老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

   俳句あれこれ

2017-12-13 11:27:18 | 俳句

     

 昨日の読売新聞の俳句欄に載っていた、正木ゆう子さんの一文。
いたく理解のできる文章であった。印象深かった。

市井の中の清く貧しい俳句愛好者の心に沁み込んだ。(少し誇張)

不肖、私は真摯に俳句に取り組んでも、いつも全没、全没で、それでも良い句を、、と一生懸命に作句をした。
私のブログを読んでいた息子に、(母さんは、いつも全没、全没と書いているけれど、そんなに ヘタッピーだったのか)と云われたことがあった。(そうよ、母さんはヘタッピーなのよ、いくら勉強をしても駄目なの)と応えたものだ。

いくら師のおっしゃる五ヶ条にそっても、師の心をつかむ句は出来ないことに、今になってやっと気が付く。自虐的になり、自分を貶めても、なかなか句はできない。お裁縫をやるのも、散歩を楽しむのも、何かに憑かれたように俳句にのめり込んでいる自分にこれではいけないよと言う信号が発せられてのこと。

俳句なんて、楽しみ、趣味、暇つぶし、、、、それで良い。
師と仰ぐ人は、結社の師でよいが、結社の師、彼ひとりがすべてではないことと思えるようになった昨今。

> 最近、同じ地域に住む俳人の句を師が添削をして採用をしていた。
「この地独特の呼び名」を添削していたが、師の勘違いがはなはなだしかった。
そうじゃない!師も神ではない。知識は豊富、しかし深く地方の風物に精通するには限界があると、認知をしたことであった。

あまりにも師を崇拝しすぎている自分がお目出度い人に見えてきた。いまさら、この歳になって、少女みたいな感想をもたらす馬鹿さ加減。

ゆう子さんが云うところのネットと、葉書の違い?そんなこと、そう云い切れるかもしれないけれど、全員が高みに登ろう、立派な句を作ろうと考えているわけではない。
>少ない言葉に思いを込めるのが俳句の要諦だとすれば、句数を絞ることもその中に含まれるということです>
おっしゃるとおりです。よく理解をしています。

しかし、、、、となる、<プレバト>も俳句、そこらに散らばっている<サロン化した結社> も、みんな俳句を愛している。そこそこ楽しんでいれば、正木ゆう子さんのおっしゃることも胆に命ずる程度のことだと不肖、私は受け取った。
あくまで俳句の王道、理想は、おっしゃるとおり。
何人いるかな。。。。ゆう子さんを心酔していて、ご無理ごもっともと、、、聞き流せばいいのに、ブログにまで書く、落第生の吾は可笑しいと思った次第。

一句に絞った俳句を全没になって、捨てるには惜しいとネットに出す。互選にはかからないけれど、、選者の選評にはかかった句が何度か。大方一千句の中から、、、息子には弁解をしないが、たまにはこんなこともあるのだ。
句風の違いで、捨てられたり拾われたり、そこが難しい。
俳句は ① + ① =  ❷   じゃない。

せっせと ネットのしりとり俳句、三分の集中力を臍に込めて、一日を楽しみます。
高度な俳句?って何?何?


     🍒    聖樹立つ行き来楽しき駅広場    (聖樹)

    🍒    湯気を立て菓子舗の 鉄瓶鳴つてをり   (菓)

    🍒    海鳴りの聞こゆ厄坂冬椿     (坂)

 

 

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  美しい人

2017-12-12 17:22:22 | 俳句

       

          

 読売新聞の「四季」欄に、瀬戸内寂聴さんの句が10間にわたり載っていた。

昔、昔もう50年も前。
寂聴さんが、瀬戸内晴美さんを名乗っていた頃の事。
まだ学生だった私は、彼女の講演を聴きに行ったことがある。
その頃、文芸春秋社の後援事業だったと思うだけれど、全国を著名な作家や文化人が 、講演をして回っていた。

瀬戸内晴美さんの講演を街の文化センターに聴きに行った。前列の席に陣取っていた私。
瀬戸内晴美さんを見たとたん
(なんて 美しい人なのだろう)と魅せられてしまった。
顔の美醜を云えば、美しい人は沢山いる。
しかし内からあふれでている、そう内面の美しさが滲み出て光輝いている女性を始めて見たと感じた。
今も覚えている。紅型模様の着物に空色の帯を締めていた。ひっつめた髪を後ろでひとつに結っていた。
人間の美しさを考えるようになったのはその頃から。

出家をして、髪を落とし、寂聴を名乗り、今も活躍をしている。

先だって、山尾志桜里さんが、不倫をした時、肯定的な意見を言っていた。
相手の弁護士が、離婚をした。
誰かが、不幸になった。。。。と思っている。
詳しいことは所詮ニュース記事にすぎず、プライバシーもあることだし他人が何をしようが構わないが。ああーあ!

