ゴエモンのつぶやき

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「障害者いなくなればいい」で不安に思った皆さんへ。相模原事件を受けて緊急声明【全文】

2016年07月29日 03時33分55秒 | 障害者の自立

神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に刃物を持った男が侵入して、入所者19人が刺殺された事件を受けて、知的障害者と家族で作る「全国手をつなぐ育成会連合会」は公式サイトで7月27日、障害者に向けて緊急声明を出した

この声明は、殺人未遂容疑などで逮捕された植松聖容疑者が「障害者なんていなくなればいい」という趣旨の供述をしたという報道を受けて、書かれた。

こうした容疑者の言動を知って不安になった障害者に向けて「私たち家族は全力でみなさんのことを守ります。ですから、安心して、堂々と生きてください」と訴えている。

声明全文は以下の通り。

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津久井やまゆり園の事件について(障害のあるみなさんへ)

7月26日に、神奈川県にある「津久井やまゆり園」という施設で、障害のある人たち19人が殺される事件が起きました。容疑者として逮捕されたのは、施設で働いていた男性でした。亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、そのご家族にはお悔やみ申し上げます。また、けがをされた方々が一日でも早く回復されることを願っています。

容疑者は、自分で助けを呼べない人たちを次々におそい、傷つけ、命をうばいました。とても残酷で、決して許せません。亡くなった人たちのことを思うと、とても悲しく、悔しい思いです。

容疑者は「障害者はいなくなればいい」と話していたそうです。みなさんの中には、そのことで不安に感じる人もたくさんいると思います。そんなときは、身近な人に不安な気持ちを話しましょう。みなさんの家族や友達、仕事の仲間、支援者は、きっと話を聞いてくれます。そして、いつもと同じように毎日を過ごしましょう。不安だからといって、生活のしかたを変える必要はありません。

障害のある人もない人も、私たちは一人ひとりが大切な存在です。障害があるからといって誰かに傷つけられたりすることは、あってはなりません。もし誰かが「障害者はいなくなればいい」なんて言っても、私たち家族は全力でみなさんのことを守ります。ですから、安心して、堂々と生きてください。

平成28年7月27日
全国手をつなぐ育成会連合会   会長 久保厚子


職場で虐待受けた障害者 昨年度は970人に

2016年07月29日 03時26分20秒 | 障害者の自立

仕事をしている障害者で、違法な低賃金で働かされたり、職場で差別的に扱われたりして虐待を受けた人は、昨年度970人に上ったことが厚生労働省の調査で分かりました。

この調査は、4年前に施行された障害者虐待防止法に基づき、厚生労働省が虐待の情報が寄せられた事業所を対象に毎年行っています。
昨年度は1325の事業所を調査し、このうち507の事業所で、前の年度より487人多い合わせて970人への虐待が確認されたということです。
このうち、最低賃金より安い賃金で働かされたり、賃金が支払われなかったりする「経済的虐待」を受けていた人が855人と最も多く、次いで暴言や差別的な扱いを受ける「心理的虐待」が75人、暴行されたり、体を拘束されたりする「身体的虐待」が73人でした。
厚生労働省は「製造業や医療、福祉業を中心に30人未満の小規模な事業所で最低賃金を守らないなどの虐待が目立っている。障害者の雇用が増えているなか法律を周知徹底し、事業所への指導を強化していく」としています。

7月27日   NHK


「理解超える」 障害者施設大量殺人、栃木県内にも衝撃

2016年07月29日 03時22分01秒 | 障害者の自立

知的障害者施設で入所者19人が殺害された凶行に、県内でも衝撃が広がった。残忍な手口に加え、植松聖(うえまつさとし)容疑者(26)は差別的な供述をしているとされる。障害者の家族らは「普通の感覚では理解できない」とショックを隠せない。施設をよく知る元職員による夜間の事件。施設からは「防ぎようはあるのか」と不安の声も上がった。

 「ただ驚き、悲しい。被害者に愛情を注いできた家族を思うとさらにつらい」

 知的障害者の家族らでつくる「県手をつなぐ育成会」の小島幸子(こじまこうこ)会長(53)は思いやる。重い知的障害のある息子(25)がいる。

 小島会長によると、知的障害者は危険察知が不得手で、逃げたり抵抗したりすることが難しい。「障害者差別解消法もでき、共生を目指す社会で何でこんな事が起きるのか」と無念さを口にした。容疑者は3月まで措置入院となっていた。「精神障害への偏見が進まないでほしい」

