Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

命運~酔いどれ電停

2006-08-12 16:11:00 | インポート
すうじさん今日は。先程本日の貴日記を拝見し、今まだ衝撃の中にいます。
今日はそう、今を去る21年前、1985=昭和60年に発生した日本航空大阪行第123便、B747型旅客飛行機が関東北部に墜落、我国航空事故史上最悪の520名もの犠牲者を生じたのでありましたね。
先の大戦終結の月と同じとあって、どうしても陰になりがちな出来事ですが、こちらもやはり、決して風化させてはならない史実でありましょう。
この事に際し、貴方は本当に凄い体験をなさっていたのですね。これは初めて知り得た事実でした。
ご搭乗予定日の直前に決まった会議の為に、日時をご変更になった事が、結局は貴方の1つしかない命を救う結果となったのですね。しかしながらこの事を素直に喜んで良いのか、我が心は今も揺れているのが正直な所です。
他にも搭乗便変更により事故機に乗らず、難を逃れた方がある様ですが、その代わりに乗った方が尊い犠牲となった面がないとは言えないからでしょう。
当時私は、以前の勤務先の都合により関西は神戸に赴任しており、盆休みにて帰省していた当市中村区の実家にて、事故の第一報に接しました。
「レーダーより機影が消えた」との速報に初めは「何をバカな・・・国内線じゃないか!?」との想いが強く、俄かにはこの事態を受け入れる事ができませんでした。
「空飛ぶ不沈艦」にも例えられたB747型機の高いと言われた安全性の面からも、すぐには合点が行きませんでした。
「願わくば不時着」の望みも空しく、翌日同機の墜落、そしてその余りにも大きな悲劇が確認されました。貴日記を読んだ直後には、本当に言葉を失った程でした。
昨日、TVにて事故の特集記事が行なわれているのを拝見しました。
事故直前、極限の事態に追い込まれ、最期を悟った乗客各位の家族や知己に宛てた最後の想いが綴られたメモを拝見した時は、さすがに涙を禁じ得ませんでした。
私は幼少期の1966=昭和41年秋に、叔父を大きな交通事故にて失いましたが、この時感じたのはその時の想いと同じものでした。
家族親族、あるいは知人友人などの人と人との繋がりは、一朝事あればかくも簡単に断ち切られ、引き裂かれてしまうものかと一時は絶望の淵に立たされた思いがしたものでした。
叔父の死からも、この不幸からも学び得た事ですが、「安全に、絶対はない」と言う事ですね。
「絶対に落ちない」と言われた大型旅客機の墜落からも、残された我々はその事を強く肝に銘じ、日々を、そして貴方を初め色んな方々との交流を大切に生きなければと今は強く思います。特に叔父の死は、当時まだ装着義務のなかった拘束装置=シートペルトがあれば防げた事であり、自家用車にも乗る私にとり、必須の重い教訓となっています。
こうした心がけが、心ならずもお亡くなりになった犠牲各位への最大の弔意になるのではと思っております。
命運と言えば、豊橋市内線の路面電車も日々多くの方々と、それぞけの命運を乗せて走り続けています。
1日の乗車人員は数千人以上と言われ、今日もきっと色んな人生模様が往来し続けている事でしょう。*(コメント)*

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