Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

終戦の日の 拙向き合いは・・

2019-08-15 21:04:35 | 国際・政治

今日 8/15は、74回目の「終戦の日」。戦災など関連を含めれば 300万超の戦没並びに戦災犠牲被害の各位に、改めての深い弔意を表すものである。拙者も 現代の我国の繁栄は、あの頃の余りにも多かった犠牲被害の上に成り立つものである事実には異論がない。既に毎夏の事ではあるが、鎮魂と感謝の意を新たにする次第であります。

「二度と戦争を繰り返すなかれ」とはよく耳にする言葉だ。保守側も左派容共側も余り抵抗なく用いており、特に後者のそれは余りに反復が酷い故 重大重要と分かっていても つい言い返したくなってしまう気分にさせられるものだ。勿論拙者は「思っていても言わない事も大事」の意もそれなりに理解しているつもりだが。

「繰り返してはならない戦争」につき、拙者も決して高レベルとはいえぬ我知性を少しは使って考えてみたのだが(たまには使わないと、自動車のエンジン・オイルに溜まるスラッジと呼ばれる滓とかの様なのが増えてレベルが下がってしまうので。苦笑)、それは泥沼レベルの際限なき大戦争の事で、我国の独立や尊厳を守る為最低限必要な自衛力や警察力の行使とは区別されなければならないという所まで一応の理解をみた所。「後半生にもなって、そんな事も分からないのか?」と揶揄もされそうだが、特定野党や左派容共勢力の多くはそこの所を区別する事なく ただ徒に「戦争反対!」を喚く向きが少なくないのも事実である。

先の大戦、大東亜戦争こと太平洋戦争は 確かに世界史に残るレベルの多大な損害を生じ、残念ながら我国側加害の事共が幾つかあるのも事実である。それは今日行われた東京都内にての戦没者追悼式の席上 天皇陛下も触れられており、拙者もそれ自体を否定するものではない。その一方で 少し前に安倍総理大臣も触れられた様に、加害の所を含めた先の大戦の事共を未来へ向け、子孫達に過分に引きずらせるべきでないのも事実である。歴史の事実を踏まえた上で、独立国として必要な手立てを打ち 前進すべきは当然の事だろう。

泥沼レベルだった先の大戦への「必要な反省」を強く踏まえた上で、これからの平和維持にはやはり現実の視点も必要だろう。特定野党や左派容共勢力が事ある毎に振りかざす日本国憲法第 9条にしても、日米安保条約を初めとする日米同盟なる現実の政策とは 云わば一枚のカードの表と裏であり、不可分の事共だ。その現実面を正しく理解しなければ、我国の平和を長く保つ事は不可能だろう。憲法による我国是にしても、平和の要諦たる外交にしても、いずれも必要とあらば自衛や警察の術策を行使できる抑止力を伴う事が肝要なのである。それができない「武力によらない平和」など実現不可能。戦後の昭和期には それに頼り過ぎた事が一因で、北鮮による我国の独立と尊厳を著しく損なう日本国民拉致事件を許したのではなかったか。

先の大戦の事共から、正しく教訓を学ぶ姿勢も大事だろう。今 旧作を拝読中の作家・曽野綾子さんは以前、先の大戦につき「確かに凄惨な事象ではあったが、一方で私は学んだ事も多くあった。ある事象から何も学べない人は、残念だが進歩は望めないのではないか」との見解を表された。確かに「あの戦争」の凄惨さから目をそらすだけでは、それは正しい学びを得る事は叶わないだろう。あの戦争で、我国は対外加害もそれは少なくなかったが、他方で一定貢献をした史実も忘れるべきではないのではないか。亡き音楽家・黛 敏郎さんもその事を嘆かれていたのを覚えている。

もう一つ、これも故人の作家・田中澄江さんも以前 終戦の日に際し、平和や反戦の動きが政治利用されている可能性に言及され「反省にせよ 誓いにせよ、もっと心静かな祈りと想いの日とすべきでは?」と疑問を呈されていたのを思い出す。そう、終戦の日は 反米とか反権力を表にする事なく、静かな祈りと誓いの日として向き合うべきと 拙者も心得るものだ。それを踏まえた上で、戦後の我国の方向を誤らせる事ともなった進駐軍GHQの占領政策の不良など、糾すべき所を主張すべきだと拙者などは思うのだが。今回画像は、昨秋久しぶりの参拝を果たした靖国神社の博物館ともいえる「遊就館」正面を。残念ながらこの時は、拝観の時間が確保できませんでした。又次回ですね。

コメント (4)
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