枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

葉月、旧八朔・大潮

2018年09月10日 | Weblog

 今朝はプラ当番で、早朝よりのボランティア。小雨の降る中を出て行き、小一時間立つ。ちらほらとの持参だが、皆適当に入れて行くので、大した手間もなく終了。帰って来ての洗濯に、青空が見え始める。風はきつく、洗濯物も乾く。珈琲を挽いて淹れながら、休刊日なので再度読む。

 屋敷周りの掃除をしておいて、塩の入れ替えを済ます。枇杷葉も、硬くてごわごわの葉がたくさん見える。洗濯物も溜まっていたので、それをしてから採ろう。心地よい風が渡るので、網戸にして通す。留守中には閉めているので、すばるがうれしそうに寄って来る。ちょっと心が痛む。

 折り鶴ランのランナーを出したのや、株を分けて移植した鉢を取り込む。夏分には光に当てていたが、霜の来る前に仕舞っておかないと枯れる。水を遣り過ぎても腐るし、意外と手間でもある。困ったもので捨てられない。どんどん増える。行く先を試行中でもある。冬には鉢が溢れる。

 支払いや、野菜の購入、燃料補給に行く。沿道に山際に、這い上がって絡みつく、テイカカズラが見える。卯の花もそうだが、自然の創り出す芸術で、小さな集まりが大輪の花に、白い滝のように観える。花束を買えば高い物になるが、心に刻み付ける風景はお金は掛からない。贈り物。

 花屋に並ぶ花だけが、美しいのではなく、価値観の持ち方で、素晴らしさが広がるもの。この広い野原いっぱい咲く花を 一つ残らずあなたにあげる 赤いリボンの花束にして・・・。白い花摘んであの人にあげよ 白い花白い花 あの人の髪に咲いて揺れるだろう お月さんのように。

 みんなの歌で聴いた時には、森山良子さん 本田るつ子さんだった気がする。テレビを観なくなって久しい。勤務先では、NHKは余り点けなく、民放の馬鹿の集まりが、雛壇に並んで姦しいばかり。まともなことを喋っている者はいず、やらせにうんざりしている。キャスター司会か。

 ブラタモリは、地名に依っては観たいが、確執はない。DVDは、読書と同じで、時間の融通が利くのがいい。映画館に行けば迫力はあるのだが、億劫でもある。往復の時間が惜しいし、どうしても観たい内容のがない。好きな時に、どんな格好ででも観られる。シアターは大画面の宇宙。

 今年の収穫はこれで終了。枇杷の形には、楽器の琵琶に似た、長崎茂木と丸い房州枇杷がある。

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雨が降る・・・

2018年09月09日 | Weblog

 朝、目覚めるが雨なので、もう一度眠る。休日は身体が緩やかになってしまって、梃子でも動かぬ。新聞を斜め読みにし、明日が休刊日なので、遅い朝食にかかる。珈琲を挽いて淹れ、ぼんやりとしていたのだが、今晩の予定を思い出し、準備をしておく。唐揚げを約束していたのだ。

 明日から葉月となるので、Aさんちに水だけを貰いに出かける。帰宅途中、図書館に寄り、返却と貸出しを済ませる。英国の歴史も曰くがあり、残虐なことには事欠かない実態に、権力を持つ者の器量を思わせる。今まで知らなかった事実にも、この歳になれば理解できることも増え。

 知人の実家が桃の栽培農家で、白桃や黄桃を分けてもらう。今年は、今までの発送先への中止もあって、桃の出来も然程良くはなかった。リエさんには、黄桃だけを贈ったが、余りの多さにびっくりしたようだ。黄桃も、缶詰用と生食用があって、味を占めたら堪えられない美味しさ。

 早正午である。のんべんだらりでは時間ばかりが過ぎるが、介護の激務には、自宅での休養しかないのだ。湿気のせいか?先日転倒した左臀部が痛む。枇杷葉の生葉を貼って凌ぐ。気温の低下にも依るが、すばるの居場所で、温度が知れる。寝床が温かい場所にへと移る。賢い。

 アイロン掛けもしなくては。繕い物もある。と思いつつ、沢田研二さんの、ローヤル・ストレートフラッシュを観る。この時点で、人間臭くなってきて、若い時よりもいいかな・・・田中裕子さんとの結婚で、本来の沢田研二さんに、密かに拍手。此処までの年数には、伺い知れぬ苦労も。

