イラクへの自衛隊派遣に反対するビラを防衛庁官舎の郵便受けに配り、住居侵入の罪に問われた東京の自称市民団体の3人に対して、東京地裁八王子支部で無罪の判決が言い渡された。
この件に対して、朝日新聞では手放しの喜びようだ。
まず『逮捕した警察、起訴した検察の全面的な敗北である』とした上で、『そもそも身柄を拘束したり、起訴したりする必要のない事案だった。(中略)無罪の結論を出すのが遅すぎたくらいだ』と、司法に対しても挑戦的な態度だ。
しかしアサピーは、肝心の「住居侵入」についてはまったくスルーしている。
一応『住居侵入に当たる行為ではあるが』と言いながらも、『配り方は強引ではなく、住民にかけた迷惑も少なかった。刑罰をもって報いるほどの悪事ではない』とまで言い切る。
しかし、本来問題なのは「住居侵入」である。
勝手に人んちに入ってきて、勝手なことをするからこそ訴えられたのであって、ビラ配りをしたから訴えたわけではない。
それなのに、アサピーはわざと論点をすりかえて「ビラ配りに対する裁判」と位置づけようとしている。
記事でも住居侵入に対する見解など、どこにもない。
つまり、アサピーの言い分によれば『住居侵入罪には問われるかも知れないが、そんなことはどうでもいいことだ』と言っているのと同じことだ。
この新聞は、どこかおかしいと思っていたが、とうとう犯罪まで擁護するようになってしまった。
もはや末期的症状だ。
その点他の新聞は、割と客観的にとらえている。
産経新聞の場合
『宿舎への立ち入りが「侵入」に当たるのかどうかについて、裁判長は「居住者らの承諾を得ていない立ち入りは侵入に当たる」とした上で「目的は意見の表明という正当なもので、居住者の日常生活にほとんど実害をもたらさない。これまで、管理者から団体側への抗議もなかった」として刑罰に値する違法性はないと判断した』としている。
これなら、司法がどういう判断を下したのか、よくわかる。
また、読売新聞の場合
大野防衛長官の「法的判断は別として、ビラをまくのは言論の自由と関係することだが、それをしてほしくないというのも自由。まかないでほしいという言い分にも正当性があり、まく方も考えてほしい」というコメントを載せている。
これって、当たり前の感覚だと思うのだが、アサピーはあくまでも自衛隊に意見や通常の感情を持つことさえ許さないようだ。
この件に対して、朝日新聞では手放しの喜びようだ。
まず『逮捕した警察、起訴した検察の全面的な敗北である』とした上で、『そもそも身柄を拘束したり、起訴したりする必要のない事案だった。(中略)無罪の結論を出すのが遅すぎたくらいだ』と、司法に対しても挑戦的な態度だ。
しかしアサピーは、肝心の「住居侵入」についてはまったくスルーしている。
一応『住居侵入に当たる行為ではあるが』と言いながらも、『配り方は強引ではなく、住民にかけた迷惑も少なかった。刑罰をもって報いるほどの悪事ではない』とまで言い切る。
しかし、本来問題なのは「住居侵入」である。
勝手に人んちに入ってきて、勝手なことをするからこそ訴えられたのであって、ビラ配りをしたから訴えたわけではない。
それなのに、アサピーはわざと論点をすりかえて「ビラ配りに対する裁判」と位置づけようとしている。
記事でも住居侵入に対する見解など、どこにもない。
つまり、アサピーの言い分によれば『住居侵入罪には問われるかも知れないが、そんなことはどうでもいいことだ』と言っているのと同じことだ。
この新聞は、どこかおかしいと思っていたが、とうとう犯罪まで擁護するようになってしまった。
もはや末期的症状だ。
その点他の新聞は、割と客観的にとらえている。
産経新聞の場合
『宿舎への立ち入りが「侵入」に当たるのかどうかについて、裁判長は「居住者らの承諾を得ていない立ち入りは侵入に当たる」とした上で「目的は意見の表明という正当なもので、居住者の日常生活にほとんど実害をもたらさない。これまで、管理者から団体側への抗議もなかった」として刑罰に値する違法性はないと判断した』としている。
これなら、司法がどういう判断を下したのか、よくわかる。
また、読売新聞の場合
大野防衛長官の「法的判断は別として、ビラをまくのは言論の自由と関係することだが、それをしてほしくないというのも自由。まかないでほしいという言い分にも正当性があり、まく方も考えてほしい」というコメントを載せている。
これって、当たり前の感覚だと思うのだが、アサピーはあくまでも自衛隊に意見や通常の感情を持つことさえ許さないようだ。
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