9月18日(日本時間19日)に閉幕したリオ・パラリンピックで日本選手の金メダルはゼロに終わった。1964年の東京大会以降、金メダルなしは初の事態だが、総メダル数は24個に及んだ。メダルの色はさておき、それぞれに劇的なドラマがあった。パラリンピックは五輪以上に人間の多様性を知る機会となり、そこにたどり着くまでのプロセスに「感動」がある。ところが、NHKは12日間の熱戦をダイジェスト版のような形で放送するなど、1カ月前のリオ五輪時とは“雲泥の差”の報道姿勢だった。何より悔やまれるのは、大会最終日、金メダルの期待がかかった男女マラソン(視覚障害)と車いすマラソンのライブ中継がなかったことだ。
感動と共感を呼ぶコンテンツ
パラリンピックの競技は五輪種目に比べてなじみが薄い。そのため映像を駆使した丁寧な説明が求められる。今大会、NHKはボッチャをはじめ、健常者がふだん触れることの少ないマイナー競技にも時間を割いた。障害者スポーツに対する理解を深めることに公共放送がひと役買ったことは評価できる。
しかし、深夜から未明にかけての競技には冷淡そのものだった。大会最終日(日本時間18日午後9時号砲)の男女マラソンにメダル獲得が有力視されたアスリートが次々と登場した。悲願の金メダルにあと一歩届かなかったが、視覚障害のマラソンで男女1つずつのメダルが生まれた(女子の道下美里が銀、男子の岡村正広が銅)
連日、日本選手が表彰台に上がるものの、メダルの色は銀か銅。視覚障害のマラソンを終えた時点で、日本のパラ関係者はフィナーレを飾る最終種目に望みを託したに違いない。切り札は車いすマラソンの第一人者、土田和歌子だった。夏冬計7度目のパラリンピックに出場。海外でも名の知れたスーパーウーマンだが、2000年シドニーで銅、04年アテネで銀。「マラソン金」に闘志を燃やしてリオに乗り込んできた。レースはゴール直前までデッドヒートの様相を呈した。土田はトップとわずか1秒差の4位だった。
車いすマラソンのスピード感は見る者を釘付けにする。健常者のマラソンよりもフィニッシュタイムは約40分速く、パラリンピックにありがちな「ユックリズム」はない。
「NHKはリオ・パラリンピック直前、Eテレで障害者を『感動』の道具とする他局のスタンスを批判した。その後だけに、福祉に対するNHKらしい報道姿勢をパラリンピックで示してほしかったが、五輪に比べるとだいぶ消極的な印象を受けた」とある五輪ウオッチャー。仮に土田が金メダルを獲得していたら、NHKは大会の最後の最後に誕生した「日本人金メダル第1号」を伝える絶好機を逸していたことになる。うがった見方をすれば、視聴者の苦情が殺到する事態も予想されただけに、NHK幹部の中には金メダルゼロに安堵する気持ちもあったのではないか。
五輪後、メディアは一斉に撤退?
パラリンピック男女マラソンの時間帯のNHKの番組編成は、皮肉にもスポーツ番組だった。地上派がゴルフの日本シニアオープン最終日(録画放送)、衛星はサッカーの英プレミアリーグの中継だった。ゴルフやサッカー中継も大事だが、世界一を決める最高峰の大会で障害を抱えた日本人アスリートが奮闘する姿をライブで伝えることこそ公共放送としての役割でなかったのか。繰り返すが、41歳の日本女性の最後になるかもしれない挑戦の一部始終を伝えることは、メダル獲得のいかんに関わらず感動を呼ぶはずだ。
約1カ月前のリオ五輪の終了と同時に、世界の各メディアは取材態勢を一気に縮小していったという。そうした批判は日本の新聞社にもあてはまり、謙虚に耳を貸さねばならないが、せめて天下のNHKだけは4年に一度のパラリンピアンの大舞台に対して“最大級の配慮”がほしかった。
レース最終盤までデッドヒートが展開された女子の車いすマラソン。4位の土田和歌子は優勝タイムとわずか1秒差、劇的な幕切れだった(ロイター)
初実施となった女子マラソン(視覚障害)。酷暑の中、ふらふらの状態でゴールする日本の近藤寛子(ロイター)
女子マラソン(車いす)でトップと1秒差の4位に泣いた土田和歌子。ゴール後、無念の表情を浮かべた
2016.9.22 産経ニュース