★ あぢさゐやきのふの手紙はや古ぶ 橋本多佳子
この俳句を読んだ時から 俳句が好きになった気がする。橋本多佳子も好きになった。
十七文字の中に含まれている、人生観のようなものを感じた。その頃は内の病気で、身体的にしんどい生活だった。
明日あるとおもう心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは 親鸞
思うに任せない、身体、。親鸞の言葉を噛みしめ、今日を楽しく、永生き出来ないのなら、後悔しない一日にしようと、積み重ねる日々。 明日はあるだろうけれど、人より充実した満ち足りた心でいよう。無駄に無為でない生活なら一日が何も考えない人の二日分になる、いやそうしようと思って精一杯 頑張っていた。
夜の間に吹く嵐で、花は、散ってしまうかもしれぬ。嵐が吹くことを知っている自分こそ幸せでないかと言い聞かせていた。
多佳子の句は、昨日はもう過去。書いた手紙も、もう古い、私は今日を、気持も新しく生きよう、昨日の私じゃない。現在を大切に、過去は振り返りません。と解釈した。毎日をせめて大切に生きようと思っている私に、親鸞の言葉と同じだと理解した。
あとで この手紙は恋文だと解釈する。 恋文と思わなっかた私はその頃から 華も彩も艶も無い句しか作くれぬ、暗示だったと今になってよくわかる。
★ ひと日臥し卯の花腐し美しや 橋本多佳子
☆ 老いよしや赤き林檎を手に享くる
★ 七夕や同じ姿に農夫老い
☆ 枇杷を吸ふをとめまぶしき顔をする
★ 夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟
いっぱい、いっぱい 好きな句がある。
昨日のしりとり俳句
🏡 御陵や雲居の間より杜鵑
🏡 夫に礼こめて旅信やほととぎす
🏡 からくり時計夕立去つてゆく気配