全国初の障害者スポーツ施設 多くのパラリンピアン輩出
全国初の障害者スポーツ施設「大阪市長居障がい者スポーツセンター」(東住吉区)の利用者数が11日、1000万人を突破した。1974年の開館以来、スポーツを通じた交流の場として親しまれ、リオデジャネイロ・パラリンピックの競泳男子100メートル背泳ぎ(知的障害)で銅メダルを獲得した津川拓也ら、多くのパラリンピアンも輩出してきた。
「行きます!」「入った。ナイスボール!」−−。週末と重なった11日の体育室。卓球台が10台近く並べられ、視覚障害のある人たちが激しいラリーを続ける。「シャラシャラ」と音がする特殊な球を使う。全盲の米沢浩一さん(56)=京都市上京区=は「30年以上通っている。ここで生きがいを手に入れた」と声を弾ませた。
卓球の後、電動車いすを使ったサッカーの練習試合が始まった。「ここでサッカーができる楽しみがあるから、長生きもできている」。筋ジストロフィーの宮脇以幸(しげゆき)さん(41)=大阪市東成区=が操作装置を巧みに動かして車いすを回転させ、シュートを決めた。
センターは、64年の東京パラリンピックを機に障害者スポーツが注目されたため、設立された。リハビリテーションの一環という認識だけでなく、「競技力の向上」を目標の一つに掲げた。競技人口を増やすため出張教室を各地で開き、利用者のクラブも開設した。クラブのメンバーが開催した競技会が、日本選手権大会に発展したケースもある。
80年のオランダ・アーヘン大会で金メダルを獲得したアーチェリーの大前千代子さん(60)=大阪市住吉区=は大学卒業後、センターでアーチェリーに出合った。幼い頃に病気で下半身まひとなり、競技とは無縁と思っていた。「一緒にがんばる仲間がいたのが大きな励みだった。人生が変わるきっかけをくれた場所」と振り返る。
昨年度の利用者は約38万7000人と開館時の約5倍。三上真二館長(53)は「家族に半ば強引に連れて来られ、のめり込むケースも多い」と言う。昨年、精神障害者向けフットサル教室を始めた。三上館長は「トライアスロンの教室も開きたい。東京パラリンピックも見据え、スポーツをしたい人に環境を提供するのが使命」と話した。【大森治幸】
大阪市長居障がい者スポーツセンター
1974年、大阪市東住吉区の長居公園に「大阪市身体障害者スポーツセンター」として開館。2階建て延べ約8500平方メートル。屋外プール、卓球室、体育室、ボウリング室など13施設を備える。開館時から専門の指導員がサポートしている。リオ・パラリンピックには津川ら6人のセンター出身者が出場している。
大阪市長居障がい者スポーツセンターで卓球を楽しむ人たち
毎日新聞 2016年9月13日