鈴鹿サーキットにての、とりあえずの最後と言われるF-1日本GPの決勝より1週間が経った。今日の当地は先週と同じく穏やかな晴天。1週間前の事を思い出しながら今回記事を記している。
男性誌「週間プレイボーイ」最新号のグラビア欄に、鈴鹿でのF-1日本GPの同誌が選んだ名勝負10傑が載っていた。やはり初期のレースに印象深いのが多く、鈴鹿初GPにてフェラーリが勝利を収めた1987=昭和62年。A・セナ選手が初総合優勝を決めた1988=同63年、同選手が接触事故の果て、コース取りの不手際により失格を喫し、因縁の相手A・プロスト選手が3度目の総合優勝を遂げた1989=平成元年。そして中嶋 悟選手の惜別レースとなり、本来勝者となるべきだったセナ選手が、最終周にて僚友G・ベルガー選手に勝利を献上した1991=同3年・・・などなど。やはり初期の鈴鹿はセナ選手の存在と功労に負う所が大きかった事を改めて感じている所だ。それ故1994=同6年春、同選手の急逝後はその喪失感が一際大きかったのだろう。この年、F-1は多くの日本人愛好者をも失っているのだ。
上記WPB誌の選考には漏れたが、俺にとっては往年の名手の2世、D・ヒル選手が総合優勝を決めた1996=平成8年の日本GPも好印象だ。
この年、当時のベネトンよりフェラーリへと引っ越した当時の勝者(Defending Championと言う)にして好敵手M・シューマッハー選手は移籍初年度ともあって、今1つ調子を上げられないでいた。
ヒル選手にとっては2度と来ないかも知れない大きな勝機である。周到にして丁寧なレース戦略が序盤より光ったが、そこへ又しても難敵が立ちはだかる。
あろう事か、同じウィリアムズGPより出走の、これも往年の勇者の2世、J・ヴィルヌーブ選手。同選手はこの年がデビュー年。前年のテストより頭角を現し、この年の開幕戦ではいきなりの予選首位を奪って他のチーム、そして選手各位を震撼させたものである。
亡父、G・ヴィルヌーブさん譲りの一発の速さに加え、父にはなかった緻密さと安定感をも身につけた隙のなさで、ヒル選手とは正に、同門にして2世対決と言う、本当に見る方も気の抜けない緊迫した良いシーズンにしてくれたと思う。
ただ、全体のレースの組み立てはさすがにヒル選手の方が周到で、鈴鹿にては、好位置につけたヴィルヌーブ選手の競技車が走行中に脱輪事故を起こす不運にも助けられ、序盤に苦戦した以外、後半は安定した走りぶりで見事、親子2代の総合優勝と言う偉業を遂げる事となった。
同選手は前世紀末に引退、又良きライバルだったヴィルヌーブ選手も今季半ばにて他のレース種目へと異動して行った。過去帳に入ってしまったGPレースの記憶だが、その輝きは今も失われていないと思う。