 野山には、定家葛が匂っている。白い小さな花だが、芳香が素晴らしい。葛なので何処にでも蔓延っている。電柱であろうと、何であろうと巻き付く。枝垂れている様など、実に見事で、つい見惚れてしまう。今月は、秋の交通月間だから、あちこちに鼠取りが出没しているので注意が。

 珈琲を豆で購入するようになって、粉の分量が濃すぎることに気づく。品質やら価格もあるのだろうが、通販で買うようになった、銀座の物が美味しい。咽喉越しが軟らかく、何杯もお代わりをしてしまう。メーカーにも依るのだろうか?それとも生産地や製造法にもと、想像を廻らす。

 読書週間も近くなり、気温にも凌ぎ易さが加わるので、本を読む愉しみが増える。中国の詩人・白楽天を借りた。簾を掲げて観る風流は持ち合わせていないが、学ぶ歓びは失いたくない。災害は、堪えず起こり得ることを想定して、日々を送れる工夫をしたい。いざと言う時への覚悟も。

 鉢植えにして、室内管理のベゴニア系の植物。こちらはすっかり忘れているが、夏になると。

 

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旧暦・二十四節気等・・・

2018年09月08日 | Weblog

 二十四節気 白露 朝夕涼しくなり、草木の葉に宿る、露が白く光る、と言う意味で、白露と言う。毎年、九月八日頃である。昨夜からの雨で、じめじめしており、洗濯物を、どうしようかと悩んだが、室内に干す。特別な洗剤も柔軟剤も使わず、桃のボディソープで、臭い一切なしである。

 江戸時代まで用いて来た旧暦を廃止し、新暦の運用に切り替えた明治時代。給料の支払いに13ヶ月でなく、12ヶ月であれば1ヶ月分が浮く。福沢諭吉は、主要人物が欧州に出掛けた留守中に、さっさと新暦を登用させる。これからは文明開花であり、素晴らしい未来が待っていると豪語して。

 子どもの頃には、何と言うこともなく、大人から言われる儘に過ごしてきたが、歳を重ねて来るに従い違和感が拭えない。なんだろう?気忙しい想いばかりで、胸の内が暗澹たる雲に覆われる。生前、祖母がしていた暦を紐解き、旧暦を用い始めてから、気持が落ち着いて、ほっとしたもの。

 加えて、二十四節気に触れ、その意味を考えるに、納得することが増えた。七十二候も同じである。八十八夜、二百十日、二百二十日と記載されている。その事柄には農亊での、大切な厄災が記され、天気の重要さが載っている。災害は自然ではなく、人間が遣って来たことへの厳しい見返り。

 機械に頼り過ぎていると、災害が起きた時にはたちまち困窮する。ではなぜ、そういう事態を思う心がないのだろう。誰かが、何とかしてくれる、他人任せの依存ばかりになっている。普段は、隣の芝生を羨むばかり、事態が悪化すれば、自然災害だと喚く。それは違うような気がしますね。

 身体の機能にも、自然治癒能力が備わっているのですから、知恵と工夫とで、考えていけばいいことでしょう。普段の生活を、贅沢にしていると、いざと言う時には耐えられません。病気にならない身体を創るのは自分です。また何等かの疾病は、歳を重ねると抱えてきますが、覚悟も必要。

 病院も、医者も嫌いであれば、自然治癒能力を促すしかなく、そのためにも普段から、気をつけていくことになります。枇杷葉には、万病に効果のある働きで、根気よく続けることで、細胞の再生や、身体の機能を促す力が増します。枇杷湯に浸かり、枇杷葉茶を飲みつつ、健康維持に努める。

 それでも、枇杷葉が体質的に合わない方もおいでで、何でも鵜呑みにしない注意も必要です。健康は、お金を出して買うものではありません。病は気からと言われるように、本人の心持ち次第ですが、そうはならないから病気に罹る。症状は、身体に現れるのですが、医者でないと言う偏見も。

 冬の間は室内に置いているが、夏には庭で伸び伸びしている。不思議なもので、季節が来ると咲く。

 

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自然への畏怖

2018年09月07日 | Weblog

 人類は、余りにも傲慢・強欲を、科学と言う隠れ蓑でやり過ごし、地球があらゆる生命体の棲む惑星、と感謝の想いを忘れ去った。そのことへのしっぺ返しに、思えてならない。ここでも随分と書いて来たが、自然からの恩恵を忘れ、人間だけが生きるため、無謀なことを繰り返す。神の怒り。

