ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

「障害者パロディ」がNHKにできても日テレにはできない理由

2016年09月03日 03時30分52秒 | 障害者の自立
 夏の終わりの恒例番組「24時間テレビ 愛は地球を救う」(日本テレビ系)。今年で39回を迎えた。もはや季節の風物詩だ。いつもなら夜中のドキュメンタリー番組に出てきそうな「障害者」の問題を、ゴールデンタイムに放送する。人気アイドルと共に頑張る障害者の姿は、視聴者の感動を誘う。視聴率もほどほど良い。 
 一方、NHK教育テレビの「バリバラ」。この番組もユニークだ。近年のNHK教育テレビは攻めてきている。微妙な障害者問題を、まるでタブーなどないかのように表現する。真面目な話題を、ちょっと笑いにしたり、少し斜に構えたりして取り上げる。
 
 さて、今年の「24時間テレビ」の裏の時間帯で、NHKはますます攻めてきた。「笑いは地球を救う」だ。明らかに、「24時間テレビ」をパクっている。スタジオのセットもロゴもTシャツも。そして「検証!<障害者×感動>の方程式」がテーマだ。番組の中では、「感動ポルノ」などという言葉まで登場する。
「笑いは地球を救う」というキャッチフレーズを掲げたNHKEテレ「バリバラ」
 
「笑いは地球を救う」というキャッチフレーズを掲げたNHKEテレ「バリバラ」
 
 ある報道では、NHKが「24時間テレビ」を痛烈批判などと表現していたが、違うだろう。これはパロディーだ。「笑い」なのだ。
 
 「障害者」とはなんだろう。それは、社会的弱者。それは、マイノリティ。それは、かわいそうな人。それは、同情の対象。それは、頑張っている人。それは、清く貧しく美しい人々。
 
 ポルノとは、猥褻(わいせつ)な文学、絵、写真の事だが、最近はもっと広い分野でこの言葉を使う人々がいる。たとえば「フードポルノ」は、料理をことさら魅力的に表現するものだし、「キャリアポルノ」は読んでいると気持ちよくさせてくれる自己啓発書などを指して言う。
 
 障害者ポルノ、感動ポルノは、障害者の物語をことさら魅力的に仕立て上げ、作られた感動を押し付けるようなものだろう。
 
 しかし、頑張っている障害者を感動的に紹介することの何が悪いのだろうか。いや、これは悪くないだろう。けれども全ての障害者が頑張っているわけではない。障害者はみんな頑張っているというのなら、健常者だってみんな頑張っている。
 
 今回の「バリバラ」では、骨形成不全症でコメディアン兼ジャーナリストのステラ・ヤングのスピーチが紹介された。彼女が、障害者の感動ポルノという言葉を作った人だ。ステラは、10代の時、地域の「達成賞」をもらったという。しかし、彼女は思った。自分は普通に生きているだけ。まだ何も達成などしていないと。
 
 私は、かなり小柄な男性だ。もし誰かが、「あなたはこんなに小さいのに、とても頑張って生きてきました。感動しました。表彰します」と言われたらどうだろう。あまり素直には喜べないかもしれない。チビ、ハゲ、デブ、ノッポ。音痴、不器用、近眼、老眼。ああ、それなのにあなたはこんなに頑張ってきた、素晴らしい。そう言われて、うれしいだろうか。
 
 それは、私が障害者手帳を持っていないからだろうか。では、障害者手帳がもらえるような低身長なら、賞賛を素直に喜べるだろうか。
 
 頑張っている人はたしかに素晴らしい。県大会目指して一生懸命練習している中学生を見ただけで、私たちは十分感動できる。ただそれだけだと、テレビ番組にはならないだろう。
 
 障害者の頑張りは、わかりやすいのだ。それに、中学校の部活は多くの人が体験しているが、目が見えなかったり、手足がなかったりすることは、多くの人は経験していない。そのような障害があるのに、普通に生活し、ましてやスポーツなどしているのは、素直に驚くし、すごいと人々は思う。
 
