■限界を突破した超人になりたい
スタートラインにそっと手を添え、耳を澄ます。乾いた号砲に細胞がすっと反応した。滑らかな初動から一気にトップスピードへ。勢いを殺さず第2走者へタッチ。その先に歓喜が待っていた。
昨年9月、リオデジャネイロ・パラリンピック陸上男子400メートルリレー決勝。日本チームは3位で同種目初の表彰台に立った。「チームを信じ、4年間やってきた成果が出た」。初めて経験する世界最高峰の舞台。達成感で心が震えた。
一方の2日後、走り幅跳びの1本目。7メートル超の大ジャンプだったが、踏み切り線を数センチ越えてしまった。ファウルの通告に「頭が真っ白になった」。残り2回。挽回する強さに欠けた。自己記録にも30センチ以上届かず12位。この種目に一番懸けていた。自然と涙がこぼれた。
陸上と出合ったのは15歳。5歳で右腕に原因不明の腫瘍が発症し、手術と放射線治療を繰り返してきたが、病状が悪化。担当医から切断を勧められた。
運動制限で体育も見学ばかり。「どうせ(切る)なら思い切り体を動かしたい」と陸上部へ。意外な才能が眠っており、800メートル走で地区の中学生大会で優勝。右腕の成長は10歳くらいから止まったままだが、夢中で走っている間に病気の進行は止まっていた。
障害者スポーツの世界に足を踏み入れたのは高校3年。後にリオでリレーのチームメートとなる山本篤さんから練習中に掛けられた言葉が心に響いた。「体が不自由でも本気になれる熱いスポーツがある。パラの世界へ来いよ」。自分の舞台が見つかった気がした。
400メートルで狙ったロンドン・パラを逃し、記録の伸び悩みもあって一度は陸上を離れた。だが“本気の勝負”への思いは断てず、大学4年で持ち味のバネを生かせる走り幅跳びに転向すると、6メートル75の日本新を記録。一気に代表に上り詰めた。
「世界で勝つために始めた走り幅跳びだからこそ結果を残したかった」と、リオではメダルの喜びより反省が強い。
ただ、目標は明確になった。パラのメダリストは体のバランスの不利を乗り越え、オリンピック選考会レベルの記録を残す。「人間の限界を突破した超人になりたい」。目指すのは最高の競技力。挑戦は本気で熱い。
小学校の卒業文集に記した将来の夢「弁護士」を目指して中学受験を決意。高校では学年1位になった経験もあり、得意科目は世界史。アニメ「焼きたて!!ジャぱん」の主題歌「ホウキ雲」が応援ソング。小学生時代は放射線治療の影響で午後まで寝込む日もあったが、この曲を聴くと心が明るくなった。
練習は都内の職場から約1時間半かかる早稲田大所沢キャンパスで、学生と交じって行う。静かな環境で集中できるといい、内陸部で底冷えのする気候にも「丹波みたい」と心地良さを感じる。
講演活動では「黒豆がおいしいですよ」などと丹波市のPRを欠かさない。「観光大使のオファーが頂けるように競技も頑張ります」と愛着は強い。
丹波市出身の芦田創選手をはじめ、メダルラッシュだったリオ五輪・パラリンピックに湧いた2016年が暮れた。東京大会まで、4年を切ったが夢と可能性は無限大。飛躍を目指す丹波の“TOKYO世代”を紹介する。
■あしだ・はじむ 1993年12月8日、丹波市氷上町生まれ。同市立北小-大阪・摂陵(現・早稲田摂陵)中-同高-早大-トヨタ自動車。リオ・パラリンピック陸上男子400メートルリレー(切断など)日本代表で銅メダル。

冬のオフシーズン。トラックで跳ぶ「感覚」を養う。体への負担は小さくないという=埼玉県所沢市三ケ島2、早稲田大所沢キャンパス
2017/1/1 神戸新聞NEXT