ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

「笑う」とは何か? 専門家に尋ねる 慶應義塾大学教授 岡原正幸氏

2016年07月10日 01時39分55秒 | 障害者の自立

我々は何の疑問もなく他者の笑う姿を目にし、また自らの口角をあげる。「笑う」とは何か。人間は笑うことで他者に何をもたらすのか。慶大文学部で感情社会学を研究している岡原正幸氏に話を聞いた。

笑うことは意図せず本能的に生み出されるのではないという。人間は笑うことを社会のなかで教えられ学んでいく。そしてその時々に、その場で求められる表現に適合した笑いを使い分けるようになるのだ。

第一に笑顔は、相手に「自分は敵ではない」というシグナルを送る。初対面の人同士が居合わせても、微笑むことで攻撃性が否定され、親密性やシンパシーが強められる。その後の関係も良好になりやすい。

また人間は照れとして笑顔を表出することもある。例えば、失敗が予想されない場面で失敗したとき、自分と他者の間の「どうしよう?」という一瞬の空白を埋め修復する働きを持つ。予想された展開からの逸脱によって生じた秩序の乱れを笑顔が元に戻すのである。

さらに、人間は常に笑いを探求し娯楽やエンターテインメントに行きつく。コメディ映画などを観て思う存分笑い、自分の感情を表に出すことで心地良さを感じる。

現代の笑いはどこへ行く?

しかし、現代のエンターテインメントにおける笑いについて、岡原氏は「深みがない」と指摘する。今は誰もが笑えるような質の低く薄い笑いばかりで、それらは作り笑いに近いものしか生み出さないという。ビートたけしやそのまんま東などが活躍した1‌9‌8‌0年代漫才ブームの頃は、「とんでもない笑い」が人気を博した。当時は大学格差や障害者、政治的内容もネタにした「毒のある笑い」がありそれらを世間も受容していた。

しかし現在は、メディアの公的規制もあり、誰も傷つかないよう凝られた、「平等な笑い」しか産出されていないのである。この結果、笑いの内容は多様性に欠け、全体的な感情の幅も狭くなってしまう。

人間は他者と生活していく上で無意識のうちに相手を不愉快にしてしまうことがある。その中で肝心なのは、他者を傷つけてしまうおそれのある笑いを披露した後に、次の一言をどう工夫するかだ。「その後被害者も頷き、一緒に笑えるようにどう修復するか。また被害者が傷ついたことを率直に訴えられる雰囲気を作れるかにかかっている」という。

他者と共生していくなかで問題が生じるのは必然だ。それにも関わらず、その問題の解決策を練るのではなく、始めから問題を起こさないように奮闘してしまうのが日本人の傾向とも言えるだろう。

深みのある笑いを得るには、それに値する刺激が不可欠であり、他者を傷つけるリスクも伴う。しかしながら、毒のある笑いは人間の感情の幅を増幅させ、社会をより健全にするのである。

2016年7月9日   慶応塾生新聞


捨てられないぬいぐるみが再び役に立つ 海外の施設などへ贈るリサイクルプロジェクト

2016年07月10日 01時28分58秒 | 障害者の自立

 愛着のあるぬいぐるみって、どうしてもなかなか捨てられないもの。お寺や神社の人形供養などもあるが、新たな地で新たな持ち主に再びかわいがってもらうことができるこんなサービスを利用してみてはいかが?

 MAST支援会(クラブポールスター・大阪市)はぬいぐるみを有償でクリーニングして、海外のスラム街の施設や障がいのある子どもたちの施設、 孤児院などに贈る愛のリサイクルプロジェクト「クラブポールスター」事業を行っており、約2年間で海外6ヵ国18施設にぬいぐるみを寄贈した。今年は4月に起きた熊本地震の被災地にも届けている。子どもたちはぬいぐるみを見ると大喜びで笑顔いっぱいになるという。クリーニングやラッピングは大阪の障害者就労支援施設で行っているので、障がいがある方のやりがいのある仕事にもなっているプロジェクトだ。

 