 しかし、障害者だから素晴らしいのではなく、困難を乗り越え、挑戦している姿が素晴らしいのだ。障害者でも、健常者でも、チャレンジしている人は、賞賛に値する。感動が生まれる。
 
 けれども多くの障害者は、普通に生活しているだけだ。普通の生活を普通に取材して普通に放送しても、それはゴールデンタイムの放送には耐えられない。そこで、「24時間テレビ」では、特にチャレンジしてきた障害者を2時間ドラマにして紹介したりする。普通の障害者に何か困難な課題を与え、そこに挑戦する姿を番組にする。
 
 番組だから、編集はある。演出もある。それは、真面目なドキュメンタリーも同じだ。厳しいコーチとして有名な人を取り上げるなら、特に怒鳴っている場面が使われるものだろう。
 
 しかし、「障害者」という枠組みで、すべての障害者を感動の対象としてしまうことに、問題は感じる。それは、女性をモノ化してポルノを作るのと同様に、障害者をモノ化した感動ポルノになる危険性があるからだ。
 
 感動自体が悪いわけではない。今回の「バリバラ」でも次のように語られている。「誤解してほしくないのは、感動は悪くないんですよ。感動の種類をちゃんとわかってないと怖い」「一番怖いのは無意識」。
 
 「24時間テレビ」の社会的貢献は大きいと思う。39年間の間に、多くの寄付金を集め、障害や難病の理解を深めた。有名アイドルと障害を持った人々の交流は、心のバリアフリー解消のために貢献してきたと思う。
 
 「24時間テレビ」は、一般向け、子どもを含めた初心者向けだ。その意義は大いにあるだろう。ただし、39年間の間に世の中もマスメディアも、少しずつ進歩してきている。パラリンピックが大きな注目を集める時代だ。NHKが、障害者問題でパロディーができるようになった現代だ。感動は素晴らしいが、それだけで良いのかと、私たちは問い始めている。
 
リオデジャネイロ・パラリンピックの選手村に入る日本選手団=8月31日(共同)
 
リオデジャネイロ・パラリンピックの選手村に入る日本選手団=8月31日(共同)
 
 障害者への配慮は必要だし、思いやりは素晴らしい。しかし、気をつけなくてはならない。その優しい思いの裏に、賞賛の声の下に、偏見や差別の心が潜んでいないか。障害者は、あなたの態度を歓迎しているのか。
 
 社会心理学の研究によると、障害児と健常児をただ一緒にするだけでは偏見の思いは無くならない。健常児たちは優しい心を持って障害児を助けるのだが、その結果は、障害児は私たちの助けが必要な弱い人という偏見を強めてしまう。
 
 そこで、障害児が持つ特徴や能力を活用し健常児と協力しあわなければ勝てないゲームをやらせる。そのような体験が、偏見差別の心理を減らす効果があった。
 
 ジェンダーに関する研究では、レディーファーストを「好意的差別」と呼ぶことがある。レディーファーストができる男性は、評価が高くなるのだが、これらの男性の中には、無意識的に女性を低く見る「敵意的差別」をも同時に持っている人々がいることがわかっている。
 
 それにしても、障害者問題、差別問題は複雑だ。すべての障害者が過剰な賞賛や同情を拒否するわけでもない。同じ言葉や態度に対して、喜ぶ人もいれば傷つく人もいる。そうだ、人の心は複雑で、人それぞれなのだ。
 
 障害者も健常者も、いろんな人がいる。日常生活があり、笑いも感動もある。そんな私たち一人ひとりが、もっと自由に、もっと楽しく生きていける社会にしていきたい。
 
iRONNA(いろんな)
 

「障害者との塀いらぬ」 根強い差別と格闘 金沢・福祉従事者が訴え

2016年09月03日 03時26分40秒 | 障害者の自立

 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者らが殺傷された事件は、容疑者の障害者に対する差別的な供述内容とともに、多くの人たちに衝撃を与えた。一方で事件は重度の障害を持つ人たちを改めてクローズアップさせ、彼らを社会はどう受け止めているのかという根源的な問いを突きつけているようにも映る。県内の同種施設を訪れ、障害者福祉の最前線に立つ人たちの思いを聞いた。