 人間程、自分では何もできず、自らが産み出せる力もない。堪えず何等かの命に依って保たれており、科学・化学への依存で、生命を維持しているのだ。それらが果たして素晴らしいことのなのか?身体的機能には個人差もあるが、弛まぬ努力を怠らぬことも大切な事だ。学者も医者も神ならず。

 地上にある命を食べ尽くし、新しく合法的に創り出し、生産し、摂取可能にしているが、種の起源を真実理解はしていまい。況してや、自然を敬い感謝することもしないでおいて、何かがあれば、災害扱いをする。これは明らかに人災であろう。唯一、原発が稼働していなくて済んだ。不幸中の幸い。

 然しながら、青森県の八が瀬村に放置されている、プルトニュームは、何等報道されてもいない。日本海を隔てて、震度もあったのを懸念する。10数年前に訪れた千歳空港は、観るも無残な有り様。観光地と化しての無残さに涙する。豊かさと便利さと、自然を保つのは反比例。人が入れば荒れる。

 わたくしは予言者でもなく、新興宗教の類ではない。でも、自然からの声に心を委ねれば、自ずと解かる事柄が多い。ノアにだけ、神の声が聴こえたのも、行いが可能になったのも、無知故かもしれない。森羅万象の世界には、不可解な事柄が多く潜むのだ。仮の姿がイエスであり、信仰の対象かも。

 枇杷葉の下に佇んで、風を感じ、命への感謝を怠らずで居られる幸せを想う。余分なお金はないが、誰かが困っていると知れば、力の及ぼす限り尽くし、自然を敬っていればいいのです。暦を開き、そこに書かれてあることを深く学び、その恩恵に委ねることが大切。誰にも遠慮なく自分の途を辿る。

 今月は、秋の交通安全月間である。道端に、パトカーが停めてあり、速度計が見える。スピードを出していれば、気づかないこともあるので、心して運転しよう。警察は意外と卑怯な手を使う。これ等は、個人の通帳に振り込まれて、別途使用小遣い。捕まる者ほど、馬鹿をみるらしい。姑息だなぁ。

 我が家に来た時には、体長30cmにも満たなかった。キキの鉛筆入れ位だったので、至る場所でびびって。

 

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秋の気配はすれど・・・

2018年09月06日 | Weblog

 赤蜻蛉が群れているので、秋だなとは思えるが、気温の下がらぬことに、自然への影響を心配する。今朝の新聞記事に、関空の被害に対して、140年に一度のこととあったが、それだから冠水していいとも言えまい。出不精なので、直接被害はなかったものの事は重大。地球は怒れる。

 小松左京 日本沈没を思い起してしまう。あれは映画であり、実際には起こらないと考えていたのか?今回は、初歩的な人災であり、想定しておれば足止めは防げたろう。何れにしても、何ともお粗末な建設である。日本には季節の到来で四季があり、それに伴う災害も起きるのだよ。

 昨今には、余りにも情報が増え過ぎて、その判断を個人に委ね過ぎる。老若男女の全てが、そういったことが出来るとは思えない。科学の力は進んではいるが、考えるのも造るののも人間だ。間違いはあるだろうし、恐ろしい怪物を造り出すことにもなる。原発が、まさにそうであるが。

 試行錯誤しつつ勤務先に着く。清掃当番なので、業務が始まる前に済ませておく。その後、何気なく異様な雰囲気に気づき、テレビに目を向けた。北海道で、震度6の地震と言う。ああ、あの状況は正夢であったか、と観ていた。選挙戦も始まろうと言う、タイミングが大当たり。延期だ。

 亡くなった、沖縄県知事の翁長さんは、沖縄は本土の物ではなく、沖縄県民の物であると、固い決意で何度も話されていたが、戦後に勝手に取り上げておいて、基地を造り、住みにくくしておいて、何があっても、政府の言うことを聞け。とは余りにも勝手すぎる。加えて、保証は減額に。

 はっきり言って、ペテン師のやることであり、詐欺だろう。それも国を挙げての横暴である。これが民主主義の日本国とは、耳を疑う事実だ。情けない、呆れ返る、馬鹿を相手にはできないが、独断で何でもかんでも、可能だと豪語するばかり。国民の信頼は傾き、赤字は広がるばかりだ。

