Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

模様~酔いどれ電停

2006-08-08 23:10:00 | インポート
猫さん今晩は。今春以来、ご両親のお具合が優れず大変な様ですね。
今は少し落ち着いたご様子ですが、姉上と交代での介護は想像を絶するご苦労があったのではないでしょうか。
我が両親も既に高齢。何時私が貴女の立場になるか解りません。
介護保険制度は今春も見直され、結局は弱者に厳しい方向ではないかとの批判も多い様ですが、要は極力利用しないで済めば、それに越した事はないと言う事でしょう。
どうかご無理なく。大過なきをお祈り致します。
昨夜ですが、ある知友のサイトにて「抱きしめると言う会話」について触れていらっしゃいましたので、ここで少しご紹介しておきますね。
記事は「子供の頃に抱きしめられた記憶は幾つになってもその方の心の大切な部分に強く残り、優しさや配慮、して良い事といけない事の分別。そして又、生死を分ける程の苦悩に陥った時の心の支えになる」とのAC=公共広告機構のメッセージを引用し「しかしながらそれは、大人とて同じではないのか?」とのご指摘でありました。
私はこれを読んで、ちと考え込んでしまいました。
大人と言えばまず思い浮かぶのは「自己責任」。つまり「自らの事は自らの責任にて行動する」ですね。これは確かに一方の真理でありましょう。
しかしながら他方、人の心はそうそう強いものではないのも事実です。「人は弱いものよ」との歌詞もある様に、やはり誰かのお世話にならねば、誰かと支えあわずにはいられない面も厳然と存在するのですね。「俺は独立独歩」とは言ってもやはり限界があり、それは認めよと言う事でしょう。
今、私が当事者となっているのは両親であり、親族であり、又交流の長い悪友達もある程度はそうでしょう。
既に高齢の両親も、心の中では未だに、子供の我々に「頼られる部分があって欲しい」との願望があるのを感じます。これはどなたも似た状況なのでしょうか。
人の親でもなければ夫でもない私です。余り大きな事は申せませんが、やむを得ない場合は、子供の様に頼っても良い場合すがあるのだと思うと、少し気が楽になった様な気がします。勿論みだりに行なうべきではありませんが、「困った時はお互い様」の諺をも思い出し、少しホッとしている所です。
あっ・・・貴女も似た事を過日日記に記していらっしゃった様な記憶がありますね。
・・・て事は、改めて詳しく申すまでもなかったか・・・失礼。
所で国道1号に合流した豊橋市内線の電車は再び東に進路を取り、約1km先の東八町までほぼ直線コースを辿ります。
中間には豊橋公園があり、電停も設置されています。
この6月には、ここの名物、夏の夜店並びが開かれ見物に参ったのですが、混雑が激しく、心ならずも写真撮りは諦めました。ただここにも、そして混み合う電車内にも又、多くの人間模様がありました。
これからは花火の季節。同じサークルのえいさんも励まして下さいましたが、今年こそは何とかお目にかけられる絵をものにしたく思います。
ご多忙の折、当記事はあくまでお時間のある折にご一読下さる様・・・。*(三日月)*
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