軽微な事件で服役を繰り返してきた知的障害のある男性(32)がこの夏、2年間の拘置所生活を終え、川崎市内の福祉施設に戻って来た。施設は男性の最初の受け入れ時に成育歴や犯罪歴を把握しておらず、「きめ細やかな対応ができずに再犯を許してしまった」と省みる。背景に、出所者の個人情報が受け入れ側に伝えられない現状があり、「累犯障害者の支援には、一定の情報把握が必要」として新たなルール作りの必要性を訴える。
「もうみんなに心配かけないよね?」「二度と迷惑はかけたくないから……」。拘置所から出所したばかりの今年8月、男性はグループホームの女性職員の問いかけに、小さな声でそう答えた。
男性がこのホームを利用するのは2度目だ。最初は2011年7月、府中刑務所を満期出所した後、川崎市のケースワーカーに紹介されてやってきた。1年もたたないうちに、酒に酔ってホームから包丁を持ち出し、駅前でちらつかせる事件を起こす。アルコール依存症に起因する犯罪だった。「依存症と知っていたら、違った対応ができたかもしれない」。初公判から判決まで、15回の裁判を傍聴し続けた施設の理事長(69)は悔しさをにじませる。
訴訟資料によると、男性は兵庫県出身で中度の知的障害がある。2歳の時に両親が離婚し、県内の児童養護施設に預けられた。母親の再婚に伴って川崎に移り住んだが、養父から虐待を受け、家を飛び出してホームレスになった。その後は暴力団にだまされて通帳詐欺や無銭飲食を繰り返し、刑務所と社会を行き来した。福祉の支援を受けることはなかった。
施設が初めて男性を受け入れたとき、刑務所から市を通じて事前に伝えられたのは、直近の前科など「必要最低限」の情報だけだった。男性も自身の過去については口が重く、職員たちは虐待経験やアルコール依存症があることも、把握していなかった。
刑務所出所者について、受け入れ側の自治体や施設が得られる情報は少ない。男性のように支援が必要なケースでも、満期出所者は保護司などにつながる仮釈放者と異なり、保護観察所などの公的な手続きを踏まない限り、個人情報は伏せられる。刑務所から伝えられるのは、直近の罪の概略だけだ。
男性を支援した大石剛一郎弁護士は、本人の同意書があれば公的機関から個人情報が得られる仕組みが必要だと指摘する。「個人情報保護への配慮は必要だ。だが、施設で受け入れる以上、男性の成育歴を詳しく知って対応すべきだ。一律的な対応では、再犯は防げない」と話す。
男性の事件後、施設では知的障害がある出所者を受け入れる際、成育歴や依存症の有無などを聞き取るとともに常勤職員の間で情報共有を図るようになった。男性も、酒には手をつけていないという。
理事長は「反省は今も消えない。これを教訓に司法と福祉をつなぐ役割を果たしていきたい」と話している。
◇満期出所の場合、罪名と年齢程度
刑務所から出所した受刑者の個人情報の取り扱いはどうなっているのか。法務省によると、仮釈放時と満期出所時では、次のように対応が異なる。
仮釈放時には、刑務所が保護観察所へ送付する「身上調査書」を作成する。受刑者の氏名・生年月日、罪名やその内容、家族構成、疾病や障害の有無などの個人情報が書き込まれる。
保護観察所は受刑者の了解を得た上で、必要な医療情報などを中心にプライバシーに配慮しながら調査書を書き換える。この文書は、「地域生活定着支援センター」が出所した高齢者や知的障害者を福祉につなぐ際の参考資料になる。
だが、こうした公的な支援を受けずに満期出所した場合、原則的に、刑務所から外部に個人情報が提供されることはない。今回の男性のように、身寄りがなく、1人での生活が困難なケースで、刑務所が直接、自治体や福祉施設に支援を依頼する際には、「詐欺罪で服役した40代の男性」という程度の情報提供にとどまる。
法務省で犯罪者処遇の経験がある浜井浩一龍谷大教授(刑事政策)は「疾病の情報は福祉支援には必要不可欠。刑務所は福祉が必要とする情報をもっと理解すべきだ。受刑者の更生には関係機関の相互理解と信頼に基づいた連携が欠かせない」と指摘する。
毎日新聞 2014年10月22日 地方版