老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

卒業写真

2016-02-25 11:35:27 | 俳句
朝 ラジオを聞いていると(今日のテーマは、なぜこんな卒業写真が?)というテーマーであった。
卒業写真にまつわる話を、面白おかしく投稿する番組である。

朝の忙しい時間帯であるから、そこまで聞いて後は、どんなことが語られたかは、知らない。

         

私の小学校の卒業写真。
ひとり小さな子供を前に立たせて肩に手を置いた友達が写っている。
小さな子供は、女教師の子供。

生まれた時から、友達が、面倒を見ていた。子供のお守りをしていた。
休み時間は、先生の所に おっぱいを飲ませに行く。
泣きだすと、ねんねこで負い、教室の後ろであやしていた。
我々友達は、何の違和感も抱いていない。むしろ、この子にみんな癒されていたのでは、ないかしら。
今のように、いじめはなかった。ときには、この坊やを、おぶってみたくなったことも。

クラスには、三才も、年上の同級生。一番離れていたのは六才の同級生。
卒業期になるまで、齢の違いなどは、気が付かなかった。
農繁期になると、何日も学校を休む友達。
疎開をしてきて、そのまま土地に住みついた、ちょとおませな男子生徒。
一クラス五十人くらい、二タクラスで100人の同級生がいた。
私は親から、少し勉強をしろと云われていた。
家庭訪問で先生が家にくると、親は、先生にこの子 本ばかり読んでいて、勉強をしないから、注意して下さいと、いつも云っていた。
先生は母の従妹だったり、従妹の旦那様。長兄の友達だったりして。
少しも怖くなかった。注意されたことくらいで本から離れなかった。
人生の中で一番幸せな小学生時代であった。

           

 この、子供が、写っている卒業写真。
何だって、子供を一緒に写したのか。
貧しいことは、恥でもないし、子供の成長過程を友達みんなで接したことは、良かったにであろう。
がこの友達は今 どんな思いで、写真をみるかと、ふと今日のラジオを聞きながら思った。
先生方、子供を記念写真を撮る間、どうにかしなかったのか?一生残る写真である。
私は、悪いとは思わないけれどよいとも思えぬ、気にかかる。
坊やの名前を記憶している。しかし記念写真に一緒に、、、、いつも、この小学校の先生達 に、疑問を抱くのだ。

      

      ☆彡    冬星座地球はひとつ音楽も

      ☆彡    牡丹の芽目に焼き付けて遍路発ち

      ☆彡    枝垂れ梅影ゆれているにはたずみ 

      ☆彡    おざなりの虚しき言葉春怒涛

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする