道について自由に論議する。第4期委員会は第3期の3委員を再任し11年10月発足。第3期は4回の会合で、裁判員裁判、福岡県町村会汚職事件、認知症のお年寄りに爪切りケアを施した看護師が傷害罪に問われ無罪確定に至るまでの報道、東日本大震災報道などを取り上げた。
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●土井 政和氏
▼どい・まさかず 九州大学大学院法学研究院教授。専門は刑事政策。研究テーマは刑法、更生保護、少年法など多岐に及ぶ。著書に「現代刑事政策」(共著)など。1952年、愛媛県生まれ。
●上野 朗子氏
▼うえの・あきこ 「市民の裁判員制度・つくろう会」福岡代表を経て「裁判員裁判を育てる市民の会」(事務局・東京)のスタッフに。福岡県志免町在住の主婦。1955年、長崎県生まれ。
●前田 恒善氏
▼まえだ・つねよし 福岡県弁護士会人権擁護委員会委員長。福岡法務局福岡人権擁護委員協議会会長や日本弁護士連合会人権擁護委員会副委員長などを歴任。1959年、長崎県生まれ。
西日本新聞 - (2012年4月1日掲載)