 訪れたのは、金沢市上中町の知的障害者施設「ふじのき寮」。社会福祉法人「松原愛育会」が運営し、20〜80代の男女81人が入所している。「一人一人を大切にする」を理念に掲げ、入所者の希望に応じた生活サイクルを心がけているという。部屋も一人一人に個室があてがわれている。

 入所者は毎日、午前9時から午後5時までの間、何らかの活動に従事する。何をするかは一人一人の能力に応じて決まり、箱折りや割り箸の袋詰めといった単純作業に取り組む人もいれば、外で日光浴をしたり散歩したりする人もいる。

 そもそも、なぜ彼らは施設で暮らしているのか。施設管理者の藤井宣雄さん(69)は「(世話で)両親が働きに行けなかったり、家族が亡くなってからのことを考えたりする中で、障害のある子供を入所させる場合がある」と話す。

 週末は家族の元に戻る若い入所者がいる一方、1974年の設立時からずっと施設で暮らし続ける人もいる。家族とのつながりを失い、身元引受人がいない人もいるという。置かれた状況はそれぞれ異なる。

 相模原の事件では容疑者の供述内容にも焦点が当たり、ネットには同調するような心ない書き込みも見受けられる。

 藤井さんは「人の命の重さは障害の有無にかかわらず同じ。どうして容疑者のような発想が出てくるのか」と疑問を呈す。その反面、障害者への差別は社会に根強くあるとも感じている。「『可哀そう』と言う。でも心の中では『自分の子供に障害がなくて良かった』と思う感覚は誰にでもあるのではないか」

「きれい事」ではいかないことも

 冨田和幸支援課長(51)に施設内を案内してもらった。ふじのき寮の職員は51人。81人の入所者と向き合う中で、厳しい状況に直面することもあるのだろう。「きれい事ではいかないこともある。それでも、私たちが(障害者を)特別視していはいけない」。冨田さんはそう話した。

 事件を受け、ふじのき寮でも警備態勢を見直し、防犯センサーやフェンスの増設を決めた。ただ、地元の祭りに参加するなど、元々地域との交流を重視してきた歴史もある。ハード面ばかりを強化することが、必ずしも良いとは言えない。

 藤井さんは自戒を込めるように「僕らがすることは『塀』を作ることではない。入所者の代弁者になり、いかに世間に彼らを理解してもらうかだ」と語った。

毎日新聞   2016年9月1日


障害者への配慮実践 和歌山・鳥取が協定

2016年09月03日 03時14分30秒 | 障害者の自立

障害の特性を理解し、障害のある人への手助けや配慮を実践する「あいサポート運動」に県が本年度から参加するに当たり、同運動発祥地・鳥取県と協定を結ぶ「あいサポート運動キックオフセレモニー」が8月31日、和歌山市のホテルアバローム紀の国で開かれ、障害者やボランティア団体、NPOの関係者ら約250人が参加した。

同運動は平成21年に鳥取県で始まり、ことし6月末時点で全国7県7市町に広がっている。
和歌山、鳥取両県が参加する関西広域連合の議会で同運動を知った仁坂吉伸知事が共感し、鳥取県に協定を申し入れた。さまざまな障害の特性などを解説したDVDや資料を配布し、一定の理解や取り組みが認められた個人や企業・団体をあいサポーター、あいサポート企業・団体に認定する。

セレモニーでは、仁坂知事と鳥取県の平井伸治知事が協定書にサインし、平井知事が鳥取県の取り組みを講話した。

仁坂知事は「障害がある方もない方も幸せに暮らせる社会をつくりたい。そのための工夫として障害があることを知らせる札『ヘルプマーク』を導入した。きょうはこの運動を最初に始められた平井知事に思いを語っていただきたい」とあいさつ。

平井知事は、自身の祖父が和歌山出身という縁や、江戸時代における紀州藩と鳥取藩の強いつながりを紹介。同運動に着手したきっかけとして、平成19年に日本が障害者権利条約に署名したことを挙げ、「これをきっかけとして社会運動にしなければと思った」と話した。

