(冬も残っている 茱萸の実)
🍒 名の木枯る池に渡せる動く橋
俳句を始めた頃は、句会が楽しかった。
徳島県の俳人で女流俳句賞をもらった、齋藤梅子さんの句会に出席をしていた。
先生は語彙が豊富で、出席をするたびに、先生から言葉を吸収をした。
先生の句には個性が有り、その個性的な句と句会で先生が選句をする句は全く違っていたことに、ずいぶんと後になって気がついた。
☆ 目の下を舟の通せる暑さかな 梅子
一番に思い出す句。
先生の代表句は
☆ 灯明に離れてすわる朧かな 梅子
( つつじ の返り花 )
🍒 太古のまま低き山並返り花
句会に出ていない。最近は、結社の師を迎えた、倉敷での句会。
句会はあったが、句友と吟行をするわけでなし、師と共に 同じ対象を見たわけでない。
句会は師の、毎日の生活の中でいかに句を取り込み、句にくみするの教えがあった。
師ならの教えを受けて、句の選評。
ちょっとした緊張感が心地よい。
最も、心酔をしている、師にはまだ一度もまみえていない。
投句をするのみで6年近く。
僅か、1ページの 「俳句自在」を読むばかり。それでも、この6年間に培った俳句に対する思いと、作句の心得。
最近、師は広島の宮島での句会があった。
その時の句会報告で、牡蠣の名産地ならではの、牡蠣の句が多く出句されていた。
それを目にして、私も我が街の牡蠣のことを詠んでネットに投句をした。
同じ景こそ見ていないが、吟行に近い臨場感があったのか、その句が抜けていた。
思った。
師と景を同じに同じ空気を吸って、句づくりをやる人の強み。羨ましい。
俳誌にも、ネットの会員にも、あまたのあこがれの人達。
切磋琢磨をして、師と場を共にして、勉強に励んでいる。
他人を見て心は動くけれど、そこで気づいたのは、私は田舎のおばん。それなりに、田舎に残っている、古い習慣や日本の原風景を素直に詠めばよいのだ。
都会の季節感覚の薄いマンションに住んでいる人はそれなりの苦労もあるだろう。師の追っかけで、いつも身辺にいる人もそれなりの苦労を、、、と理解ができた。
梅子先生はそれなりに、立派な先生であったと多くの句会に出た経験から再認識を。
今の師は超一だから、推して知るべし。
「全没から学べ!」 「はい!」 それも大切な教えである。
しり取り俳句から
🍒 雪蛍追ふて どこまで行つたやら
🍒 別かれの時視線が靴に冬の虹
🍒 己が影濃くなるばかり去年今年