ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

地域密着で区民の口腔健康を守る

2017年01月02日 01時08分25秒 | 障害者の自立

宮前区歯科医師会会長 広瀬忠正氏が語る

 宮前区歯科医師会は宮前区で開業している歯科医師のうち、おもに地域医療を目的とした会の趣旨に賛同する約60名の歯科医師で構成される団体です。

 会員の志は高く、川崎市歯科医師会館や中原・久地・百合丘にある歯科保健センターで行われている高齢者診療、障害者診療に携わり、いわゆる社会的弱者に対して積極的にアプローチする歯科医師や東日本大震災や熊本地震の被災地で川崎市歯科医師会ボランティア支援活動に参加した歯科医師が多数います。

 宮前区歯科医師会では公衆衛生活動や地域の方々に対して歯科啓蒙活動等を行っています。

 歯科医師会の地域における重要な活動のひとつに健診事業があります。公設保育園歯科健診、学校歯科健診、1歳6カ月歯科健診、3歳児歯科健診、40・50・60・70歳節目健診は宮前区歯科医師会に所属する歯科医師が担当しています。子どもから大人まで宮前区民のお口の中の健康をしっかり守っていける環境づくりに努めています。

 宮前区歯科医師会は会員間で役割を分担してこれらの事業を効率よく行っていけるよう努めています。さらに会員向けの研修活動を活発に行うことにより、区民の皆様にとってより良い歯科医療を目指します。宮前区歯科医師会の情報についてはホームページも作成していますので、宜しければご覧ください。

歯科医師会会長の広瀬忠正氏(広瀬歯科クリニック院長)

2017年1月1日   タウンニュース


保健・医療・福祉施策の推進 松岡輝昌 県保健福祉部長に聞く

2017年01月02日 01時03分09秒 | 障害者の自立
全国結婚応援フォーラムinいばらき

 

 高齢化や少子化による人口の減少が問題となりはじめて久しい。一方、県内では、医師不足の解消が急務となっている。これらの問題に県ではどのように取り組んでいくのか、松岡輝昌県保健福祉部長に話を伺った。

 

「子ども政策局」を設置子ども関連施策の強化へ

 ―急速に進展する少子化について、県の取り組みをお聞かせください。

 茨城県では、少子化の大きな要因とされる未婚化・非婚化、晩婚化・晩産化が急速に進行しており、2015年の合計特殊出生率は1・48と、人口を維持するために必要な水準である2・07を大きく下回るなど、少子化対策は最重要で取り組むべき大きな課題となっております。

 そこで、県では、子ども関連施策の総合調整機能等の強化を図るため、昨年4月から保健福祉部内に「子ども政策局」を設置し、結婚、妊娠・出産、子育ての切れ目のない支援を強力に推進しております。

 結婚支援については、昨年、「いばらき出会いサポートセンター」や「マリッジサポーター」の10周年を記念して「全国結婚応援フォーラムinいばらき」を開催し、全国から多くの方にご参加をいただきました。これまでの成婚数は約1700組に及んでおり、センターでは、マッチング率の向上を図るためのシステムの導入など、さらなるサービスの強化に取り組んでいるところです。

 また、安心して子どもを産み、育てやすい環境づくりを推進するため、電話相談窓口「すこやか妊娠ほっとライン」を開設しているほか、助産師が産後の母親の自宅等を訪問する「助産師なんでも出張相談」などの取り組みを行っております。

 さらに、共働き世帯が増える中、待機児童の解消が課題となっており、子育て中の両親が安心して働き続けることができるよう、保育所や認定こども園等の整備を計画的に進め、2009~15年度までの7年間で約7000人分の定員増を図ってきたほか、保育士等の人材確保に取り組んでおります。

 なお、出産育児期の経済的な支援としましては、3人以上の子を持つ世帯の保育料軽減を行うとともに、昨年10月からは、妊産婦・小児の医療費助成における所得制限を大幅に緩和し、対象者の拡充を図るなど、様々な負担軽減策に取り組んでいるところです。

茨城型地域包括ケアシステムの構築

 ―「2025年問題」を見据えた、超高齢社会への対応については。

 我が国は、これまでに経験したことのないスピードで高齢化が進展しており、本県においても、昨年10月の総人口に占める高齢化率(65歳以上の人口割合)は27・6%と、4人に1人が高齢者となっております。今後、団塊の世代が75歳を迎える25年には、31・2%になり、実に3人に1人が高齢者という社会の到来が予想されています。