さらに、学生時代のボランティア経験や平成23年に選挙運動で骨折し、車いす生活を送った経験から「障害のあるなしに関係なく、同じ感情を持ち、懸命に生きている」ことを学んだという。教育現場への手話学習の導入などの先駆的な取り組みが紹介されると、会場から感嘆の声が上がった。

講話の最後に平井知事は、障害を抱えながら社会福祉活動に情熱を注いだ米国のヘレン・ケラーの言葉「私は光の中で一人で歩くより、暗闇の中を友達と歩く方が良い」を紹介し、「障害を知り、共に生きるを合言葉に運動を広げていきましょう」と呼び掛けた。

仁坂知事は終了後の取材に対し「各地の良い取り組みは積極的に取り入れ、具体的に行動していきたい」と話した。

協定書を手にする仁坂和歌山県知事㊧と平井鳥取県知事

協定書を手にする仁坂和歌山県知事㊧と    平井鳥取県知事

 
16年09月01日   わかやま新報オンラインニュース
 

日テレはナメているのか? 障害者の私が見た24時間テレビの違和感

2016年09月03日 03時08分15秒 | 障害者の自立
佐々木一成(Plus-handicap編集長) 

 今から3年前の2013年8月末。「24時間テレビにナメられてしまっている障害者の現在地」という記事を書いてみた。障害者が社会に出ていかないから「御涙頂戴」の材料として障害者が描かれるんですよと発信してみたら、ものの見事に炎上した。
 
 「24時間テレビの何が悪い」「障害理解に一役買っている」「僕だって出たい」そんな反応とコメントが主にtwitterを経由して届いた。24時間テレビがもつ「障害者×感動」の方程式に、NHKのバリバラが斬り込んだ今年を思うと、3年前って多くのひとが24時間テレビに対して割と肯定的だったんだなと思い出すことができる。
 
 この3年間に何があったのか。おそらく「障害者は感動ポルノとして健常者に消費される」というタイトルの記事が出回ったことが大きい。
 
 オーストラリアのコメディアン、ステラ・ヤング氏が2014年のTEDxSydneyに出演した際のプレゼンの紹介記事が大きな反響を呼んだ。障害当事者やその家族、支援者だけでなく、ネットメディアで情報を得る多くのひとがこの記事に賛同していた。
 
 「お前、障害者のこととか興味あったの?」と勘繰りたくなる地元の悪友でさえ「感動ポルノなんて気持ち悪い」とか言う始末。障害者をどう報じるか、どう取り扱うかというテーマが市民権を得たのは、ここ最近の話である。
 「障害者×◯◯」という方程式に感動を代入しますか? 笑いを代入しますか? これが24時間テレビとバリバラの分かりやすい構図だが、実は、そんなことはどうでもいい話で、そもそも「障害者が何かをやる」という前提で企画を練る発想に、違和感を覚える。
 
 この国には「障害者フィルター」が存在している。障害者が何かをやるだけですごいと思ってしまう価値観フィルターだ。健常者(何をもって健常者というか怪しくなってきた気がするが)と違い、どこかに障害を抱えているから障害者であるわけで、その障害分のマイナスをパフォーマンスで補ったとき、ひとは「すごい」と感じるスイッチを入れてしまうのである。「障害者×◯◯」という式は、この「障害者フィルター」を前提条件に企画や演出方法を考えている。
 
 「障害者フィルター」の厄介なところは、そもそものOKラインを一般社会のものから低いハードルで位置づけてしまうことにある。仕事でもスポーツでも何でもいいのだが、障害者が何かをやるときに健常者と同じだけの成果が求められるかというと、それは否であり、同じことをやるだけで「すごい」のである。
 
 もちろん、障害が理由でできないことがある分、すべてを健常者と同じ水準で求めるのは酷なことだが、その確認をせずとも、「これくらいでOKだよ、ありがとう」というOKラインが下がるのである。そして実は、OKラインが自動的に下がることを自覚している障害者は一定数いる。
 
