Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

裏「白と赤の風」Ⅳ

2008-08-24 22:54:48 | 旅行記

コナサン、ミンバンワ!8月も下旬となり、不安定な天気の日が多くなるも、朝晩はようやくしのぎ易くなって来た。明らかに秋への季節の移り変わりが始まったと言えるだろう。今までが猛暑続きだっただけに、夏パテなどの後遺症が出易い時期。お互い用心と言う事で。

さて、俺もしばしば閲覧に参る2ch掲示板。勿論鉄道・交通の分野における情報も多い。名古屋鉄道関係でも、話題のパノラマカーのみならず、同鉄道各線や各車両の話題とかもかなり詳しく載っている。今夜はその中より、パノラマカーの実子「パノラマ・スーパー」に関連する話題を拾ってみようと思う。実は余り品性良好とは言えない面もあるのだが、その点はご容赦!

1988=昭和63年に初デビューしたパノラマカーの実子「パノラマ・スーパー」も今年で20周年を迎え、親パノラマに続き全盛を誇ったその勢力にも翳りが見えて来た感がある。実は同車には事実上3兄弟があり、内2者が編成全車が特別車「ミュー」にて構成され、残る1者が特別車2、JRの自由席に当たる一般車4の計6両で構成される一部特別車編成。全車特別編成は正統の展望席付の4両組と、展望席なしの3両組があったが、後者は今夏運用より離脱、一部の車両が早めの引退廃車と相なったのは遺憾である。前者も現有勢力は最盛期の半分弱へと後退しており、今年末には特急運用の大幅見直しに伴って、全車特別編成が全て引退の予定であると言う。従って来年以降も存続する全車特別編成特急は中部空港行の「ミュー・スカイ」のみとなる予定である。

さて、現役を退いた「パノラマ・スーパー」全車特別編成は4両共通勤車両に仕様変更されて再デビューを果たしている。足周りや電気関係など主要部品を再用し、車体はステンレス製を内装と共に新造している。車型は5000型と言う。これは1955=昭和30年にデビューした名古屋鉄道の戦後初の本格特急車の車型だったのだが、愛好者各位はこの番付を「格下げ」と判断したらしく、このニセ新車を非難する欄=スレッドを立てて色んな発言を投稿している。まあ言いたい放題の感が強いのも事実だが、中には明らかに無関係な投稿も散見される。今回は特に目に余るそれを・・・。

7/19(土)付の同欄に、明らかにその手の投稿を発見。まずイケメン系の若造の顔が描かれていて、その横に変な替え歌が載っていた。人気アニメーション映画「崖の上のポニョ」の替え歌で、歌詞は以下の通り。(途中から)

ホ~モ ホ~モホモ 男の子 ホモの国からやって来た

ホ~モ ホ~モホモ 勃って来た ピンピンチン〇(伏せ字)の 元気な子・・・♪

殆ど「荒らし」としか言い様のないこの投稿、後日「間違えた。ポ~ニョ ポ~ニョポニョ・・・だった」などと書き込んでいたが、言い訳は明白だろう。初めから俗受け狙いだったのだろう。そんなのは初めから書くなっつの!

もう一つ、この替え歌、歌詞全部の所謂フル・コーラスで歌える者はいるのだろうか。かなりの太い神経の持ち主でなければ無理そう、と言うのが俺の受けた印象だが、他の各位はどうお感じでしょうか?035

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安全~白と赤の風

2008-08-24 21:31:00 | インポート
うさSAN今晩は。今日は拙日記コメント有難うございます。この所当地は不安定な天候が多く、時雨る事もありますね。昨日午後から今朝までは、久し振りのまとまった雨になりました。ただ、これまでの猛暑からは解放され、朝晩少しはしのぎ易くなったのも事実です。

さて今月の拙特集日記の東海道新幹線、貴女の地元大阪を縦横無尽に駆け巡る優秀な私鉄各線、そして拙地元の名古屋鉄道と、新幹線を別格としても相当な高速にて走行している訳ですが、その陰で地道な安全確保への取組みが行われているのは、あるいはご存じでしょう。

考えたくはないけれど、安全を語る上で、我々は決して忘れてはならない惨劇の記憶がありますね。
そう、2005=平成17年4月、兵庫尼崎のJR福知山線にての、100名を超える犠牲と、550名を超える負傷者を生じた大列車事故であります。
まだ通勤通学の混雑も収まらない9am過ぎ、尼崎へ向かっていた上り列車が大幅な速度超過の為正常な曲線通過をする事なく脱線、沿線の建物に激突して多くの死傷を生ずる結果となりました。一時は列車妨害の可能性も囁かれましたが、結局は速度違反による事が明らかとなりました。

現在の鉄道は、運転者が明白な信号無視などをした場合は数秒で自動ブレーキをかけて列車を停止させ、危険を避ける仕組みになっています。
所謂ATS=自動列車停止装置であります。但し事故当時の福知山線の装置は旧世代のもので、事故原因となった大幅な速度違反に対応したものではなかった様です。
そこで改良された自動列車停止装置では、信号が守られていても速度が著しく高い場合はやはり同様に安全確保の為に動作する仕組みの様です。

この様に安全への取り組みは、言わば「事故との闘い」でもある訳ですね。こうしたシステムは勿論東海道新幹線でも標準的に取り入れられている訳ですが、在来の一般路線であっても、この様な深刻な問題が起これば直ちに改良が加えられて来ている様です。

過日も申した様に、この6月末、私は前述の事故現場へ弔意を表しに行って参りました。場所は福知山線の尼崎とすぐ次の塚本のほぼ中間、塚本駅より徒歩で20分強の所で到着時刻は7pm頃。夏至と言えど暗くなるギリギリのタイミングでありました。件の建物には今も残る衝突痕が車窓からもはっきりと認められ、当時の凄惨さを今に留めておりました。
雨天ではありましたが、現場には今も保安の為に関係各位が詰めていらし、この方々に一礼の後現場に向かい焼香をして参った次第。
許可を得て映像も1枚収めましたので、近く拙写真帖にてお目にかけたく思います。

とに角強く感じたのは、高速化や利便性の向上は良いが、乗客乗員の生命に関わる安全が疎かにされる事があっては断じてならないと言う事でしょう。
聞いた話では、事故現場を守るJRの関係各位には、線路の品質と安全を守る保線の技術を担う方々も多くいらす様です。鉄道の礎とも言える線路の守り手として、この出来事を誰よりも重く受け止めていらっしゃる事でしょう。又、是非そうあって欲しい所です。*(新幹線)*
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