 今週も、来週も曇りか雨の状態が続くようだ。秋雨前線かな。彼岸も近いことでもあり、秋の空は、変わり易いと言われているから、雨具の用意を忘れないこと。田舎での移動は車なので、常備しているが、持って下りるのを忘れる。天気が怪しい時には、用意が必要でもある。カサブランカ。

 分けてもらった時には、確かに白い紫陽花だった。我が家に来て挿し芽で付き、咲いたら薄桃に。

 

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嵐の後で。

2018年09月05日 | Weblog

 昨日は、文月・長潮に中り、大型の台風の予想が早くから報道されていた。にも拘らず、各地で被害が出たのには頷くしかない。水は高いところから低い方へと流れる。然し乍ら、それらを遮る物があれば、逆流してくるのは当たり前だろう。何時も思うが、自然災害ではなく、人災である。

 自然を侮ることは、どう抗っても人間へと還って来る。加えて、善人も悪人もなく、神の手に委ねれる。人類が、宇宙を眺め、異変を知り得ていた頃には、ノアの箱舟も役だったが、今や説教は利かない。神の僕たる者等の堕落しきった心には、何等福音はもたらせられないし救いも起きない。

 生活が豊かになった時点で、人類は驕りを反省し、愚かな行為を止める舵取りをする謙虚さを持てば、ここまでの被害は避けられた。原発を再稼働させ、沖縄の辺野古に基地を造ると、更なる悪化で被害も広がる。自然の恩恵に、言葉や口で言う程の感謝があるなら、人間の都合勝手は出来ず。

 自然を相手にして、到底勝算はないのだ。四季の移り変わりには、どういった事柄が起きるのかを、学び覚えていくことこそ、命も援けてもらえる。世の中が、金で全てと思うには、必ず見返りがつく。宮部みゆきさんの作品に、宝くじで買った家に、心を狂わせていった主人公がいたのを想。

 安倍政権が今後も好き勝手を行い、国民の、庶民の生活に見向きもしない駄策で、何年も続けて行く気なら、国は立ちいかないどころか、繕いは出来ず、破綻に向けて疾走するだろう。今でも苦しい暮らしに、課税をかけて行く等、無視か舐めているかだ。国民の人の好いのを騙すのも程がある。

 足長蜂が、巣を作ろうと飛び回っている。今後も幾つか、台風の到来がある様子。古来の考えが通じないのは、余りにも淋しいことだが、そういった特殊な能力を授かった者も、隠遁生活を余儀なく送って居よう。当たり前のことを、さり気なく行うことの難しさに心が冷える。憂いは増える。

 夕方には、接遇研修があるので、それまではのんびりしている。身体が危険信号を発しているのは、機能回復に向かおうとしているからだが、熱の華が出てしんどい。人間の体力にも限界があるのだ。枇杷葉のお陰で、年齢よりも見かけはいいが、頑張り過ぎない注意も必要。最近転倒が多いな。

 我が家の枇杷葉は、長崎茂木を始め、淡路田中、房州枇杷、白枇杷とある。偶然から揃った。

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緊急事態に。

2018年09月04日 | Weblog

 三連休と思いきや、勤務先からの電話で出勤の依頼がある。台風で、学校が休校になれば、子どもを一人にはさせられない。当然のこと、親は休まなければならない。そうすると、職員の数が足らない訳であり、緊急事態では断れない。夜勤者の疲労状態も厳しいとなる。前回での経験を踏まえて。

 出勤すると返事をして、弁当の用意と、明日の支度をする。『ジュリー祭り』を観終え、『ジュリーマニア』に切り替えたばかりなので、済むまでの時間を、ブログの更新と変えたのだが、沢田研二さんを、二枚目とか、ハンサムには思えないファンです。うーん、好みの問題だろうと、歌の方に重点。

 ザ・タイガース時代、瞳みのるさんが格好良くて、あのドラムを叩く姿に魅せられたもの。生き方とか、考え方にも共感するが、何れにしても、スターであり、わたくしの住む世界とは違うので、憬れに過ぎない訳で、よく言えば、それだからいいのかも知れない。本物に遭いでもしたら、卒倒するわよ。

 昔の映像であり、観客が自分独りだから、ピー!と叫べる。其処に往けるのも、時間を翔けれることにも抵抗はない。現実には起こり得ない事態であり、だからこそ自分になれる。ステージに行くことばかりがファンではない、とも思えるから。遠くからでも応援は可能であり、却って新鮮でもあるのね。

 台所に赴けば、素早く隠れる物体がある。キンチョールを噴射したら、3匹ほどがくたばった。やれやれ・・・明日の用意に鍋を出し、水を入れて茹で卵を作る。固茹でにしたいので、沸騰したら止める。オクラは塩茹でにしておく。牛肉と玉葱を炒めればいいようにする。ところで台風は来るんだろうか?

