たまには武漢肺炎(新型コロナ)以外の話題を・・・
1993年の皐月賞馬・ナリタタイシンが亡くなったそうだ。
別にナリタタイシン自体には、特に思い入れはなかったが、このナリタタイシンの調教師である大久保正陽には、いろいろと言いたいことがあった。
一般的に、この調教師は「名伯楽」みたいな言い方をされているが、私はこの調教師が嫌いだった。
実績は申し分ない。
育てた馬には、このナリタタイシンの他にも、ナリタブライアン、メジロパーマー、シルクジャスティスなどGⅠ馬がずらりと並んでいる。
しかし、このナリタタイシンとナリタブライアンの使い方を見て、当時結構憤慨した覚えがある。
まず、ナリタタイシン。
皐月賞を勝ち、ダービー3着後、普通は夏場の休養に入る。
しかし、この調教師はタイシンを7月に開催されていた高松宮杯(GⅡ、当時は距離が2000m)に使った。
当然のことながら1番人気となったが、結果は2着。
この後の休養に失敗し、鼻出血等を発症したにもかかわらず、タイシンを菊花賞に出走させた。
結果は、無様なほどの負けっぷりで、勝ったビワハヤヒデから9秒以上も離されるという屈辱的な大敗を喫している。
ただし、その後ろからさらに数秒遅れてネーハイシーザーがゴールしているので、ビリではなかった。
その後目黒記念で一時は復活し、天皇賞(春)も2着だったが、再び宝塚記念で惨敗して、そのまま引退した。
そして、ナリタブライアン。
一部には「ディープインパクトよりも強かった」とも言われる3冠馬だが、4歳(当時は5歳)の時に、体調不安が伝えられたにもかかわらず、秋のGⅠ(天皇賞、ジャパンC、有馬記念)に出走し、いずれも完敗している。
そして5歳(当時の表記では6歳)の時に、3200mの天皇賞(春)に2着だった後、なぜか1200mの高松宮記念に出走している。
この起用方法には、当時から批判もあったが、結果は4着。
スタートからついていけず、最後の直線では鋭い追い込みを見せたが、優勝したフラワーパークからは0.8秒差だった。
この調教師は「レースで鍛える」をモットーにしている、と言われているが、この2頭を見る限り、私には単なる「小遣い稼ぎ」にしかみえなかった。
ナリタタイシンをどうして「高松宮杯」なんかに使ったのか、
ナリタタイシンをどうして「高松宮記念」に使ったのか。
競馬をナメている、というよりは、これだけの馬だから、出走すれば賞金を稼げるに違いない、と考えていたとしか思えないような暴挙だった、と私は思う。
2頭とも、かなり強い馬だったのに、大事に使えば、もっと走れたと思う。
特にナリタブライアンは、兄であるビワハヤヒデとの兄弟対決も見られたかも知れない、というのに、何とも残念だ。
まあ、これは大久保調教師には責任ないのだけど・・・
1993年の皐月賞馬・ナリタタイシンが亡くなったそうだ。
別にナリタタイシン自体には、特に思い入れはなかったが、このナリタタイシンの調教師である大久保正陽には、いろいろと言いたいことがあった。
一般的に、この調教師は「名伯楽」みたいな言い方をされているが、私はこの調教師が嫌いだった。
実績は申し分ない。
育てた馬には、このナリタタイシンの他にも、ナリタブライアン、メジロパーマー、シルクジャスティスなどGⅠ馬がずらりと並んでいる。
しかし、このナリタタイシンとナリタブライアンの使い方を見て、当時結構憤慨した覚えがある。
まず、ナリタタイシン。
皐月賞を勝ち、ダービー3着後、普通は夏場の休養に入る。
しかし、この調教師はタイシンを7月に開催されていた高松宮杯(GⅡ、当時は距離が2000m)に使った。
当然のことながら1番人気となったが、結果は2着。
この後の休養に失敗し、鼻出血等を発症したにもかかわらず、タイシンを菊花賞に出走させた。
結果は、無様なほどの負けっぷりで、勝ったビワハヤヒデから9秒以上も離されるという屈辱的な大敗を喫している。
ただし、その後ろからさらに数秒遅れてネーハイシーザーがゴールしているので、ビリではなかった。
その後目黒記念で一時は復活し、天皇賞(春)も2着だったが、再び宝塚記念で惨敗して、そのまま引退した。
そして、ナリタブライアン。
一部には「ディープインパクトよりも強かった」とも言われる3冠馬だが、4歳(当時は5歳)の時に、体調不安が伝えられたにもかかわらず、秋のGⅠ(天皇賞、ジャパンC、有馬記念)に出走し、いずれも完敗している。
そして5歳(当時の表記では6歳)の時に、3200mの天皇賞(春)に2着だった後、なぜか1200mの高松宮記念に出走している。
この起用方法には、当時から批判もあったが、結果は4着。
スタートからついていけず、最後の直線では鋭い追い込みを見せたが、優勝したフラワーパークからは0.8秒差だった。
この調教師は「レースで鍛える」をモットーにしている、と言われているが、この2頭を見る限り、私には単なる「小遣い稼ぎ」にしかみえなかった。
ナリタタイシンをどうして「高松宮杯」なんかに使ったのか、
ナリタタイシンをどうして「高松宮記念」に使ったのか。
競馬をナメている、というよりは、これだけの馬だから、出走すれば賞金を稼げるに違いない、と考えていたとしか思えないような暴挙だった、と私は思う。
2頭とも、かなり強い馬だったのに、大事に使えば、もっと走れたと思う。
特にナリタブライアンは、兄であるビワハヤヒデとの兄弟対決も見られたかも知れない、というのに、何とも残念だ。
まあ、これは大久保調教師には責任ないのだけど・・・
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