コナサン、ミンパンワ!10月も当ブログをも宜しく願います。
さてさて、毎年10月と言えばモーター・スポーツのビッグ・イベント、F-1世界選手権、日本GPの開催月ですな。思えば我国に初めて世界最高のレース・カー、F-1マシンが姿を現したのは1974=昭和49年。時の総合勝者、E・フィッティパルディ選手以下の精鋭が、静岡の富士スピードウェイにてテスト走行を行なったのが恐らく最初ではないだろうか。
同コースにて2年後の1976=同51年、いよいよ初のF-1日本GPがスタートし、この時は高橋国光、星野一義の両氏を初め、多くの日本人選手がとりあえず同レースだけのスポットにて参戦した様だ。2回目となった翌年、レースカー2台の接触に端を発した遺憾な人身事故によりこの時は取りやめとなり、以後10年を経て時のFIA=国際自動車連盟会長だったJ・M・バレストルさん(フランス出身)の肝煎りにより再開。この時新たに開催地に選ばれたのが鈴鹿サーキットだったのである。再開は1987=昭和62年11月であった。
このコースは1962=昭和37年、我国の自動車交通=モータリゼーション勃興以前にホンダの総帥、故本田宗一郎さんの大英断により開設。同氏は建設に当り、周辺の環境や農業等への影響が少なくて済む様神経をお使いになったと聞いている。それと共に2年後に開始されるホンダF-1活動に備えての、布石の意味もあったのではないだろうか。
区切りとなる、とりあえがの鈴鹿最後のF-1日本GP開催は今週末。更に今シーズンは今月後半まであるので、今月の当欄はこの話題を連載しようかと思う。(以下次回)