本日の当地名古屋は、丁度一年前、東日本のあの忌まわしい災禍が信じられない、穏やかな晴天に恵まれた。震災にての犠牲各位を悼む意味もあってか、今日は全国の主要都市にてマラソンの試合が行われている様だ。当地にても、現在「名古屋国際ウィミンズ・マラソン」の決勝中で、市中心部にては大幅な交通規制が実施され、放送局のヘリコプターも上空を旋回して取材を続けている模様。マラソンの展開や結果はさておくとして、今回は、先の震災一周忌に関連しての記事と、この災禍を更に深刻なものにした、福島県下の原子力発電所事故についての続き記事を綴るつもり。一部は今夜以降の掲載となるが、ご一読を下されば幸いであります。
本日付の拙地元紙 C新聞の冒頭に、ご自身も宮城県下にて被災された作家 伊集院 静さんのコメントが表されたので、以下にご紹介して、この問題を考える事にしたく思います。
『わかって欲しい』
「東北の町の、村の、里のどこかで、
昨日、ようやく帰って来た人の通夜があり、
今日はその人の葬儀に並ぶ人がある。
明日も誰かの月命日がある。
そう、北の地では毎朝、毎夕、どこかで祈りを捧げている人がいる。
そうして三千余人のまだ帰らぬ人たちを待つ人が、同じように祈っている。
その上、町を去らねばならぬ人がいて、見送る人がいる。
どちらも泣きながら互いのしあわせを祈っている。
復興だ。一年が経つと、テレビ、新聞、雑誌は言うけれど、この祈り続けている人たちのことをもう少しわかって欲しい。同情が欲しいんでは決してない。この震災がまだ続いていることをあなたたちにもわかっておいて欲しいのだ。
作家の私が、この人たちに言えることは、悲しみはいつかは終る時が来る。そうして笑える日が必ず来る。という言葉だけだ。
どうか、わかって欲しい。」
伊集院さん、我々がどの様に今日と向き合うべきかをお示し下さり、有難うございます。
本当に、先の震災はまだ終わっていない。福島県下の原発事故にしても然り。民主党政府は、野田内閣総理大臣をして「原発事故は一応の終息」などと、ぬけぬけと屁の様な発表をしたのはご存知だろうが、地元住民各位を初めとする被害状況を拝見すると、虚偽ではないかと思わせるものがあるのは事実。本当に、首都と現地の認識の落差を想わずにはいられないものがある。しかし、憤ってばかりもいられないのも又事実である。
実は、当地名古屋も、原発立地とは縁浅からぬものがある。申すまでもなく、福井県若狭湾沿岸に大規模に立地する原発群の事である。
ここには、敦賀市周辺をメインに、大小14基もの原発がひしめいている。もし、東海、あるいは東南海にての巨大地震が現実のものとなれば、福島の災禍は、確実に当地にての現実と化するであろう。そうした可能性と対峙する為にも、我々は、改めて先の震災、そして原発事故より多くを学び、多くの可能性、危険性を顧慮しながらこれからを生きる必要がある、と強く思うのであります。
まずは一周忌。震災の犠牲各位への改めての弔意と、被災各位への改めてのお見舞いを申したく思います。添付画像は、昨春当地よりも盛んに行われた、被災地へ向けての支援燃料輸送の一コマであります。