ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

「障害者差別解消」神奈川県から全国に発信

2016年09月24日 02時49分40秒 | 障害者の自立

 相模原市緑区の障害者施設「県立津久井やまゆり園」で発生した殺傷事件からまもなく2ヶ月が経過します。元施設職員の男の犯行により19人が刺殺され、27人が負傷した事件は社会を大きく震撼させ、かつては「福祉先進県」と称された神奈川の地で、障害者が狙われた最も惨忍な事件として、犯人に対し、強い憤りを覚えます。

 今月8日から開会した県議会では、全会派の代表質問で事件における県行政、警察本部の対応や障害者福祉における計画及び政策の抜本的な見直し、入所者の心のケア、今後の津久井やまゆり園の再生に向けての議論が交わされました。

 前号で我が会派として、障害のある人もない人も安心して安全に暮らすことのできる共生社会の実現を目指す条例の制定について提案することをお伝えしました。本県ではまだ制定されていない共生条例の必要性について、会派を代表して菅原直敏議員(大和市)が黒岩知事の姿勢を質しました。

 知事は「事件のあった神奈川から障害者差別の解消を全国に発信して行く。共生条例は障害者に対する正しい理解と普及啓発を進める上で一つの選択肢だ。条例制定の必要性も含め検討していく」と答弁しました。

 引き続き、障害者団体の皆様とも意見交換をしながら条例制定に向けて取組んでまいります。

2016年9月23日   タウンニュース


安永さん支援団体解散 墓前に報告 9年の活動振り返る

2016年09月24日 02時42分32秒 | 障害者の自立

 佐賀市で警察官に取り押さえられた直後に死亡した知的障害者の安永健太さん(当時25歳)の裁判を支援してきた団体「安永健太さんの死亡事件を考える会」が22日、安永さんの墓参りをして解散を報告した。約20人が参列して9年間の活動を振り返り、障害に対する理解を促していく決意を新たにした。

 命日の25日を前に同市北川副町の寺を訪れ、墓前に花を供えて線香を上げた。熊容子代表世話人は「福祉に携わる誰もが障害者の安心を懸命に守ってきた中で事件が起きてしまった。楽しみだった自宅に帰る途中で亡くなった無念さを思うと今もつらい」と涙を流した。

 裁判を担当してきた河西龍太郎弁護士は「裁判官でさえ障害に対する理解が不十分な現状が明らかになった。障害者の権利を守るための先陣を切った裁判として大きな意義があった」と振り返った。

 考える会は署名活動や裁判傍聴などを行い、全国に支援の輪を広げてきた。裁判が全て終了したのに伴って解散を決めた。裁判では警察官の取り押さえの違法性は最後まで認められなかった。安永さんの父孝行さん(55)は「応援がなければ裁判もなかった。真相は明らかにできなかったが、皆さんに支えられて幸せだった」と感謝の言葉を述べた。

安永健太さんの墓に花を供える支援団体の関係者=佐賀市北川副町

2016年09月23日   佐賀新聞


「銀」の喜び被災の母へ ボッチャの木谷選手が帰省

2016年09月24日 02時34分57秒 | 障害者の自立

 リオデジャネイロ・パラリンピックのボッチャで、日本代表チーム初の銀メダルに輝いた木谷隆行選手(47)=大分県別府市=が22日、母親の宮本克美さん(70)が住む西原村に帰省。メダル獲得の喜びを報告した。

 JR熊本駅に到着した木谷さんは、出迎えた克美さんと抱き合って涙を流し、「苦しかったことなど、思いが込み上げた」と照れ笑い。メダルを手渡された克美さんは「重みが違う」と感慨深げだった。

 木谷さんは鹿児島県屋久島出身。1歳の頃に高熱で脳性まひになり、手足の機能障害がある。学齢期は佐世保市で過ごし、21歳で別府市の障害者施設「太陽の家」に入所。30歳から重度障害者のために開発されたボッチャを始めた。

 克美さんは合宿や大会に付き添い、木谷さんを支えてきた。だが熊本地震で西原村の自宅は全壊。仮設住宅からの応援となった。

 更地になった実家の敷地を見た木谷さんは「現実に驚いた。母を元気づけるために何としてもメダルを持ち帰りたかったので、実現できてうれしい」。克美さんも「地震以降は支えてやれなかったが、よくやった」とねぎらった。

 木谷さんは「東京大会にも出場して、もっと良い成績を残したい」と4年後を見つめた。

熊本地震で実家が全壊し、更地となった敷地を訪れた木谷隆行選手(左)と、銀メダルを掛けた母親の宮本克美さん

2016年09月23日   熊本日日新聞


ライブ放送が激減したパラリンピック NHKは最終種目の車いすマラソンをなぜ放送しなかったのか?