 備えあれば憂いなし、とも言うから、案外直撃はないかも知れない。然し、蜂が巣を如雨露中に作っていたし、今日も、風を避ける場所を飛んでいた。自然の掟を見誤まってはいけない。危険回避には、昆虫やら野生の生き物が一番よく知っている。観察しておけば、いざという時に役立つと言うものだ。

 すばるの様子を見ていても分かる。非常事態に陥るような時には、落ち着かなくなるだろうし、安全な所に行こうとするだろう。普段とは違う行動をするだろうから、人間の注意次第だ。生き物の持つ本能には、自然からの援けが備わっている。分からなくなったのは、愚かな生き物の人間だけだろう。

 玄関の入り口、向かって左側に植えている、紫陽花と梔子。ガク紫陽花の素朴さが好ましい。

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文月、下弦・小潮

2018年09月03日 | Weblog

 涼しくなったものと一息入れる。秋の気配も、台風の影響で遠くに感じてはいたが、それでも着実に訪れていた。エアコンの世話になりたくなく、風も通るので網戸にして過ごす。すばるは寝そべって、気持よさそう。やはり人工的な室温には慣れないので、適当に管理することに。

 介護の職種を選んだのは、資格が無くても務まる内容であった。家事一般の手助けであり、普段から行っていることと同じで、洗濯 掃除 食事での補助的な業務で、これなら何とかできはしないか。という気持ちで行った。然し、現実は研修することと、資格習得が暗黙であった。

 そこから真面目に学び、根気よく段階を上げていったが、職場での人間関係にはうんざりした。女性の職場とも言われるが、仲間内でのグループ作りで、自分達の好き勝手に、思い通りにならない者には、虐めと言う手段で、仲間外れにしたり、業務を強制的に押し付ける者等が居た。

 それでも、未だ体力があったので、乗り越えて来たが、還暦を過ぎてからは、拒絶反応が多くなる一方で、根気も体力にも限度を感じた。加えて、年金を受けるようになると、収入に応じた税金の徴収とくれば、生きているのが厭になる状況。政府の坊ちゃん政策に呆れうんざりする。

 つましやかな暮らしを、どうにか遣り繰りで賄い、辛抱と我慢とに囲まれて、静かにしている。その中で、読書し、郷土の歴史を学ぶことや、青春を愉しめるのに感謝し、枇杷葉を育て、困った人が居れば駆け付け、難儀な方には手を貸す。何事も、枇杷葉があればこそで、祈り感謝。

 気温が低くなると、猫の習性であるので、膝に乗って来ることが増えるが、昨年とは違い重い。ずっしりとした塊に足が痺れるので、暫くするとどかす。そろそろ毛布の用意をしておこう。形はでかくなっても、未だ甘えてくるので、構うことになる。耳や咽喉を撫でるとうれしそう。

 枇杷葉の生葉が、今月の中旬頃から採れそうだ。旧暦では葉月になり、新芽も硬くごわごわとしてくるので、焼酎に漬け込む。略毎日のように、湿布で用いており、これが無くては支障を来たす。医者嫌いの者としては、切らさないように心掛けていくしかない。時期もあるので注意。

 初夏になったら咲くのが、バラであり、菖蒲でもあるが、この銀梅花も可憐な花を咲かせる。

 

 

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冷房設置したら・・・

2018年09月02日 | Weblog

 余りの暑さに、網戸にしての暮らしであった。誰に話しても顔をしかめられるが、枇杷葉のお陰で、意外と涼しいし、わたくし独りのことなら構わない。昨年にも、野良猫は来てはいたものの、すばるが相手をせず、事なきを得ていたものだが、今年は網戸を挟んで雄叫び合う。

 安眠を、突如破られるのにも腹立たしい。留守中の安全にも不安で、悩みに日々を過ごしていたが、冷房設置に決める。涼しいのよりも、すばるの危険を回避するのが目的で、ドライにしておいたが、電気代が相当かかる、とのことに冷房へと換えた。然し、安普請のため利過。

