☆ 茎立や県を分かつ潮煙 斎藤梅子
散歩の途中で。 (ブロッコリーの茎立ち)
何の茎立ちにしろ、茎立ちを見ると、この句を一番に思いうかべる。
県はきっと、(阿波と 讃岐)。又は(阿波と大阪)
潮煙が立っているのである。これは鳴門の渦潮。
大きな、景色である。
説明は無し。
☆ 遠山の本降りとなる桜鯛 斎藤梅子
二句とも、今の季節。
最も齋藤梅子さんの油の乗り切っていた頃の作品である。
鑑賞が的を外れては、失礼だから、あえてやらない。
眼を閉じると、雄大な、海と白波、青い空が、私には、迫ってくる。
亡くなられて、数年が経つだろう。
地方に住んでおられた。それでも、中央で押しも押されもせず、頑張った方だと思う。
何時も、現代俳句の女性俳人の十指に数えられると考えていた。
この方が操る言葉は縦横無尽である。
そこでは、二度目に同じ言葉が使われた時、魅力が褪せたのを、私は肌で感じた。
生きておいでだと、何を生意気を言ってるの、とお叱りを受けるかも知れない。
、、、が散歩の途中で見た、ブロッコリーが畑で茎立ちをしているのを、見た時、この句がつい口をついて出た。
☆ 馬酔木より低き門なり浄瑠璃寺 水原秋櫻子
馬酔木の花の句ででこんなのがあった。
そして私は堀辰雄 の「浄瑠璃寺の春」を思い出す。
中学校の教科書で読んだ。
それが印象に残っていて、一度浄瑠璃寺へ行ってみたいと思っていた。
一度は訪れたが、秋も終わりの時であった。
春には、訪れなおそうと思いつつ、念願は、いまだ叶っていない。
秋櫻子が詠んだときからは、馬酔木もずいぶんと成長していると思える。
参道に沿って、大きな馬酔木があったような、記憶がある。
馬酔木が散歩道で咲いていた。ある お宅の鉢植えである。
ピンクの鈴が一斉に鳴りそうであった。しばらく立ち止まって見ていた。
森の中の小道に白い馬酔木が有るのは、知っており、いつも見に行く。
きっと、もう咲いているに違いない。
今日は朝から雨が降っている。
二十四節季のひとつの( 雨水)である。
立春になって初めて雨が降ること。
麦が、二~三十センチに伸びている。お百姓さんにとっては、計算された、雨なんだろう。
🍒 麦青む雨にけぶれる讃岐富士