老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

    やっぱり羨ましい

2018-10-17 17:12:04 | 俳句

         

 田舎に住んでいてよかったと思うことがしばしば。
他の結社に属している俳人も、勿論私が投句している結社も、吟行はしばしば行っている。
拾える物を探し、吟行で見聞をした何かを頭の隅に溜めて置いていつか取り出す為に、、。

 最近も師を囲んでの、高野山でのお月見句会があった。
数十人の参加者の当日の句が披露をされているのを読んで、いつも新鮮な句に驚きその場にいない自分を可哀そうだと思う。

 やせ我慢からお月さまはどこにいても詠めると、、それは強がりにすぎない。
高野山での臨場感、空気感。

        🐢     なまぐさき空海の書や山は秋     沙羅

        🐢     高野山の月借り切つて句会かな    雄二

        🐢     身中の虫もいで来よけふの月    佐幸

        
 一読をして二回目、三回目と読むうちに最初の興奮が醒めてくるものの、羨ましさがこみ上げてくる。
吟行句にして、独立をした一本立ちの句が師を囲む句会では生まれるのだ。

 なぜ田舎に住んでいることをよかったかなぞと云うのか?
他人と自分を比較したり、無い物ねだりをするより、この自然豊かな、山と海と季語の宝庫の環境は誰のものでもない、私のものだと気づくのである。
 ネットに投句をするのも、俳誌に投句するのも、すべて散歩の途中で見た植物の移ろいや季節感は田舎でしか味わえぬ。

 殿を連れてよく歩いた運動公園に行く。
子供達が遠足に来ていた。

 以前は殿が駈けていた場所はサッカー場に整備をされていた。

「僕の匂いが消えている」と殿の空耳が。

          

 紅く染まった50センチくらいのこの木は何の木。
躑躅科の木には違いがない。この木に気づいたのは、いつも来ていながら初めて。
こんな発見が少し散策をすればころがっている。
これを吟行と云わずに何と云う。
 句が拾えなかったが、、、。

しかし、やっぱり羨ましい。本音は師を囲む句会に出たい!


 なぜ、だらだらとつまらぬ事を書くの?今日は!

夫が特選のバーゲンセールと笑ったが、、、
今日は、この田舎住みの散策で拾った句が二句も特選だったから。


 今日拾った句      

             犬いずとも草の色づく径かな

             女郎蜘蛛兵隊蜘蛛と子ら呼びゐ

             肩車芒の原を出で来たる
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     木の実降る 

2018-10-16 12:30:28 | 俳句
 
        

        よろこべばしきりに落つる木の実かな

最初の師が、風生さんが郵政省の事務次官だった時の秘書官だった。
その頃俳句を始めたと何度か聞かされているうち、風生さんは、今もって親しく偉大なお爺ちゃんみたいな俳人だと思うようになっている。。

 その風生さんの俳句読本を読んでいたらこんな文章が。

____  いわゆる前衛俳句は、独立の様式の 「詩」 であって私の観念「俳句」とは違う。
俳句というラチを越えた詩的活動の所産だと思う。
俳句という季題、17音という二つの約束の下で出発をした詩であり、そういう約束に従った内容の詩へ、あとから俳句という名を与えたに過ぎないと考えたいというなが私の持論である。 ____

 そうなんだ、小理屈を述べ、レトリックを縦横に使用をした、難解な句を詠み理解できない者を置き去りにした俳人が往々にして存在する。
その句が悪いのでは無く、煙にまかれ、無理に解かろうとした自分がいたりして、反省をすると同時に笑った。

 迷える子羊ではなく、悠々自適を謳歌する羊がいた。
呼べば近づいて来る。髭がパーマーをかけたようにくるくると巻いている。
素直に誰にでも説明をやらなくても理解をしてくれる、ある面、下手と思われる句を詠もう、、、
 
          
       
                秋茱萸をふふみ遅れ来人を待つ

             むささびの留守らし巣穴仰ぎけり 
 
               木洩れ日に揺れる木の橋木の実降る             
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     吟行はやらないより やった方が、、、?

2018-10-15 12:19:02 | 俳句

           
  
 昨日の一番の目的は、まだはっきりと見たことの無い 「南蛮煙管」OR「思ひ草」を見ること。
 森のボランティアの方がもう終わりかけておるがと云う場所に案内をし連れて行って下さった。


 芒をかき分け押し分けて、花を探して下さった。
思ひ草の名のように、
恋しいお方、私に逢いたいなら、山を越え谷を渡り芒の原に分け入って探して下さい、、、とばかりに芒の根方でひっそりと咲いている。
自然の環境の中にあるナンバンギセルは、とても、一人では見つけられない。

             思ひ草今し蛇消ゆ芒原

 古い池を泳いでいる蛇を連れの少年が見つけた。
ガイドが、あれは 蝮 だと云う。
怖い。少年が池に近寄る。
もし上がってきたらどうする?
怖いもの知らずの少年、、、成長の過程で自然観察をやりながら学んでゆくのであろう。

       

             
             指しくれし蛇は蝮ぞ泳ぎをり

 この二句、投句をした。

        🍏     坂本龍馬南蛮煙管皮の靴

 そんな事を、、、

 吟行は何かが落ちている。








       
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     幸福の風景

2018-10-14 22:16:35 | 俳句

   


 秋晴れの一日、さぬき満濃公園を訪れた。

日曜日は公園内の自然生態園での観察をボランティアの方がやってくれる。
以前見た、蔓竜胆を、も一度見たくてやってきた。

このさぬきの森と名づけられた森林はウイクーデーに来ると案内者なしでは怖くて散策ができぬ。猪、蛇が、、、いるいる。

今日も池を泳ぐ蛇を見た。それも 蝮!

 それは次に、、、

     

園内を散策しているのは若い子育て最中の家族が多い。
しかし、我々のように老夫婦もいて、広い園内を思い思いに楽しんでいる。

 若い恋人かしら?
コスモスの咲き乱れている丘で語らっている。

 楽しく遊んでいる子供達を見るにつけ、幸福の景色が数十年前の私の想い出の風景とは大いに違っていることに気がついた。

       

 私が子供の時は田舎にはまだ水道は無く、写真のような、釣瓶井戸であった。
我が家は薪を商う商家でもあった。

         


 観察園の建物では昔懐かしい遊び道具があって、女の子が羽根突きをやっていた。
私が子供の頃のお正月の遊びの主流であった。

        

 夫が縁側に置かれていた、独楽を回していた。

 羽子板を突いている、この女の子の年齢の私の姿が走馬灯のように浮かぶ。
人生で一番幸せな時代だった。
 両親がいて兄や姉。
その家族を想い出すだけでも、幸福になれる。

 決して裕福では無く貧しかったけれど、その時代を謳歌し、ああ、父さん、母さんが健康で、、、

 満足そうな現代の、作られた公園の環境での楽しみに疑問を感じぬ若い世代が、昔の私達の不自由な想像もできぬ生活を、笑いながら経験を体験をやっている。
彼等が私の年齢になった時は又違った地球の風景になっている。さてどんな景色や日常が。

 猿の惑星だけにはならないように。。。。
地球温暖化で富士山だけが残っているなんて、まさか?

この平和が永久に続きますように。


      
             偲びゐる父母秋の日の過ぎてゆく

            茶の花や厨もれくる男声

            雲近く木末にありぬかりんの実   



 

     






       

 

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     藍の花

2018-10-13 07:27:44 | 俳句
                   
 
 迂闊、迂闊。
藍の花を知らなかった。
藍染の生地が好きで、藍染で何枚も洋服を作り、藍染の布でパッチワークの袋を作り、藍の愛好者でありながら、花を見て、これが藍の花だと断定を出来なかった自分が恥ずかしい。


         

 公園を散歩をしていると、ちょっとした花壇がある。
真っ赤なサルビアの花に誘われてゆくと、サルビアの横に赤まんまに似た花の一角があった。
赤まんまを花壇に植えるはずがないと思いつつ、写真を撮る。
薄紅の、まことに小さい小粒の花が帯状に咲いている。
花壇に植える?コントラストを良くするために、この地味な花を、と、、、
ひょっとしたら、藍の花?
 タデ科の一年草。赤のままもタデ科タデ属、そっくりといっても過言にはあらず。
帰って調べるとまさに藍の花。

              明日植うる藍の宵水たつぷりと     豊川湘風

 一番目の師、湘風先生は「藍の湘風」と俳句仲間から親しく呼ばれていた。
句集の名前も「藍」。先生のことを想い出した。

              藍咲くや橋流れしは二た昔     友岡子郷

 吉野川は昔から暴れ川と云われ、豪雨の度に氾濫をした。
氾濫をした肥沃の土地が藍を育てて、阿波の藍として全国に名前を馳せた。
友岡氏の句は、氾濫をした折りに流された橋を詠んだ句だ。
 私の記憶に「こんにゃく橋」というのがあり、それは木を何十枚も繋ぎ、こんにゃくのように、たよりの無い、水に流されると、直ぐに板を置けばよい、簡易な橋が吉野川の支流に架っていた。

       
              炎昼や藍刈る人のほか見へず    葉

 近所の藍を栽培している場所へ藍を刈る作業を見に行った時の詠んだ。
花は見ず炎天下に藍を刈っている作業を畑の近くで邪魔にならぬようには見せてもらった。
炎天下、汗をびっしょりとかき大変な作業だ。
一応、特選をもらった句だ。

 

      🍎     産土を亡き師を偲ぶ藍の花

      🍏     散紅葉ふらここの下に潦



     

















              
      
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