 さくら市鍛冶ケ沢の「桜ふれあいの郷」には一施設として県内最多となる約220人の知的障害者が入所する。平石準一(ひらいしじゅんいち)所長(63)は「入所者の安全確保の面からも、容疑者が元職員という面からもショック」と打ち明ける。

7月27日    下野新聞


「人は障害者を差別する」 私たちの心に根強く残るホンネとタテマエ

2016年07月29日 03時10分25秒 | 障害者の自立
碓井真史(新潟青陵大学大学院教授)
  相模原施設襲撃事件。世にも恐ろしい事件だ。19人もの人が殺害された大量殺人だからということはいうまでもない。だが、それだけではない。重度の知的障害者はいない方が良いと語る男性による、大量殺人だからだ。
 
 今回の事件は、海外でも大きく報道されている。治安の良い日本で起きた残虐な大量殺人であること、そして障害者がターゲットとされたことが、報道を世界的に大きくしている。
 
 私たちの社会は弱肉強食ではない。ルールがあり、マナーがある。順序を守って並ぶ。高齢者には席を譲る。車椅子のためにスロープを作り、視覚障害者のために点字ブロックを作る。
 
 お笑い芸人たちは、しばしば相方の欠点を指摘し笑いを取るが、実際に軽蔑しているわけではない。相手の間違いを指摘する「ツッコミ」も、侮辱ではなく愛情表現だ。
 
 子どもたちは、ケンカをすることもある。ケンカは両成敗が基本だろう。いじめが起きることもある。いじめは、両成敗ではない。被害者を守り、加害者を指導しなければならない。
 
 さらに、障害児に対するいじめなど、絶対に許されない。これは、ただの理想や抽象論ではない。学校現場において、障害児に対して、その障害のゆえのいじめなど起きたら大問題だ。即座に教育委員会に報告され、普通のいじめ問題以上に、加害者は強く指導されることになる。
 
 芸能人や政治家の発言もそうだろう。公の場、ネット上などで、障害者を差別するような発言がなされたら、大炎上するだろう。
 
 しかし、それでも障害者差別はある。人は、障害者を差別する。たとえば、人は見慣れないものに不安や不快感を感じる。手足がない人や、奇妙な歩き方をする人を突然見たら、戸惑う人は多いだろう。
 
 これは、身体障害者に限らない。たとえば外国人を見たこともない人が、金髪青い眼の白人など見たら、やはり戸惑い、不安を感じるだろう。ただし、見慣れれば大丈夫だ。今は、街中で普通に外国人を見る。
 
 パラリンピックなどの機会も大切だ。身体障害のある人々が活躍する様子を始終見ていると、もうその障害の部分にだけ注目することは少なくなり、純粋に競技が楽しめるようになる。
 
 それでも、人は差別が好きだ。人は他の人と比較することで自分自身のイメージを作る。人は、自信があるときには自分より優れた人物と比較して自分を正しく見ようとし、自信がないときには自分より弱い相手を比較して、歪んだ優越感を得ようとする。
 
 自分たちのチームの実力を知りたいために、強いチームと試合することを願うこともあれば、自分より弱い相手と試合し、楽々勝って相手を見下すようなチームもあるだろう。
 
 健常者である自分と障害者である誰かを比較して、歪んだ優越感を得ようとすることもある。相手が経済的にも人格的に優れているとしても、自分のように普通に歩くことができなければ、その部分を侮辱することもあるだろう。
 
 身体障害以上に、精神障害や知的障害は、微妙で複雑な問題を抱えている。以前であれば、街中で車椅子を見れば、奇異な目で見る人もいただろう。さすがに、現代では見慣れてきたために好奇な目で見る人はいないだろうが。
 
 邪魔者扱いをする人はいるだろう。もちろん、車椅子もルールやマナーをわきまえずに、通行の邪魔をしてはならない。しかし、道には様々な人がいる。子どもも高齢者も、ベビーカーも通る。強く速い人だけが他を押しのけて歩いて良いわけではない。そこに車椅子や視覚障害者がいても、同じだ。
 
 むしろ、子ども、高齢者、車椅子などは、道路上の交通弱者である。交通強者としての自動車は、特に交通弱者に注意して守らなければならない。
 
 車椅子が来たからといって、露骨に不愉快な顔をする人は、現代のまともな市民にはいないはずだ。それだけ、私たちは学んできた。しかし、知的障害や精神障害ならどうだろうか。
 