 このような高齢化の一層の進展を踏まえ、誰もが住み慣れた地域で安心して過ごせるよう、医療、介護、予防、住まい、生活支援サービスを一体的に提供する「地域包括ケアシステム」の構築が重要となっております。

 県では、単独の制度では対応できないケースや複合的な課題を抱える方々を支援するため、コーディネート機能や多職種協働による支援機能の充実を図り、支援を必要とするすべての方を対象に隙間のない支援を一元的に提供する「茨城型地域包括ケアシステム」の構築を進めているところです。

 このため、「第6期いばらき高齢者プラン21」に基づき、介護福祉士やホームヘルパー等の人材養成・確保や利用者本位の介護サービスの充実、在宅医療・介護連携の推進など、高齢者が健康で生きがいを持って主体的に暮らせる環境づくりに取り組んでまいります。

 また、認知症の人と家族を地域で支える環境づくりに向け、認知症の早期診断・早期対応を軸に、容態に応じた適時・適切な医療、介護の提供体制や地域による見守り体制を整備してまいります。

 さらに、本県独自のシルバーリハビリ体操の普及やヘルスロードの指定、スポーツ・文化・教養活動等を行う「高齢者はつらつ百人委員会」の設置など、高齢者の健康・生きがいづくりにも取り組んでいるところです。

総合的な医師確保対策 地域医療構想を策定

 ―地域で安心して暮らすために不可欠な医療提供体制の整備については。

 本県における人口10万人当たりの医師数は全国46位と低位であり、医師の確保が喫緊の課題となっております。

 このため、県では、医師修学資金の貸与や医科大学への茨城県地域枠の設置により医師を養成するとともに、研修医の受け入れ促進や指導体制の充実を図るなど、地域医療支援センターを核とした総合的な医師確保対策を実施しております。

 また、魅力的で特色ある研修機会を提供する「若手医師教育研修立県いばらきづくり」を進め、先進的な取り組みとして広くPRしているところです。

 医療体制の充実を図るためには、医療従事者の確保に加え、限られた医療資源を最大限に活用し、様々な症例に対応した質の高い医療提供体制を整備することが重要です。

 そのため、地域の医療機能の適切な分化・連携をより一層進めることにより、県内どこでも安心して診療を受けられる医療提供体制を構築してまいります。

 また、県西地域における新中核病院、さくらがわ地域医療センターの整備や神栖済生会病院と鹿島労災病院の再編統合につきましても、着実に進められるよう支援してまいります。

 なお、団塊の世代が75歳を迎える25年を見据えますと、医療需要の増加や疾病構造の変化に対応するため、医療・介護サービスの提供体制の改革を進めていくことも大変重要になってまいります。

 そのため、県では、25年の医療需要と病床の必要量を明らかにし、入院医療における医療機能の分化・連携、在宅医療等の充実、医療従事者の養成・確保の方向性などを示した「地域医療構想」を策定したところです。

 今後も、関係者と十分に協議を進めながら、不足している回復期病床や退院後の受け皿となる介護施設等の整備を推進し、すべての方が適切な場所で、適切な医療・介護サービスを受けられるよう、本県の地域特性などを踏まえた医療提供体制の構築を進めてまいります。

犬猫殺処分ゼロへ議員提案条例に基づき推進

 ―このほか、今年力を入れていく取り組みや本年の意気込みについてお伺いします。

 動物愛護への取り組みについては、昨年12月、議員提案により、「茨城県犬猫殺処分ゼロを目指す条例」が制定されました。

 本条例の制定を受け、県では、市町村や県獣医師会、ボランティア団体など関係団体との連携を強化し、動物愛護意識の向上を図る取り組みや適正飼養の普及啓発などをさらに充実させるとともに、ふるさと納税制度等の活用を検討するなど、殺処分ゼロを目指し各種事業のさらなる推進に努めてまいります。

 また、昨年の夏には、リオデジャネイロパラリンピックが開催され、障害のある選手たちによる活躍が多くの感動を与えてくれました。

 2年後の19年には、本県で全国障害者スポーツ大会が、その翌年には東京パラリンピックが開催されます。

 県では、選手の育成をはじめ、障害者スポーツのさらなる振興を図るとともに、多くの来県者を温かく迎えるため、バリアフリー対策などの環境整備にも取り組んでまいります。

 なお、ここ数年の県政世論調査における県政への要望を見ますと、毎年上位3位を「子育て支援・少子化対策を推進する」「高齢者福祉サービス体制を充実する」「医療体制を充実する」が占めているほか、保健福祉部が所管する社会保障分野が多く挙げられております。

 このような県民の皆様の期待に応えるべく、県といたしましても、出来る限りの支援に努め、「住みよいいばらき」の実現に向け全力で取り組んでまいります。

 今後とも、県行政に対し、ご支援とご協力をよろしくお願いいたします。

 ―どうもありがとうございました。

2017年1月1日    常陽新聞


東京五輪・パラへ 丹波からの挑戦状

2017年01月02日 00時51分49秒 | 障害者の自立

 ■限界を突破した超人になりたい

 スタートラインにそっと手を添え、耳を澄ます。乾いた号砲に細胞がすっと反応した。滑らかな初動から一気にトップスピードへ。勢いを殺さず第2走者へタッチ。その先に歓喜が待っていた。

 昨年9月、リオデジャネイロ・パラリンピック陸上男子400メートルリレー決勝。日本チームは3位で同種目初の表彰台に立った。「チームを信じ、4年間やってきた成果が出た」。初めて経験する世界最高峰の舞台。達成感で心が震えた。

 一方の2日後、走り幅跳びの1本目。7メートル超の大ジャンプだったが、踏み切り線を数センチ越えてしまった。ファウルの通告に「頭が真っ白になった」。残り2回。挽回する強さに欠けた。自己記録にも30センチ以上届かず12位。この種目に一番懸けていた。自然と涙がこぼれた。

 陸上と出合ったのは15歳。5歳で右腕に原因不明の腫瘍が発症し、手術と放射線治療を繰り返してきたが、病状が悪化。担当医から切断を勧められた。

 運動制限で体育も見学ばかり。「どうせ(切る)なら思い切り体を動かしたい」と陸上部へ。意外な才能が眠っており、800メートル走で地区の中学生大会で優勝。右腕の成長は10歳くらいから止まったままだが、夢中で走っている間に病気の進行は止まっていた。

 障害者スポーツの世界に足を踏み入れたのは高校3年。後にリオでリレーのチームメートとなる山本篤さんから練習中に掛けられた言葉が心に響いた。「体が不自由でも本気になれる熱いスポーツがある。パラの世界へ来いよ」。自分の舞台が見つかった気がした。

 400メートルで狙ったロンドン・パラを逃し、記録の伸び悩みもあって一度は陸上を離れた。だが“本気の勝負”への思いは断てず、大学4年で持ち味のバネを生かせる走り幅跳びに転向すると、6メートル75の日本新を記録。一気に代表に上り詰めた。

 「世界で勝つために始めた走り幅跳びだからこそ結果を残したかった」と、リオではメダルの喜びより反省が強い。

 ただ、目標は明確になった。パラのメダリストは体のバランスの不利を乗り越え、オリンピック選考会レベルの記録を残す。「人間の限界を突破した超人になりたい」。目指すのは最高の競技力。挑戦は本気で熱い。

 

 小学校の卒業文集に記した将来の夢「弁護士」を目指して中学受験を決意。高校では学年1位になった経験もあり、得意科目は世界史。アニメ「焼きたて!!ジャぱん」の主題歌「ホウキ雲」が応援ソング。小学生時代は放射線治療の影響で午後まで寝込む日もあったが、この曲を聴くと心が明るくなった。

 練習は都内の職場から約1時間半かかる早稲田大所沢キャンパスで、学生と交じって行う。静かな環境で集中できるといい、内陸部で底冷えのする気候にも「丹波みたい」と心地良さを感じる。

 講演活動では「黒豆がおいしいですよ」などと丹波市のPRを欠かさない。「観光大使のオファーが頂けるように競技も頑張ります」と愛着は強い。

 丹波市出身の芦田創選手をはじめ、メダルラッシュだったリオ五輪・パラリンピックに湧いた2016年が暮れた。東京大会まで、4年を切ったが夢と可能性は無限大。飛躍を目指す丹波の“TOKYO世代”を紹介する。

■あしだ・はじむ 1993年12月8日、丹波市氷上町生まれ。同市立北小-大阪・摂陵(現・早稲田摂陵)中-同高-早大-トヨタ自動車。リオ・パラリンピック陸上男子400メートルリレー(切断など)日本代表で銅メダル。

