世間には、相変わらず「言葉狩り」は多いが、今度は認知症患者に関して、イチャモンがついたそうだ。
標的とされたのは「徘徊」という言葉。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=127797
この言葉にイチャモンをつけたのは、福岡県太宰府市で、徘徊する認知症患者への対処法を体験する「声かけ・見守り模擬訓練」というものを企画・運営を担当した龍頭吉弘(70)というおっさん。
その理由は『外を歩き回る患者には「子どもを迎えに行く」「晩ご飯の準備をするために自宅に帰る」といった理由があるから』だそうだ。
意味がわからん!
徘徊者本人には、「子供を迎えに行く(つもり)」とか「自宅に帰る(つもり)」とか、その都度理由はあるんだろうけど、実際にはあらぬ方向に向かっていることが多く、本人の意思がまわりに伝わらない、つまり「どこへ行こうとしているのかわからない」からこそ、困っているのではないのか。
それが「いえ、実は彼らは自宅に帰ろうとしているんです。本人もそう言ってますし、私にはわかるんです」とか言われても、放っておけばどうなるかわからない。
そういう人だからこそ「認知症」とか言われるんじゃないの?
別に、認知症の人をバカにして言っているわけではなく、そういう行動を取っているから、そう表現しているだけ。
「こういう言葉を使うのは、認知症患者を理解していないからだ」とか言われても、何だか理解できない。
むしろ「患者」扱いする方が、悪意があるように思えるのだけど・・・
しかも、記事には『患者から「意味なく歩いているのではない」との声が上がり』とあるけど、これは認知症患者の言葉なのか?
だとしたら、発言をまともにとらえること自体に意味がないじゃん!
自分がちゃんと目的を持って歩いている、という自覚があるのなら、その人はそもそも患者ですらないと思う。
こういう言葉狩りをする連中というのは、ただ使っている人たちにイチャモンをつけるためだけに言葉を取り上げているようにしか思えない。
一方で、『市民からは「緊急性が伝わる」「これまでも肯定的に使ってきた」といった意見も多く出たが』とあるわけで、必ずしも悪い意味で使っていたわけではないはず。
専門家であるはずの認知症介護研究研修東京センター・永田久美子研究部長の「『徘徊』という言葉が偏見を助長し、家族が睡眠時間を削って患者の行動を見守り続けるか、施設に入れてしまうかを選ぶ現実になっている」というコメント自体が、まさに「偏見」だと思う。
まるで「徘徊」という言葉を使うから、「家族が睡眠時間を削って患者の行動を見守り続けるか、施設に入れてしまうかを選ばなければならなくなった」みたいな言い方だけど、逆だろう。
常に行動を見守り続けるか、施設に入れてしまわなければどうしようもない人の行動を「徘徊」と言っているわけだから。
「議論自体が当事者の気持ちを尊重して理解を深めることにつながるはず」というコメントは、もはや意味不明だ。
もしも、この人たちに悪意がないとしたら、こういう「善人」の方が、かえって始末に負えないような気がする。
標的とされたのは「徘徊」という言葉。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=127797
この言葉にイチャモンをつけたのは、福岡県太宰府市で、徘徊する認知症患者への対処法を体験する「声かけ・見守り模擬訓練」というものを企画・運営を担当した龍頭吉弘(70)というおっさん。
その理由は『外を歩き回る患者には「子どもを迎えに行く」「晩ご飯の準備をするために自宅に帰る」といった理由があるから』だそうだ。
意味がわからん!
徘徊者本人には、「子供を迎えに行く(つもり)」とか「自宅に帰る(つもり)」とか、その都度理由はあるんだろうけど、実際にはあらぬ方向に向かっていることが多く、本人の意思がまわりに伝わらない、つまり「どこへ行こうとしているのかわからない」からこそ、困っているのではないのか。
それが「いえ、実は彼らは自宅に帰ろうとしているんです。本人もそう言ってますし、私にはわかるんです」とか言われても、放っておけばどうなるかわからない。
そういう人だからこそ「認知症」とか言われるんじゃないの?
別に、認知症の人をバカにして言っているわけではなく、そういう行動を取っているから、そう表現しているだけ。
「こういう言葉を使うのは、認知症患者を理解していないからだ」とか言われても、何だか理解できない。
むしろ「患者」扱いする方が、悪意があるように思えるのだけど・・・
しかも、記事には『患者から「意味なく歩いているのではない」との声が上がり』とあるけど、これは認知症患者の言葉なのか?
だとしたら、発言をまともにとらえること自体に意味がないじゃん!
自分がちゃんと目的を持って歩いている、という自覚があるのなら、その人はそもそも患者ですらないと思う。
こういう言葉狩りをする連中というのは、ただ使っている人たちにイチャモンをつけるためだけに言葉を取り上げているようにしか思えない。
一方で、『市民からは「緊急性が伝わる」「これまでも肯定的に使ってきた」といった意見も多く出たが』とあるわけで、必ずしも悪い意味で使っていたわけではないはず。
専門家であるはずの認知症介護研究研修東京センター・永田久美子研究部長の「『徘徊』という言葉が偏見を助長し、家族が睡眠時間を削って患者の行動を見守り続けるか、施設に入れてしまうかを選ぶ現実になっている」というコメント自体が、まさに「偏見」だと思う。
まるで「徘徊」という言葉を使うから、「家族が睡眠時間を削って患者の行動を見守り続けるか、施設に入れてしまうかを選ばなければならなくなった」みたいな言い方だけど、逆だろう。
常に行動を見守り続けるか、施設に入れてしまわなければどうしようもない人の行動を「徘徊」と言っているわけだから。
「議論自体が当事者の気持ちを尊重して理解を深めることにつながるはず」というコメントは、もはや意味不明だ。
もしも、この人たちに悪意がないとしたら、こういう「善人」の方が、かえって始末に負えないような気がする。
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