老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

讃岐東照宮    (躑躅の頃)

2019-04-26 09:57:52 | 俳句

   

 通常は屋島神社と呼ばれている 讃岐東照宮。 散歩コースに有りながら、階段を登らなくてはならぬから、いつも 下馬 の場所から東照宮を仰ぎ 二礼二拍をし、通りすぎていた。

霧島躑躅が綺麗だと聞く。

今は閉じてしまったが、葵亭なる茶房があって、そこの辺の躑躅を想像していた。

葵亭を過ぎ社務所まで石段を登る。

眼前に広ごった霧島躑躅の景。驚いた。

 

 霧島躑躅の真っ盛りだ。

こんな華やかな 屋島東照宮は初めてだ。

 

  

 

1651年、初代高松藩主の松平頼重が、東照大権現である徳川家康の神廟(東照宮)を建立したのが始まりの屋島神社。

宮脇村の本門寿院境内に山王権現としても尊崇され、1851年、8代高松藩主の松平頼儀が、屋島南嶺の麓に移した。  棟梁は左甚五郎の末裔、左利平忠能だ。

社務所から石段を数段登ると 神門 がある。ここから先は門が閉ざされていて本殿のある場所へは入ることができぬ。

(一度 家康さんの忌日に本殿でお詣りさせてもらったことがある。さすが立派な拝殿だった。)

この神門に施された、彫刻が甚五郎の末裔の棟梁の彫ったものによるのか、人々から称賛をされている。

  

  


      ✾     躑躅映ゆ大権現さまの忌なりけり

家康公の忌日は4月17日。

 

神門から下の社務所を見下ろす。

そこから、ずっと先の屋島の街並を望む。

 

     

国道から真っ直ぐに、昔のお成り道が通っている。

写真の道を左に曲がると、屋島神社へのドライブコースになっていて、東照宮に下にある、観光客に人気のうどん屋がある。 きっとこの東照宮はパスしているのだろうな。今の綺麗な躑躅の季節、見る価値が充分、それ以上だよ。

 

     ✾     逃水やお成道くる屋島籠

屋島詣での時、籠を使った人もあったとか。 お籠に乗った戦後の皇后陛下さまの為に整備された径が今では散歩道として四季折々を我々が楽しんでいる。(人づに聞いたから、、、真偽は定かではない。)

     

 

さて、俳句は一句も、、、

 

            改元にわきをる世情躑躅燃ゆ

            屋島嶺を降り来る風に今年竹

            ぢかにリュック置けば狼藉山の蟻    

 

     

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする