老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

11月19日  の学習

2015-11-19 09:42:48 | 俳句
       ☆     ひとつづつ冷たく重く蚕かな   長谷川櫂

蚕は絹糸をとるために飼われる家畜化された昆虫。卵から幼虫、蛹、成虫と完全変態を繰り返します。普通蚕といえば幼虫を指し、晩春の季語です。
、、、、中略
蚕は農家にとって貴重な収入源となる家畜ですから、「一頭、二頭」と数えるそうです。まさに「ひとつづつ」宝石のように大切な蚕を、春のひんやりとした蚕室の空気の中で手に取ったときの実感をストレートに詠んでいます。
作者は、八代海に面した熊本県小川町(現・宇城市)の、明治時代から製糸会社を営んでいた旧家に生まれました。父はその四代目でしたが、一九七〇年代の終わり、価格の安い外国産の絹糸が入ってきたため経営が行き詰り、廃業を余儀なくされました。
周辺の八代市などにあった提携の養蚕農家との契約も打ち切らざるを得ず、農家のその後の生活までも考えねばならなかった父の苦労を、作者も身近で見ていたと思われます。
蚕は、作者が少年時代から親しんだものだったはずです。、、、、中略
「冷たく重く」という言葉に遠い少年の頃の複雑な思いが表れているように思われます。
、、、、、、、、、中略

*熊本でも、明治維新後産業近代化の先駆けとして製糸業が盛んに興りました。長谷川製紙もそのひとつ。祖父は製糸協会の理事まで努めた人で、氏も本来なら五代目社長となる人でした。

俳人飯田龍太は掲句について「一切の粉飾を去った裸の眼でとらえ句だ。眼というより心の据えどころか。たとえば、『をりとりてはらりとおもきすすきかな  蛇笏』にいくぶん似た感触だが、それよりも更にひややか。特に『冷く重き』ではなく『冷く重く』が適切。ここで一気に感覚が生きた」と評しています。
    櫂 「二百句鑑賞」  藤 英樹から


      ☆   春の水とは濡れてゐるみずのこと   長谷川櫂

      ☆   邯鄲の冷たき脚を思うべし   長谷川櫂



書き写していると、見えなかったものが、見えてくる。

      
      遺言も遺品も無くて薄の穂   葉

      鯨汁魔除けの貝吊る海士家かな   葉
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

当たり前のこと

2015-11-18 09:31:35 | 俳句
     🌹     心技体整えてをり牡丹の芽    

私の句だからなんとも言えぬ。牡丹は花の女王といわれている。芽が力強く、春になれば、開かんとしている様に、そんな気がして詠んだ。二〇年もっと前になる。



昨日の白鵬の相撲は何というていたらく。
夫が相撲が好きで良く観ているから、私も一緒に観ている。
横綱は、ただに勝てばいいのではないと思っている。受け止めて勝たなければならない。
先場所の、鶴竜しかり、横綱がやる、目くらまし作戦は品が無い。
白鵬が心技体を備えているのは、あたりまえのこと。横綱なのだから。
優勝回数は新記録をうち立てているし。昨日の相撲は押しも押されぬ大横綱が使う、技ではないと思う。勝ち方がえげつない。
昨今は、ボロボロと品格が疑われる言葉も発し出した。(ファンも多いから、ここまで)
しかし、後味の悪い、勝ち方だったと思う。
私は 勢 が美男子だから、好きだ。それと 遠藤 。ミーハーなのだ。



    ☆   けさ冬や鯵のひらきに皃ふたつ   長谷川櫂

皃は顔のこと。「鯵のひらきに皃ふたつ」は当たり前の事柄であるが、誰しもが忘れている。「当たり前」でもある。忘れられている「当たり前」、俳句はそれが大切である。
ネット俳句会 「大呂」より。

私は、この当り前のことを俳句にできないから、日々悩んで悪戦苦闘している。


     
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

KOSI から (2)

2015-11-17 09:37:55 | 俳句

        ☆   ラグビーのダイブに地球やはらかし    長谷川櫂

        ☆   コスモスの花にきのふはなかりけり     長谷川櫂

なぜ、私が、古志のページを開けば、何時でも読めることをブログに書くかって?
ここに書いておれば、いつでもパソコンを開けると読めるから。
最近ブログを書くことに、疑問を抱き始めたから、開くと何かが得られること、新しい教示に出合えるかも知れないから。       

「あふれるもの」を
これを読んだ時、深い感銘を受けた。

俳句という小さい誌型を直径三〇センチの円とすれば、ほとんどの人の俳句はこの円よりはるかに小さい。円周との間にガバガバとすき間が空いてしまう。そこで、多くの人はそのすき間を埋めようとする。これを世間では俳句を学ぶといい、それができたとき、上達したと勘違いするのである。
しかしながら、そのようにして円をどうにか埋めたは俳句のどこがおもしろいなか。なかには最初から円ぴったりの俳句ができる人がいて、そういう人を世間では俳句がうまいと一目置いたりするのだが、円にぴったり収まった俳句のいやらしさはたとえようもない。
そのような人はどうすれば、三〇センチの円にぴったりの俳句ができるか、コツを心得ているわけで、いいかえればコツで俳句を作っている。いま「いやらしさ」といったのはこのことである。
そうではなく、ほんとうにいい句を作る人はどうすればいい句ができるかなど知らない。
自分のいいたいことが何なのか、その全容など見えていないのであって、いろいろ悪戦苦闘しているうちにまれにいい句ができる。
したがって、そういう人は決して俳句がうまいようの見えないどころか、ふだんはとても下手に見える。しかし、ときどき、うまいといわれている人が一生かかってもできない句ができるのだ。
心がけるべきことは、三〇センチの円ぴったりのうまい句を作ろうとすることではない。三〇センチの円からあふれるほどの思いをもって作ることである。そうすれば、円は破れ、句は破綻してしまうだろうが、この犠牲を払ってもなお余りあるものを得るだろう。

書き写しながら、私の悩みにも思いあたる。素直に初心にかえればいいのだ。
試験の勉強をしているようで、頭の中に言葉が沁み込んできた。




散歩の途中で拾ったドングリの帽子で、小さな細工物を作った。
ほんとうに久しぶりだ、手芸台の前に座るのは。
ブローチになる。鞄のファスナーの持ち手に吊るしたり色々、使いみちがある。



ドングリの帽子と、少しの布の切れ端があれば、五分で一個ば仕上がる。


       谿紅葉真昼も暗き径下る   葉


四、五日前の、大阪箕面の紅葉狩りでの一句。
















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

KOSI    から

2015-11-16 10:17:39 | 俳句
     ☆    無思想の肉が水着をはみ出せる   長谷川櫂

「櫂 二百句鑑賞」    藤 英樹  から

作者がこれまでに出した句集の中で、異彩を放っている代表句の一つと言ってよい。
掲句の「無思想」という言葉は明らかに マイナスイメージ をもつ言葉です。
かって「ノンポリ学生」という言葉がはやりました。政治に無関心の学生という意味ですが、「無思想」という言葉にも社会や政治、人生に対して定見をもたないという否定的な意味があります。しかも「水着」から「無思想肉」がはみ出しているのは男性というより女性という印象です。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、(中略)

作者が弟子たちにしばしば語るのは
「俳句の言葉は相手に伝わらなければ意味がない」ということです。
作った本人だけにしか分からないような表現は独りよがりで失格というわけです。
ですから作者のこれまで作ってきた俳句は詩情深くとも、言葉は明快です。
同時に作者は「無思想」のような硬くマイナスイメージをもつ言葉を使うことも否定的です。
句が理屈に陥りがちですし、わずか十七音の俳句にそうした言葉を使うことは、読者の誤解を招き真意が伝わらないリスクの方が大きいと考えるからだと思います。
ではなぜ、掲句では「無思想」という言葉をあえて使ったのしょうか。
、、、、、、、、、、、、、、、、、(中略)
真夏の陽光が照り付ける砂浜の空虚な明るさ、そこにたむろする水着姿の人々の顔はみなのっぺらぼうのようで、無機質のおかしみが感じられます。
作者はこの句について次のように語っています。
「肉体というのは、思想がなくて、あっけらかんとしてよろしい、ということです。人間の考えというのは所詮小さくて、そこはみ出したものがいいんだ。この句『はみ出せる』というのも、そういう意味なんですよ。思想などからはみ出している、ということことですね。
俳句も主観でものを言うと、小さくなるでしょう。できるだけ主観がない方が、世界を大きいままに捉えられる。(中略)世界の大きさ、美しさを、どれだけ傷つけずに俳句にできるかというなが、僕のやっていることなんです」


      
☆   趣味のなき夏服太りすぎし人   星野立子

この文章を読みつつ、立子の句を思った。
無思想と趣味のない人、どちらもマイナーな言葉である。
良い弟子を持つと、無思想な句のように、天下一品の句として昇華された。
立子の句に含まれている、思いは、いかがなものであったのだろうか。消化されないまま、後世に残ってしまうのだろうか。相手に伝わらないというのは、こんな句のことだろうか。


       ☆   夕桜後ろ姿の木もありて   長谷川櫂

       ☆   冬深し柱の中の濤の音   長谷川櫂
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅葉狩り

2015-11-15 12:11:01 | 俳句

    
          巫女たちの絶やさぬ笑や神の留守

          紅葉の枝髪にさしある占い女

          お守りは目出度き鯛や七五三      




          隧道を出て隧道へ紅葉狩る

          紅葉且つ散る隧道に石仏



          マンホールの蓋に市の花時雨くる

          日の矢射す紅葉明かりの岩襖

          


          紅葉茶屋遠くで鳴れるばつたんこ

          紅葉茶屋裏てに高く薪を積む

          目の前でたちまち紅葉天ぷらに



          ちろちろとやつと火の点く紅葉焚

          天井画のやうな紅葉を仰ぎけり

          紅葉焚く息吹きかけて吹きかけて




          昼の灯に浮かべる谿の紅葉かな

          谿紅葉真昼も暗き径下る

          峰割りて落ちくる滝や冬に入る

          音も無く揚がりて柿の花火かな
        
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする