各位お早うございます。一時、大型台風による荒天に見舞われた先週とは一転、今週末は、概ね穏やかな晴天に恵まれる予報の当地東海であります。折しも、隣の三重・鈴鹿の我国モータ・スポーツの聖地、鈴鹿サーキットは開設50周年。毎秋最大の勝負、F-1世界選手権日本GPも、今回は特別な意味を持つ事であろう。折しも、我国は離島領有を巡って、近隣諸国との軋轢を抱え、国際関係も大変難しい所なのだが、その国際交流を少しでも進める一助とする為にも、今回のレースも、つつがない成功を祈りたい所である。今朝も、知友の方より、今日より鈴鹿へお越しとの報を受けた所。大いに楽しめると良いでしょう。
ここからは少しく回想になるが、三重・鈴鹿にてのF-1レース開催は、鈴鹿サーキット開設より25周年の1987=昭和62年だったと心得る。それ以前にも、同レースは静岡・富士スピード・ウェイにて1976&77=昭和51&52の両年に行われた実績があるのだが、遺憾にも2年目の決勝中に、接触事故に関わりコースを外した1レース・カーが、立入禁止区域にて観戦中の、複数の観衆をヒット。拙記憶が正しければ、犠牲複数を生じた事がきっかけで、ほぼ10年間、開催が見合わせられていた経緯があるのだ。
きっかけは、再開年当時 国際自動車連盟FIA会長だった、J・Mバレストルさん(故人)の強い指導的働きかけによる所大と言われる。「世界で1、2を争う自動車王国の日本で、世界最高のカー・レースたるF-1GPを行えないとはどう言う事か?」との強い問題提起が、我国の代表的各方面、大手自動車業界や、当時の運輸省、警察庁などの行政、それに自動車ユーザー組織 日本自動車連盟JAFなどの動きを促すきっかけとなった様である。
この様な我国の体質は、今も解消した訳ではなく、ずっと以前に制定された古い規制を中々見直したがらない行政と、それに擦り寄る事優先で、国際面では遅れを取り始めていると分っていても、変更や見直しを促せない経済界(それでいて、社会的弱者の負担が大きい消費増税や、危険度大の原子力技術の温存には妙に前向きである)、そして、諦めの余り、そうした動きに無関心過ぎる我々国民市民の姿勢による所も大きく、これから我国が進む上での、大きな課題ともなる事だろう。
今世紀に入ってからは、すっかりご無沙汰の鈴鹿サーキットだが、その鈴鹿最大のレース、F-1日本GPは、そうした我国の、国際社会における問題も垣間見せてくれるのも事実。決まっている開催は、ひとまず来年までの様だが、一区切りになるにせよ、更新され末永く開かれるにせよ、各方面にとり、有意義な闘いとなる事を望みたい所。今季は苦労多い小林可夢偉選手、今季で本当に引退する功労者 M・シューマッハー選手の健闘も、併せて祈りたい所である。 P.S 今夜より、10/8(月・祝)まで外出予定です。