 HP、電話またはFAXから申し込み、料金を支払った後に届く宅配パックにぬいぐるみを入れて返送する。その後、クリーニングとラッピングを経て海外施設などへ寄贈される。贈った人も贈られた人も笑顔になれば、ぬいぐるみたちもきっと喜んでくれるだろう。

★「捨てられない」ぬいぐるみをクリーニングして海外の施設の子供たちに届けるリサイクルの愛のプロジェクト「クラブポールスター」

★「クラブポールスター」の料金システム
① 600mm×700mm の「ぬいぐるみ宅配パック(袋)」にぬいぐるみ1個だけ6,480 円
② 600mm×700mm「ぬいぐるみ宅配パック(袋)」にぬいぐるみ何個でも入るだけ 10,800 円
(料金は、国内送料・クリーニング&ラッピング料金・梱包費用・海外への輸送費・通関費用など)

   OVO [オーヴォ]


【18歳の一票 土佐のオトナはこう思う】僕のいとおしいとき

2016年07月10日 01時14分32秒 | 障害者の自立

 今思えば、目が見えないコンプレックスがすごくあったので、見える人たちと対等に、もっと言えば勝ちたいって思いがあった。

 幼い頃からおやじに「障害者として生きるんじゃない。一人の人間として生きてけ」とずっと言われてきた。

 「主張するしかない」と思っていた。先輩に「そんな自分の思うように生きてけるもんじゃないぞ」って言われて、じゃあ俺が変えてやる、俺のおり場は俺がつくってやる、ぐらいの。熱かったねえ。

 ただ社会は甘くなかった。「違うでしょ」とか、主張することしかせんかったので、反発を食らうだけ。でもこの「主張する時代」があったのはすごく大事なことやと思ってる。今思えば。あった方がいいよね。

 ぶつかりながら、人も傷つけて自分も傷つけて。今考えたら痛い思い出やけど、そういうことを経験せんと、なかなか「調和」の方がいいなんてことは気付かん。18歳の頃は分からんかった。

 高校を卒業して、はりきゅうの専門の勉強をする専攻科に入学したのが18歳。そしたらね、途中で目が見えなくなった人、40、50、60歳とかの人がいっぱい入ってくるわけ。そこで自分のいろいろなことが変わってきた気がするね。勉強さしてもろた。

 中途失明の人にとって点字は大変ながね。いっぱいバリバリ仕事してきて、ささくれだった指で、一生懸命点字触ってるけど、ぶつぶつとしか思えんわけよ。したらもう、教科書が読めんわけやき、とんでもないことながね。僕らは習った文字が点字しかないから、当たり前に読んでるわけよ。なんで読めんが、みたいな。

 ほんとに、やな子やったよね。だけどもだんだん分かってきて、ゆっくり教えてあげたりとかね。だからそういう人たちと一緒におることで、相手のこと想像したり、他人との関わり、社会性、そういうものを少しずつ学んでいった気がするね。

 当時の盲学校に在学した子、特に全盲の子はある程度進路は決まってた。あんま、マッサージ、指圧、はりきゅうの免許をとって、そういう仕事をするっていうのがね。

 実は、そこでも俺はそうじゃない、音楽をやりたいって反発はあったんよ。でも、プロにはなれんのじゃないかなあていう自信のなさもあった。あと、両親が安定した道を歩いてほしいんじゃないかなあ、とかいろいろ思うて。

 はりきゅうの免許とったことも、病院に就職して15年働いたことも、今思えばすごーくよかったと思う。ちゃんと社会が打ちのめしてくれたし、いい方向に行くように行くように持っていってもらったから。本当にいとおしい、大事な過程やったなあ、って、今は思えるんよ。


 ほりうち・けい 高知県立盲学校を卒業後、はり師に。病院を退職後、学校関係を中心に国内外でギター弾き語りのコンサートなどを行っている。54歳。四万十市出身。

「主張するしかない」と思ってましたと話す堀内佳さん。シンガー・ソングライター(54)

2016.07.08   高知新聞