 たとえば、誰かが場違いな笑顔でへらへらと笑いながら近づいてきたらどうだろう。何らかの障害があるだろうと予測ができても、嫌な顔をしてその場を離れる人は、今も少なくないだろう。
 
 近所に内科や外科の病院ができることは、多くの人が歓迎する。だが、精神病院ができることを反対する人は、少なくないだろう。近所に身体的なリハビリ施設ができることに反対する人は、少ないかもしれない。だが、知的障害者の施設ができるとなれば、反対もあるだろう。
 
 「弱きを助け、強きをくじく」。日本人が慣れ親しんできた言葉だ。特に若者たちは、強いものと対決し、伝統を否定し、弱いものを助けようとしてきた。しかし、現代の若者は違ってきている。
 
 若者は保守化し、そして強いものとの対決を避けるものもいる。さらに、弱者を攻撃する若者もいる。校長にも政府にも逆らわないが、弱いものいじめをたり、ホームレスを攻撃するような若者たちだ。弱者への攻撃でストレス発散を行う人もいる。ネット上でのひどい差別的発言をストレス発散で行っている人もいるだろう。
 
 いじめは、実は自分より優れたものに対して行われる。自分の方が上だと余裕をもって感じるなら、わざわざいじめる必要はない。自分より優れている人が憎く感じ、その人が持つ些細な弱点を突いていくのが、いじめだ。弱点は、ケンカをしないことかもしれないし、苗字が少し変わっていることかもしれない。つまり何でも良いのだ。
 
 だが弱者に対するいじめも当然あるだろう。成績も良く、裕福で、スポーツもでき、外見も良い人が、何をしてもダメな人をいじめることもある。これは、単なるストレス発散ではなく、自分の方が優れているのに、相手の方が愛されたり認められたりしていることが我慢できないと感じるのだ。
 
 自分が虐げられているのに、自分よりも劣っている人が特別な配慮を受けているなどと感じれば、相手への憎しみが増すだろう。こうして、障害者差別や人種差別が起きることもあるだろう。
 
 今回の事件の容疑者は、障害者は家族や施設職員を苦しめるという。障害者がいない方が、経済的に繁栄し、平和になると衆議院議長あての手紙で語っている。施設には、重度の障害者が多かった。今回彼は、コミュニケーションが取れない障害者を狙ったとも語っている。
 
テレビの出演者たちは、許されない犯罪だと異口同音に語っている。その通りだ。テレビを見ている人も同感だろう。しかし、その私たちに障害者、特に精神障害、知的障害者に対する偏見差別はないだろうか。隣に知的障害者施設ができるなら、反対しないだろうか。
 
 重い知的障害に重い身体障害が重なっている人もいる。彼らを、社会のお荷物だと感じる意識は、微塵もないだろうか。
 
 事件に感じる世にも恐ろしさは、そこにある。私たちは殺人はしないだろう。公の場で無配慮に差別的発言をすることもないだろう。だが、私たちの心の中にも、まだまだ精神障害や知的障害に対する偏見差別は根強く残っていると言わざるをえない。
 
 容疑者男性の言動の一部は、おそらく妄想的なものだろう。しかし同時に、現代の私たちがまだ解決できていない障害者差別への思いに通じる部分はある。自分を安全な場所に置き、容疑者男性を責めるだけでは、いけない。犯罪は、社会を映す鏡だ。目を開き、事件の全容を見、そして現代社会と私たち自身の姿をも見なければならない。
 
 

「障害者堂々生きて」 県内家族団体、命の重み訴え

2016年07月29日 03時04分17秒 | 障害者の自立

 19人が刺殺された神奈川県相模原市の障害者施設殺傷事件は、兵庫県内の障害者やその家族に大きな衝撃を与えている。障害者の尊厳を否定するような植松聖(さとし)容疑者(26)の言動に、障害者の家族は深く傷つきながら、命のかけがえのなさを訴える。

 知的障害がある人の親ら約千家族でつくる「神戸市手をつなぐ育成会」の後藤久美子会長(60)の長男(34)は自閉症で、軽度の知的障害がある。長男は繰り返される事件のニュースをじっと見て「お母さん、僕は大丈夫ですか。仕事場に悪い人は来ませんか」と不安を口にするという。

全国手をつなぐ育成会連合会が27日、「障害のあるみなさんへ」と題して、ホームページに公表したメッセージの一部。高まる不安をぬぐうため、兵庫県内の会員にも届けられる

2016/7/28  神戸新聞NEXT