はぶて虫のささやき

日々の出来事について、雑感を書いてます。
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(旧:はぶて日記)

いったい、何が言いたいの?

2003-11-25 | 日記
昨日の毎日新聞「余禄」について。

宮本輝の名作を引き合いに出して、手紙のすばらしさを訴える筆者。

<手紙を書くことで、過去の出来事が現在の自分につながっていることに気づかされる。相手を思いやり、落ち着いて気持ちを伝える手紙の良さを感じさせる>とおっしゃる。

手紙は、メールと違って、相手に届くまでと相手からの返事が届くまでに少し時間がかかるので、その間とてもドキドキしていた経験は私にもある。
しかし、手紙が常に「相手を思いやって」いるとは限らないだろう。

しかも、「落ち着いて気持ちを伝える」?
夜書いたラブレターを朝読み返してみて、ものすごく恥ずかしくなった経験は一度や二度ではない。
もちろん、私だけではないはずだ。

さらに筆者は続ける。

<すぐに意思を伝達できる携帯電話や電子メールの普及で、肉筆による手紙は減っている。最近、少年少女が親を殺し、親が子を殺し、通りすがりの子がいきなり拉致されるようなおぞましい事件が目につく。その背景に手紙を書かなくなったこともあるのだろうか>

これって、無茶苦茶な論理ではないのか。

昔から、手紙を書かない人はたくさんいたし、たとえ劇的に減ったとしても、それが「おぞましい事件」の背景になるとなぜ言い切れるのか。

「おぞましい事件」が増えた(かどうかはわからないが)原因はいろいろあるだろうに、その中でもよりによってなぜ「手紙」なのか、少なくとも文面を読む限りはわからない。

その点に触れるのかと思いきや、このおっさん急に話題を変えてしまった。
要は、言いっぱなしらしい。

勝手に思いつくのはいいが、こんな新聞の1面でいいかげんな説を垂れ流すのはやめてもらいたい。


ついでに言うと、今朝の「余禄」ではこんなことを言っている。

<競馬ファンなら、来月14日を覚えておいても損はない。高知市の高知競馬で、98年のデビュー以来負けっ放しのハルウララが、100戦目に挑戦する>

私は競馬ファンだが、こんなことに興味はない。

だいたい、負け続けている馬の馬券なんか買おうとも思わないし、中央競馬であれば、こんな馬はすでに淘汰されている。
逆に競馬には興味がない人の方が面白がっているのではないのか。

いずれにしても、大きなお世話だ。

この「余禄」の筆者は、毎日「思いつき」で書いているのか?

どうせ読者は少ないのだから、どうでもいいと思っているのだろうか。

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