 社会側の無知という状態、社会側が無知であると認識している障害者側。双方の見えない合意の元で「障害者フィルター」が確実に存在している。これを巧みに演出すれば「感動ポルノ」に仕立てられるし、意地悪く使えば「障害者に遠慮して何も言えない」状態を創り出すことができる。なんだかんだ言って、持ちつ持たれつなのだ。
 
 感動ポルノという言葉が議論されるほど、障害者の存在を考える機会が増えてきている。また、2020年の東京パラリンピック開催はひとつの契機に、バリアフリー設備が整い、かつてよりも確実に生活しやすい状態が生まれるだろう。しかし、意識レベルでは「障害者フィルター」が存在し続けているように、大して変わってはいない。ナメられていると表現した3年前と状況は実は変わっていない。
 
 おそらく社会側は、そういえば「障害者フィルター」ってあるなと自覚するくらいで十分。そのフィルターをどう使うかは本人次第だが、自分が事故や病気で障害者になったとしたら、そのフィルターの対象に自分も含まれることになる。すると、自ずと使い方が見えてくる。感動だの笑いだのと「障害者×◯◯」の議論が生まれたが、それをどう使うかは番組の方向性であって、頭ごなしに批判するのはナンセンスだ。
 
 状況を変えるには、障害者側には少し負荷がかかる。もっともっと外に出ていかなくてはならない。障害が理由でできないこと以外は健常者と何も変わらないのに、それを伝えない、それが伝わっていないからフィルターが存在し続けている。社会の一員として障害者がいることが当たり前で、周囲を見渡せば障害者がいる日常になれば、上下ではなくフラットな関係性に近づけるだろう。社会がどれだけ改善されたとしても、障害者にアクションが生まれなければ、何も変わらない。
 
 友人に「車いすカメラマン」がいるが、彼の撮った写真はクオリティが高い。彼は「車いすカメラマン」なのではなく「質の良い写真を撮る彼は車いすに乗っている」だけである。この違いがこれからの社会に必要なことである。
 
 障害が特別視されることなく、本人や社会にとって、当人を特徴付ける要素のひとつくらいの認識になれば、こんな議論をせずとも済むだろう。24時間テレビやバリバラは「障害者フィルターがどのように作用しているか」という現状を示すバロメーターでしかない。
 
iRONNA(いろんな)

東京のレストランに卸すほどの品質 精神障害者らが野菜を自然栽培(沖縄)

2016年09月03日 02時59分30秒 | 障害者の自立

 合同会社「ソルファコミュニティ」(沖縄県北中城村)は、就労継続支援A型事業として、精神障害のある利用者などが自然栽培で野菜を育て、販売している。特に甘みが凝縮されているというセロリは、東京のレストランに卸すほどの品質だという。

  現在、利用者は19人で半数を精神障害者が占める。利用者らは午前10時から午後3時まで農作業を行う。草取りや水やり、収穫まですべての作業にかかわる。「太陽の光や風などの刺激を受けることで、利用者の症状は良くなるケースが少なくない」と玉城卓・同社代表は話す。

  利用者の出社率は9割ほど。平均月収は月6万円で、給与減額の特例は申請していないという。

  同社は4カ所で計3000坪の畑を借りており、オクラや空芯菜など40種類の野菜を農薬や肥料を使わない自然栽培で育てる。

  直営店で販売するほか、全国10カ所に卸す。中でもセロリは味が濃く、香りが良いと評判で、ミシュランも評価する都内のイタリアンレストランでも採用しているという。

  同社の野菜の売り上げは年600万円ほど。このほか自社で加工製品を製作したり、オーガニック製品を輸入したりしている。

  玉城代表は福祉系大学を卒業後、高齢者や障害者の施設などで勤務。自然栽培をしていた人との出会いをきっかけに、3年前から地元の沖縄で同社を立ち上げた。「福祉の枠を広げ、食を通じた地域づくりを目指したい。さまざまな分野の人とも連携しコミュニティーを活性化させることができれば」と話している。

店内で笑顔をみせる玉城代表

店内で笑顔をみせる玉城代表

2016年0902   福祉新聞編集部