 一旦は、止めて置いていたが、ひんやりさは持続しており、就寝時にも安心状態。こうなると心配事は、他に移る。屋敷が風邪を引きやしないかと、痛く心配になる。今朝は、身体がだるく熱い。測ってみると、熱が36.4℃もある。勤務先に連絡して午後からの勤務に変更した。

 普段の体温が低いので、36℃台になると、しんどいのです。身体は、実によく知っていて、何かしら信号を発する。自然からの声に耳を澄ませて、異常時の時にはどうするかを判断したい。神さまは森羅万象であり、心の声に従う。この世に、自然災害等はなく、人災が原因だ。

 石田衣良氏の、炎の中へが、新聞連載を終えた。広島に長崎へと、原爆が投下された事実は、世界にも知られているが、東京大空襲は然程ではない。とあった。その頃には、各地で空襲があり、焼け野原になった箇所は知れない。だが、何よりも多くの犠牲を出した沖縄を忘れないで。

 わたくしたちは、その夥しい犠牲の上に生活しているのだ。自分達だけが、快適で便利な、安心したものを、お金さえ出せば手に入れられる。でも、沖縄の人々の生活には、基地との惨憺たる事故や事件が後を絶たない。加えて、沖縄を二分する、卑怯な遣り方での政府の動きがある。

 戦争を忘れないで。原発を再稼働しないで。声なき声を上げても、全く無視した暴言に、人間の心を持たない集まりだと、こちらが恥ずかしくなるばかり。人間が人であろうとすれば、お互いの話し合いが大切なことだ。小狡い者ばかりの巣食う国会には、人間の良心は見当たらず。

 昨年の枇杷葉の実。我が家のは、小さいが果汁たっぷりで、実に甘い。でも、心が通じぬと転じる。

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二百十日、文月・中潮

2018年09月01日 | Weblog

 窓を閉めていると、雨音さえ聞こえずらい。風呂場には、ヤモリのこどもが侵入していて、外に出そうとしたら、網戸が外れた。冷房は、帰宅して直ぐに切り、室内温度に注意している。今朝は、雨の降り具合から点けていない。すばるの居場所で、大体の見当をつけているが、留守中には不要のことも。

 本来は、自然の気温と風向きでの室温なので、身体に悪いのは極力避けたい。湿度が高いのは仕方のない、日本の風土であり、適応していける方法が望ましい。便利で快適であれば、身体への負担が増える。これは取説には書かれてないが、充分に気をつけておくべき事柄だ。電気代は要ってもドライか。

 原発再稼働や、新規の設置にも反対だ。そうなると、必要最小限での使用をしたい。もんじゅが廃炉への舵取りをしたが、三人寄れば文殊の知恵も、大勢で寄って集ってでは、仏さまも遺憾であろう。御仏を侮辱した名にするのも如何であろう。根本の、始まりが間違っていたのを、速い段階で止めてたら。

 国民を鼻っから馬鹿にした国策にうんざりなのに、よくもまあ三選等と、厚かましいにも飽きれてしまう。松本清張の作品を読めば、裏での駆け引き、取引等、真相にも驚きを隠せない。実際に国民・庶民を舐め切った政治には、普通の者なら怒り心頭だろう。辺野古埋め立ても、沖縄の人等の土地を不当に。

 勤務も激務の繰り返しだが、各々の業務をちゃんとしておいて、至らないことをしていくのならいいが、自分勝手な事ばかりで、平気で手抜きをする。何を基準にしての判断かは怪しい。基本は、ほうれんそうに尽きる。また、できていないことには、皆で助け合わないと、業務の遂行は不可欠。熱があるの?

 帰宅して、ブログの続きを書こうとしたが、ネット切断が起きている。何度も試みたが、さっぱりなので、仕方なく読書に精出す。若草物語は、2冊借りており、もう1冊も読まねば。一気に半分ほど読み、今月の献立メニューを書き起こす。全く、いい加減な内容に呆れつつ、材料の補充をしていき、書きあげる。

 何だか身体がだるい。しんどいなぁ、と感じつつ枇杷湯に浸かり、すばるの噛みついた痕を、塩で揉み解す。歯型が残っていて、硬いしこりが残っているのだ。それにしても、自然からの恩恵に感謝しつつの施行には、驚く効果があるのに、今更乍ら再認識した次第。人間が、地球を壊していって、災害は人災です。

 台所のテーブルに、枇杷の実を乗せていたら、さっと飛び乗って来て、早速興味深々となる。

 

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