寂聴さんも、奥様のいる方との長いお付き合い。家を出た時のいきさつ、みんな承知の事実である。
今思えば、あの充実した女の美しさは、恋の真っ最中の時期と符合をする。
恋は結構なことです。

     ☆    羅や人悲します恋をして    鈴木真砂女

 寂聴さんの波乱万丈の人生。その一瞬の女として照り映えていた頃に講演会で見た彼女を美しいと感じた記憶が甦った、昨日今日である。
人を悲します恋は、私はいくら寂聴さんの意見でも否定をする。

「四季」の句は枯れた人間の悟りの句である。清々しい童女になるまで、、、
白い雪を染めるような赤い血を幾たび流したか、雪こんこんと唄っている老女がそこにいる。

 

   

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    鬼の霍乱

2017-12-11 10:47:23 | 俳句

 風邪をひいた。
今日になってやっとパソコンを開くことが出来た。
風邪など何十年ぶりでひいただろうか。
他の病気は、あれこれとやったが、風邪と思える症状で寝こんだのは初めてである。

熱を計ると37度にも満たない。
食欲がなく、食べると吐き気をもよおす。欲しいと思ったカステラと牛乳を少しばかり食べただけで。
汁気の物が欲しくなり、白菜鍋に豆腐を入れ、熱いいお汁と豆腐を大根おろしで食べた。
食べ終えて5分もすると、吐き気が、、、
昨日まで、便秘をしていたお腹が、今度は下痢状態に、、、
胃と腸に熱があったらしく、しくしくと痛みは続いていた。

医者ににもかからず、安静にしておればと、ベットで過ごす。起き上がることができなかったのだ。今度は寝すぎて腰が痛くなる。
さんざんの態の3日間であったがやっとパソコンを開く気がおこった。
まあ私は普段、丈夫でないから、鬼の霍乱とは言えないが、しんだかった。苦しかった。

漱石忌で投句をしていたら、一句が特選と二句が入選に入っていた。
そして私の選をした句が、全体の中の「銀賞」に。
堂々と選評も記されていた。自分で云うのは可笑しいが、選句も実力のうちだと云われている。
選をされて、一喜一憂ばかりしていた自分もまんざら、俳句を見る目があるのか?と、、、
句会に出ないから、こんな機会が自分試しだ。

漱石忌の題詠で、猫の句が沢山でていた。付きすぎ、発想がオソマツと私は思った。選をしなければよいだけの事であるが、今まで、結社の師に傾きかけ過ぎていた俳句感から距離を置こうと思い、他の句会に参加をしてみた。
過信せず、謙虚に俳句を楽しめばよいのであると思う。

    🐇    日にゆがむ絵ガラスの窓漱石忌

 

      


 

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  何もない 無い

2017-12-08 16:46:01 | 俳句

     

 マンションから呼び出しが。
火災探知機の点検に立ち会ってくれとのこと。

      

 ほんの、五分もあれば終わった。
夫が管理人が扉を開けてくれないのか?、、なんてテレビの見すぎのような事を云う。
我が家で鍵は管理しているのに、何と言う無知なことを云うのかと 呆れた。

        

 窓から、ヘリが飛び去るのが見える。
昨日も部屋の中を見ているうちにここへ帰って来ようと思うようになった。
今住んでいる家に比べると、狭いけれど、インテリアの事を考えたり、便利な場所であるし、気に入って買ったマンションであるから、環境を変える時期に差し掛かっているのではないかと思い始めた。痛む脚にもここが良い。
そんな事を、、、
好きな俳句は今はどうでもよくなっているし、、、歳相応の句が詠めたらね~。
特選だ!入選だ!そんな事は小さい小さい、余生が楽しければと、、、悟った。
自分なりに年齢にふさわしい、自然体が一番と思うのだ。

 

しりとり俳句から

      🍒   マッチ棒のやうな燈台冬満月    (月)

     🍒    水仙の咲く燈台へ手漕舟     (渡る)
        水仙の咲く燈台へ海渡り、、を推敲

     🍒    にび色の海牡蠣筏遠く見ゆ    (に)

     🍒    昔抜きし奥歯が痛む霜夜かな

 

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犬 🐕 、、、、、 猫 🐈

2017-12-06 09:56:05 | 俳句

     

 暖かいとベランダに出て日向ぼこが好きな 姫。
「姫 ひめ、、」とよんでも家の中に入ろうとしない。
良い顔をしている。しあわせそうな!

     ☆    猫呼んでゐる家日暮の花柘榴    森澄雄

> 何気ない日常のひと駒。これがなかなか詠めない。

     

     ☆    犬吠えて夕暮れのくる植田村     森澄雄

>この句も森澄雄。
お亡くなりにはって久しいが、余り興味のある作家ではなかった。というより名前こそ知っていたが、知らなかったのが本音。
吟行に行っても手帳は不携帯。対象に向かって長い時間、見つめていると何かの本に書いていた記憶がある。

 今、読んでみると、自然詠で素直に水が沁み込むように心に残る。
老いを迎えて、語彙も無くなり、頭も働かなくなった私は、教えられた気がした。
比喩の多い句を尊重する?というより見えない物を詠めと言う方より、もっと平明でてらいの無い 森澄雄の句に魅かれている昨今。

     ☆    犬吠ゆる辛夷の夜の花咲ざかり    森澄雄

 散歩の途中で見つけた犬。姫 と同じように 日向でまどろんでいた。近づくと寝ていたのに首を持ち上げて私の方を、ちらっと見上げる。
種類は知らぬが大きい割に優しそうな犬であった。


     🍒     日向ぼこ番犬にあらずと言ふ顔で

     🍒     寒波くるひねもす眠つたままの猫

     🍒     毛糸編む猫衰へぬ好奇心   

 

 

 

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