冬のオフシーズン。トラックで跳ぶ「感覚」を養う。体への負担は小さくないという=埼玉県所沢市三ケ島2、早稲田大所沢キャンパス

2017/1/1     神戸新聞NEXT


東京五輪・パラへ 丹波からの挑戦状

2017年01月02日 00時51分49秒 | 障害者の自立

 ■限界を突破した超人になりたい

 スタートラインにそっと手を添え、耳を澄ます。乾いた号砲に細胞がすっと反応した。滑らかな初動から一気にトップスピードへ。勢いを殺さず第2走者へタッチ。その先に歓喜が待っていた。

 昨年9月、リオデジャネイロ・パラリンピック陸上男子400メートルリレー決勝。日本チームは3位で同種目初の表彰台に立った。「チームを信じ、4年間やってきた成果が出た」。初めて経験する世界最高峰の舞台。達成感で心が震えた。

 一方の2日後、走り幅跳びの1本目。7メートル超の大ジャンプだったが、踏み切り線を数センチ越えてしまった。ファウルの通告に「頭が真っ白になった」。残り2回。挽回する強さに欠けた。自己記録にも30センチ以上届かず12位。この種目に一番懸けていた。自然と涙がこぼれた。

 陸上と出合ったのは15歳。5歳で右腕に原因不明の腫瘍が発症し、手術と放射線治療を繰り返してきたが、病状が悪化。担当医から切断を勧められた。

 運動制限で体育も見学ばかり。「どうせ(切る)なら思い切り体を動かしたい」と陸上部へ。意外な才能が眠っており、800メートル走で地区の中学生大会で優勝。右腕の成長は10歳くらいから止まったままだが、夢中で走っている間に病気の進行は止まっていた。

 障害者スポーツの世界に足を踏み入れたのは高校3年。後にリオでリレーのチームメートとなる山本篤さんから練習中に掛けられた言葉が心に響いた。「体が不自由でも本気になれる熱いスポーツがある。パラの世界へ来いよ」。自分の舞台が見つかった気がした。

 400メートルで狙ったロンドン・パラを逃し、記録の伸び悩みもあって一度は陸上を離れた。だが“本気の勝負”への思いは断てず、大学4年で持ち味のバネを生かせる走り幅跳びに転向すると、6メートル75の日本新を記録。一気に代表に上り詰めた。

 「世界で勝つために始めた走り幅跳びだからこそ結果を残したかった」と、リオではメダルの喜びより反省が強い。

 ただ、目標は明確になった。パラのメダリストは体のバランスの不利を乗り越え、オリンピック選考会レベルの記録を残す。「人間の限界を突破した超人になりたい」。目指すのは最高の競技力。挑戦は本気で熱い。

 

 小学校の卒業文集に記した将来の夢「弁護士」を目指して中学受験を決意。高校では学年1位になった経験もあり、得意科目は世界史。アニメ「焼きたて!!ジャぱん」の主題歌「ホウキ雲」が応援ソング。小学生時代は放射線治療の影響で午後まで寝込む日もあったが、この曲を聴くと心が明るくなった。

 練習は都内の職場から約1時間半かかる早稲田大所沢キャンパスで、学生と交じって行う。静かな環境で集中できるといい、内陸部で底冷えのする気候にも「丹波みたい」と心地良さを感じる。

 講演活動では「黒豆がおいしいですよ」などと丹波市のPRを欠かさない。「観光大使のオファーが頂けるように競技も頑張ります」と愛着は強い。

 丹波市出身の芦田創選手をはじめ、メダルラッシュだったリオ五輪・パラリンピックに湧いた2016年が暮れた。東京大会まで、4年を切ったが夢と可能性は無限大。飛躍を目指す丹波の“TOKYO世代”を紹介する。

■あしだ・はじむ 1993年12月8日、丹波市氷上町生まれ。同市立北小-大阪・摂陵(現・早稲田摂陵)中-同高-早大-トヨタ自動車。リオ・パラリンピック陸上男子400メートルリレー(切断など)日本代表で銅メダル。

冬のオフシーズン。トラックで跳ぶ「感覚」を養う。体への負担は小さくないという=埼玉県所沢市三ケ島2、早稲田大所沢キャンパス

2017/1/1     神戸新聞NEXT