田舎に住んでいてよかったと思うことがしばしば。
他の結社に属している俳人も、勿論私が投句している結社も、吟行はしばしば行っている。
拾える物を探し、吟行で見聞をした何かを頭の隅に溜めて置いていつか取り出す為に、、。
最近も師を囲んでの、高野山でのお月見句会があった。
数十人の参加者の当日の句が披露をされているのを読んで、いつも新鮮な句に驚きその場にいない自分を可哀そうだと思う。
やせ我慢からお月さまはどこにいても詠めると、、それは強がりにすぎない。
高野山での臨場感、空気感。
🐢 なまぐさき空海の書や山は秋 沙羅
🐢 高野山の月借り切つて句会かな 雄二
🐢 身中の虫もいで来よけふの月 佐幸
一読をして二回目、三回目と読むうちに最初の興奮が醒めてくるものの、羨ましさがこみ上げてくる。
吟行句にして、独立をした一本立ちの句が師を囲む句会では生まれるのだ。
なぜ田舎に住んでいることをよかったかなぞと云うのか?
他人と自分を比較したり、無い物ねだりをするより、この自然豊かな、山と海と季語の宝庫の環境は誰のものでもない、私のものだと気づくのである。
ネットに投句をするのも、俳誌に投句するのも、すべて散歩の途中で見た植物の移ろいや季節感は田舎でしか味わえぬ。
殿を連れてよく歩いた運動公園に行く。
子供達が遠足に来ていた。
以前は殿が駈けていた場所はサッカー場に整備をされていた。
「僕の匂いが消えている」と殿の空耳が。
紅く染まった50センチくらいのこの木は何の木。
躑躅科の木には違いがない。この木に気づいたのは、いつも来ていながら初めて。
こんな発見が少し散策をすればころがっている。
これを吟行と云わずに何と云う。
句が拾えなかったが、、、。
しかし、やっぱり羨ましい。本音は師を囲む句会に出たい!
なぜ、だらだらとつまらぬ事を書くの?今日は!
夫が特選のバーゲンセールと笑ったが、、、
今日は、この田舎住みの散策で拾った句が二句も特選だったから。
今日拾った句
犬いずとも草の色づく径かな
女郎蜘蛛兵隊蜘蛛と子ら呼びゐ
肩車芒の原を出で来たる