大学時代に強盗に遭い、顔に硫酸をかけられて失明したが、生きる希望は失わなかった人がいる。カンボジア盲人協会の会長ブン・マオさん(38)。日本式マッサージ「あんま」の技術を視覚障害者に伝えながら自立支援に取り組んでいる。その活動が評価され、社会貢献支援財団(港区)の社会貢献者表彰を受賞。今月、来日したのを機に都内で話を聞いた。 (小川慎一)
孤児だったマオさんは大学で森林保護を学んでいた一九九三年、事件に巻き込まれて失明した。目や鼻、口も変形し、七回もの皮膚移植手術を受けた。
「一時は自殺を考えた」が、歩行訓練などを懸命に支えてくれた医師や海外の非政府組織(NGO)のメンバーとの出会いがマオさんを変えた。「今度は自分が視覚障害者のために力を注ぐ番だ」
マオさんは二〇〇〇年にカンボジアで初めて、首都プノンペンに視覚障害者による団体・盲人協会を設立。当初十人だった会員は、現在は千人超。国内に支部があり、生活支援のほかパソコン、農作業の研修も行う。協会運営は海外からの寄付に頼り、〇三年から日本財団(港区)も協会を支援している。
活動の要は、マオさんが日本などで学んだ「あんま」を視覚障害者に伝えることだ。就労支援先であるマッサージ店「シーイング・ハンズ」は十店舗を展開。障害者自身が運営することで、自立につながっている。日本の足つぼマッサージも導入し、「観光客だけではなく、地元の人にも大人気」だという。
病気や事故以外に、戦争や地雷の被害による視覚障害者が約十四万人いるカンボジア。障害者福祉はまったくなく差別も根強い。
マオさんは「多くの障害者を支援し、平等な権利と自立を手に入れたい。そのための資金と次世代を担う人材が足りない。多くの人に力を貸してほしい」と訴える。
孤児だったマオさんは大学で森林保護を学んでいた一九九三年、事件に巻き込まれて失明した。目や鼻、口も変形し、七回もの皮膚移植手術を受けた。
「一時は自殺を考えた」が、歩行訓練などを懸命に支えてくれた医師や海外の非政府組織(NGO)のメンバーとの出会いがマオさんを変えた。「今度は自分が視覚障害者のために力を注ぐ番だ」
マオさんは二〇〇〇年にカンボジアで初めて、首都プノンペンに視覚障害者による団体・盲人協会を設立。当初十人だった会員は、現在は千人超。国内に支部があり、生活支援のほかパソコン、農作業の研修も行う。協会運営は海外からの寄付に頼り、〇三年から日本財団(港区)も協会を支援している。
活動の要は、マオさんが日本などで学んだ「あんま」を視覚障害者に伝えることだ。就労支援先であるマッサージ店「シーイング・ハンズ」は十店舗を展開。障害者自身が運営することで、自立につながっている。日本の足つぼマッサージも導入し、「観光客だけではなく、地元の人にも大人気」だという。
病気や事故以外に、戦争や地雷の被害による視覚障害者が約十四万人いるカンボジア。障害者福祉はまったくなく差別も根強い。
マオさんは「多くの障害者を支援し、平等な権利と自立を手に入れたい。そのための資金と次世代を担う人材が足りない。多くの人に力を貸してほしい」と訴える。