母の母を知らない私
母の日に思ったこと
( 魚屋のにぎり寿司 12 貫 5/9 )
母の日の今日(5/9)
散歩をしながら
我が家にいた娘たちが
高校卒業後 早くに
東京と福岡の大学に進学したから
家族揃って母の日を祝うことも
ない年がつづくなあと 思った
先日 妻が
私はあなたの母親じゃないから
家でお祝いなんかできないネェと
私に話した
うん、そりゃそうだ と私
ただ 妻は 現在まで
妊娠から子育て、
学校生活、そして 結婚、出産
それから 子育てまで
娘たちには 精一杯に
ずっと関わって来ている
だから 妻のことは
本当によく頑張って来た
「娘たちのお母さんだ」と思う
(ポンコツ父さん・爺さんとしては
感謝するのみである)
妻は 娘たちには何かあったら
自分でさっさとチケットを購入して
(最近はネットで調べ入手している)
カバン一つ 身一つで
博多だろうが 東京都心部だろうが
相手の迎えなしで 自宅まで行き
用事を済ませたら また一人で
飛行機や新幹線などに乗り
熊本市まで さっさと帰って来る
そして 大抵の要件が
孫の面倒や家事の支援だから
終日 家事や子守りなどに
費やされてしまう
相手の都市部で
街巡りやショッピング、外食などは
最近までしたことがなかった
やっとこの頃 東京では
一週間位の中で 半日位は
外出ができるようになったらしい
もちろん一人で都心部を出歩くのだ
時には 知らない人から
道などを尋ねられることもあるらしい
(私は ある事情で遠方には行けない)
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先ほどのお昼の散歩中に
ふと そういえば
僕は「母の母のこと」は
ほとんど知らないなぁと気づいた
「母の母」つまりお婆さんのことだ
父方のお婆さん(祖母)は
40代初めに癌で亡くなったそうで
私は
祖母が他界した15年後に生まれて
顔もほとんどわからないし
母方のお婆さん(祖母)も
わりと早くに亡くなったし
二度ほどウチに来て
愚痴を言っていること位しか
覚えていない(話したことは?)
母の実家が 海苔作りをしていた頃は
毎年 正月に祖母宅を訪ねていたが
もうその頃は他界していたのかも?
だから 母方の祖母も知らない
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コロナ禍の今 とりわけ 最近は
都心部と福岡県は 感染者数が多く
医療機関も逼迫の恐れがあるので
妻は 出かけるのを 控えている
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母の日の今日(5/9)は
東京の娘の方から
携帯テレビ電話がかかって来たので
二人(+一匹)で 応対した
孫も 画面の向こうから
ちょっと話しかけて来た
実は 今春
小学校に入学したばかりの孫息子は
この前が誕生日で 私らは
メールでお祝いの言葉を送ったが
その際も 孫と
ちょっと話すことができた
(孫は 幼児の頃は 自分から
話すことがあったが 最近は
あまり話しかけなくなった)
ps 2021.5.9 草案 5.10 草稿
今の孫たち(3人)にとって
「ママのママ」つまりお婆ちゃんは
どんな風に映り どんな存在だと
思っているのかなと 私は思った
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