Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

依存症を考える+α

2015-05-17 13:08:09 | 社会・経済

晴天の日曜日となった今日だが、当地都心の栄地区では、歩行者天国が実施されているとか。当然、JR名駅辺りなどの中心街は、どこも半端ではない人出だろう。こんな日はむしろ、居所の雑事などをこなして過ごす方が賢明かも知れない。勿論読書も有意義だ。

昨日まで、櫻井よしこさんと花田紀凱(かずよし)さんの共著「正義の嘘」を拝読していた。昭和末期の1980年代以来、決して適切な報道をされて来たとは言えない、戦中の所謂慰安婦問題につき、その不適切の元凶とされた朝日新聞の不健全な報道のあり様につき、社会学者 西尾幹二さんや歴史家 西岡 力さんらのご支援をも仰ぎながら、そうした所を信念を持って抉り出そうとしたご努力には好感できた次第。朝日は、先日閣議決定を見た総合安保法案に対しても、その成立を妨害せんと、例の偏向した報道を繰り返している様だが、我々はこうした所も注意して見て参る必要があるのだろう。「正義の嘘」の感想や、総合安保法案の事なども触れたいが、それは又近日に譲ろうと思います。

さて話は変わる。今、俺の眼前には何本かの酒瓶がある。和洋取り混ぜ、勿論それぞれに幾ばくかの酒気が入っている。この春先まで住んだ以前の居所では、今だから話すが土・休日は(毎週ではないが)昼から缶ビールの標準1本位はあおっていた。鉄道やバスなどで遠出した場合も又同じ。人によっては、休日は3食共酒気を伴う方もいらすやに聞くので、まあ良いかとの想いも一方にはあったのだが、両親の生活支援の為もあって現居所に移った最近は、それもやめている。これも聞いた所だが「昼間も酒気が恋しくなると、依存症の入り口だ」との指摘もあるらしいからだ。

あるネットの知友もこれを患った向きがあるのだが、その人物から聞いた所では、日割りにしてビールの大瓶1本、630ml位がやめられなくなると、依存症への危険領域らしい。薬を使わないと不安になる「薬物」、賭け事のやめられない「ギャンブル」、物を買う事に際限がなくなる「買い物」の各依存症もそうだが、自身は気にかけない内に、症状が進んで深刻化する所が、確かに怖いと言えるだろう。又、その症状が進んでも自覚し難く、周囲からの指摘で初めてそれと分るのも困った所だろう。

どんな依存症もそれぞれに難があるのは事実だが、特に「アルコール」と「薬物」は直に健康を左右する事と、中毒症状に陥ると、周囲を危険に晒しかねない懸念があるのも遺憾な所だろう。現に、これらが原因の殺傷事件や深刻な交通事故なども生じているのだ。こうした患者による事件事故から、どう被害者を守るかの法制の立ち遅れもさる事ながら、依存症の予防策もまだ十分とは言えない印象だ。

本筋からはそれるかもだが、その酒類の廉価販売を規制しようとする動きが、与党内にある様だ。表向きは、在来の小規模酒店を、大店舗の攻勢から守る為と言うのが名目の様だが、背後には、酒税収入の安定化を図る財務省の圧力があるのではとの指摘もある。又、規制法案提出を目指す与党側にも、来年以降の国政を初めとする選挙に備えての動きらしいとの話も聞いた。原価を割る様な不当な廉売は、確かに不健全であるのは事実なるも、行政権力による規制ばかりに寄りかかるのも又不健全な話だ。表題の依存症に陥らぬ為にも、進んで飲酒を煽ったりするつもりは勿論ないが、価格に関しては企業努力に基づく自由な競争を原則とし、不適当な動きには、公正取引委員会を間に入れての審査を厳正に行うなどの方法もあろう。安易に法規制に頼るのは、(全部が好ましいとは申さないが)最近の規制緩和の流れにも逆行するものではないか。

話が脱線してしまった。謝 しかしながら、結局の所「自らは、自らで守る」しかないのだと言う事だろう。まだ心身が安定しない未成年を、酒気や薬物に近づけない努力が求められるのは勿論だが、成人してからも、依存症への誘惑は尽きない。酒気などは普通に家庭内にもあるのだから、それは気をつけないと「気がついたら深みに嵌っていた」などと言う事態も考えられよう。そうした事態を招かない為にも、普段から自制できる事が大事だし、又家族を初め身近な人々に気付いて頂き易い環境を作っておく事も必要、と言う事を、明るい内から酒瓶を眺めつつ、ふと思った次第であります。

 

コメント (6)
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