2016年09月24日 02時08分17秒 | 障害者の自立

 9月18日(日本時間19日)に閉幕したリオ・パラリンピックで日本選手の金メダルはゼロに終わった。1964年の東京大会以降、金メダルなしは初の事態だが、総メダル数は24個に及んだ。メダルの色はさておき、それぞれに劇的なドラマがあった。パラリンピックは五輪以上に人間の多様性を知る機会となり、そこにたどり着くまでのプロセスに「感動」がある。ところが、NHKは12日間の熱戦をダイジェスト版のような形で放送するなど、1カ月前のリオ五輪時とは“雲泥の差”の報道姿勢だった。何より悔やまれるのは、大会最終日、金メダルの期待がかかった男女マラソン(視覚障害)と車いすマラソンのライブ中継がなかったことだ。

感動と共感を呼ぶコンテンツ

 パラリンピックの競技は五輪種目に比べてなじみが薄い。そのため映像を駆使した丁寧な説明が求められる。今大会、NHKはボッチャをはじめ、健常者がふだん触れることの少ないマイナー競技にも時間を割いた。障害者スポーツに対する理解を深めることに公共放送がひと役買ったことは評価できる。

 しかし、深夜から未明にかけての競技には冷淡そのものだった。大会最終日(日本時間18日午後9時号砲)の男女マラソンにメダル獲得が有力視されたアスリートが次々と登場した。悲願の金メダルにあと一歩届かなかったが、視覚障害のマラソンで男女1つずつのメダルが生まれた(女子の道下美里が銀、男子の岡村正広が銅)

 連日、日本選手が表彰台に上がるものの、メダルの色は銀か銅。視覚障害のマラソンを終えた時点で、日本のパラ関係者はフィナーレを飾る最終種目に望みを託したに違いない。切り札は車いすマラソンの第一人者、土田和歌子だった。夏冬計7度目のパラリンピックに出場。海外でも名の知れたスーパーウーマンだが、2000年シドニーで銅、04年アテネで銀。「マラソン金」に闘志を燃やしてリオに乗り込んできた。レースはゴール直前までデッドヒートの様相を呈した。土田はトップとわずか1秒差の4位だった。

 車いすマラソンのスピード感は見る者を釘付けにする。健常者のマラソンよりもフィニッシュタイムは約40分速く、パラリンピックにありがちな「ユックリズム」はない。

 「NHKはリオ・パラリンピック直前、Eテレで障害者を『感動』の道具とする他局のスタンスを批判した。その後だけに、福祉に対するNHKらしい報道姿勢をパラリンピックで示してほしかったが、五輪に比べるとだいぶ消極的な印象を受けた」とある五輪ウオッチャー。仮に土田が金メダルを獲得していたら、NHKは大会の最後の最後に誕生した「日本人金メダル第1号」を伝える絶好機を逸していたことになる。うがった見方をすれば、視聴者の苦情が殺到する事態も予想されただけに、NHK幹部の中には金メダルゼロに安堵する気持ちもあったのではないか。

 五輪後、メディアは一斉に撤退?

 パラリンピック男女マラソンの時間帯のNHKの番組編成は、皮肉にもスポーツ番組だった。地上派がゴルフの日本シニアオープン最終日(録画放送)、衛星はサッカーの英プレミアリーグの中継だった。ゴルフやサッカー中継も大事だが、世界一を決める最高峰の大会で障害を抱えた日本人アスリートが奮闘する姿をライブで伝えることこそ公共放送としての役割でなかったのか。繰り返すが、41歳の日本女性の最後になるかもしれない挑戦の一部始終を伝えることは、メダル獲得のいかんに関わらず感動を呼ぶはずだ。

 約1カ月前のリオ五輪の終了と同時に、世界の各メディアは取材態勢を一気に縮小していったという。そうした批判は日本の新聞社にもあてはまり、謙虚に耳を貸さねばならないが、せめて天下のNHKだけは4年に一度のパラリンピアンの大舞台に対して“最大級の配慮”がほしかった。

レース最終盤までデッドヒートが展開された女子の車いすマラソン。4位の土田和歌子は優勝タイムとわずか1秒差、劇的な幕切れだった(ロイター)

レース最終盤までデッドヒートが展開された女子の車いすマラソン。4位の土田和歌子は優勝タイムとわずか1秒差、劇的な幕切れだった(ロイター)

初実施となった女子マラソン(視覚障害)。酷暑の中、ふらふらの状態でゴールする日本の近藤寛子(ロイター)

初実施となった女子マラソン(視覚障害)。酷暑の中、ふらふらの状態でゴールする日本の近藤寛子(ロイター)

女子マラソン(車いす)でトップと1秒差の4位に泣いた土田和歌子。ゴール後、無念の表情を浮かべた=リオデジャネイロ(共同)

女子マラソン(車いす)でトップと1秒差の4位に泣いた土田和歌子。ゴール後、無念の表情を浮かべた

2016.9.22   産経ニュース


「鑑定」 「無罪」の単語を検索

2016年09月24日 02時03分31秒 | 障害者の自立

相模原殺傷事件の容疑者

 相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が刺殺され27人が負傷した事件で、元施設職員植松聖容疑者(26)=男性入所者9人殺害容疑で再逮捕=が事件の数カ月前から「鑑定」「心神喪失」「無罪」などの単語をインターネットで検索していたことが21日、捜査関係者への取材で分かった。

 捜査本部は、精神鑑定で刑事責任能力が問えないケースに該当する条件や、その場合の司法手続きを事前に調べた上で襲撃の計画を練っていたとみている。

 地検は植松容疑者の精神状態を調べる鑑定留置を21日から開始したと明らかにした。期間は来年1月23日までの約4カ月間。

2016/9/22   BIGLOBEニュース