Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

今年の「鉄道の日」は・・・Ⅱ

2008-10-19 17:10:13 | 日記・エッセイ・コラム

各位今日は。昨日今日の当地愛知は晴天に恵まれ、絶好の行楽日和となった。しかし・・・

昨日午前、当地の名古屋鉄道本線、豊明付近にて所謂「グモ」と呼ばれる人身事故が発生、約1時間に亘り列車運転が抑止されたのみならず、信号機不具合なども重なって運行ダイヤの乱れがほぼ終日続く結果となった。グモの原因は自殺とみられ、過日にもCafeの拙日記にても記したが、大勢の方々に大きな時間的損害を及ぼす鉄道自殺は絶対に「考えてはならない事」そして「あってはならない事」であると強く思うがどうだろう。因みに俺も昨日の浜名湖にての東海道新幹線撮影の予定を狂わされた口だ。まあその新幹線に乗り換える事で、何とか間に合いはしたのだが・・・。

それとその少し前、同じ豊明付近にて頻発していた列車妨害の実行犯も検挙された。容疑者は中学生2名の由。「一度列車が非常停止するのを見てみたい」為犯行に及んだ様だが、これ又前者に同じだろう。善悪の判断さえままならない道徳意識、規範意識の低下は昨夏生じた名古屋市内にての闇サイトによる女性会社員惨殺事件とも通底する何かを感じるが、やはり戦後教育の不良が招いた「大いなる不幸」であろう。

さてこの列車妨害が頻発した時期は、丁度名古屋鉄道の名物車「パノラマカー」の多くが引退廃車の道を辿った時期でもある。一時俺は、妨害の背景にはパノラマカーの引退阻止か、或いは引退時期を遅らせようとする者の仕業ではないかと詮索した事もある。結果は違ったのだが・・・。

今年9月にてパノラマカー本来の編成である6両組成、所謂P6が全て舞台を去った。今年初めには7隊42車が現役で、もう暫く安泰の様に思われたがこの3月、同車では最後の新車となる第23編成、先頭車7045F(1974=昭和49年落成)の降板をきっかけに事態は動き始めた。この後ほぼ1か月に1隊の割合で引退廃車が進み、6月末の最近の時刻改正では事実上総崩れの様相となる。最後に残った第4編成、先頭車7007Fはその後も夏場まで不定期運用などで頑張ってくれたがこれも9月中旬にて運用停止、今月初めには用途廃止にて現場を去っている。

大型掲示板「2ch」での説明によると、使命を終えたパノラマカーの廃車処理は大体以下の通りである。

①廃車候補車両は、まず岡崎市内の舞木工場に入って廃車準備を行う。これに要する期間は続く②の作業スペースが空くのを待つ分をも含め、約2~3週間と言う所。

②その廃車処理作業場だが、意外にも拙居所よりそう遠くない所在である事が分かった。名古屋市内南区と港区のほぼ境界近く、大江町と言う所で最寄駅は名古屋鉄道東名古屋港駅。ここに隣接して処理スペースが開ける。廃車候補車両は舞木工場より東名古屋港駅まで自力走行の後、同駅にて岐阜方2車と豊橋方4車に分割の上、線路と道路の両方を走れる2モード保線作業車(Mベンツの特殊四駆車、ウニモグの同僚)の先導により2回に分けて電化できない引き込み線へと入る。作業スペースには自走ラフター式大型クレーン2機が早朝より待機、廃車候補到着と同時に車体と下半身の走行系の分離に入る。この作業は早ければ初日、遅くとも翌日には終了し、その後ほぼ1週間で車内の座席や照明、乗降ドアなどの内装全てを撤去する。

③パノラマカーの断熱材には、健康被害が懸念される石綿=アスベスト使用の可能性があると言われる。処理2週目よりはその撤去が中心となる。専門業者によりほぼ数日がかりで行われ、その完了を待って廃車体を処理工場搬入に備えて現場で1/2に切断し、陸送を容易にする。空調装置の旧フロン式冷媒と、床下機器に使用されていると言われるPCB=ポリ塩化ビフェニールは外部放出が許されない為、工場搬入後に処理される由。全体の作業日数は、約半月と言う所か。名残惜しくはあるが、経年と言う避けられない理由からであり、この結末もやむなしと今は理解する次第。

おまけ画像は、今月初めに廃車回送された最後のP6=6両編成の模様。廃車前日、大体日曜夜に舞木工場を発ち大江駅にて一泊後、翌月曜午前、東名古屋港の廃車処理作業場に入るパターンの様であります。6両組への労いと共に、残された4両組の来年途中と言われる最期までのつつがなきを、今は祈りたい所です。

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