Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

鉄道記念日に寄せて

2004-10-14 22:45:00 | インポート
コナサン ミンバンワ!

今日は鉄道記念日。乗り物愛好者を自認する私の趣味の中心、鉄道の事に少し触れて参りたく思います。
鉄道・・・多くは砕石(岩石を砕いた角張った砂利)の道床の上に敷かれた枕木と2条のレール・・・これを見ているだけで何となく心躍るものがありますね。この線路はどこまで延びているのだろう。この線路の上を、一体どんな列車がやって来るのだろう、と言った風にですね。
皆様もご存知の様に、日本の鉄道は1872=明治5年の今日、東京新橋と横浜の間で初開通しています。仮運転は既に同年夏頃から行われていたと言う話も聞きましたが、本日が正式な開業日の由です。
1889=同22年には東京と大阪神戸を結ぶ大動脈、東海道本線が全通、日本の鉄道は陸上輸送の雄として飛躍して行く事となります。
これについて、ちょっと面白い経緯がありますのでご紹介しておきましょう。
我々の地元、愛知県に初めて鉄道が姿を現したのは、国内初開通より遅れる事14年、1886=明治19年の事です。
当時東京から関西へ鉄道を延伸するに当たり、関係者達はかなり悩んだ様です。
つまり今程平和な時代ではなかったせいか、海に近い所では万一の戦争の時、敵の艦船の攻撃を受け易い、そこで初めは山間、つまり現在の中央線のルートが考えられていました。愛知初の鉄道は名古屋より、当時重要な港だった知多半島の武豊までが初開通しました。が、しかし、3年後に開通した東海道本線は、東の箱根近辺と西の岐阜、滋賀の辺りを除き、多くは海の近くを通る事となります。愛知初めての鉄道は、先に開通した名古屋と途中の大府の間を東海道本線に召し上げられ、残った大府と武豊の間が支線として今日まで走り続けます。これが現在のJR武豊線なのであります(以下次回。当HP「トイレの雑記帳」にも関連記事を載せました)。*(新幹線)*
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興奮~F-1日本GP

2004-10-11 22:20:00 | インポート
2004=平成16年度のF-1日本GPが昨日、大過なく終了しました。
1950=昭和25年に英国で始まって以来、初めてと言われる予選、そして決勝の同日開催。選手、技術陣、運営陣、そして観客各位もこれまでとは異なる難しい対応を迫られた事でしょう。台風による、とんだ水入りとなりましたが終わってみれば日本の秋に相応しい、まずは清清しい幕切れだったと私は思います。
優勝は、既に総合勝者となったFerrariの
Schumacher兄。Williamsに乗る弟を従えての完勝でした。頂点に立って尚、勝ち数を少しでも伸ばそうと努力を惜しまない同選手の真摯な姿勢は一言、敬愛されるべきでしょう。注目の佐藤は予選、決勝共当地最高の4位。まずは賞賛したいものです。ピットでの停止回数など、レース全体の戦略が噛み合えば表彰台も狙えましたが、今回は僚友Buttonに先行を許す結果となりました。
後で解った事ですが、佐藤選手は右肩に不調を抱え、更に決勝中の水分補給が叶わなかった様で、後少しで脱水症状も懸念される状態だった様です。この事は今後に課題を残したと言えるでしょう。
相撲やプロ野球など、他のプロ・スポーツ種目にも言える事ですが、身体の不調は早く治し、回復してもらいたいもの。こちらの取り組みが不十分であれば遠からず「プロ失格」の謗りを被ることになりかねません。又、レース用飲料が摂れなかった事はチーム側にも問題の一端があるのかも。
F-1世界選手権は年内に後1戦、ブラジルGPを残しています。今回のこうした課題を踏まえ、次戦、そして来年は悔いのない闘いを展開して欲しい所です。
(次回より少し、鉄道記念日の雑感を記して参る予定です)。*(車)*


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戦士~F-1日本GP

2004-10-09 22:03:00 | インポート
台風第22号が本土に上陸しました。予想より東寄り、静岡伊豆でした。
東京とその周辺の被害が大きい様です。
名古屋地区は、日中雨が強かったですが、風は強くなく、今は峠を越えています。
この影響で、三重鈴鹿のF-1世界選手権も今日の予定は取りやめの上明日に延期。
F-1GP半世紀余の歴史上初めて、予選と決勝が同日に行われる事態となりました。走る方も観る方も、明日1日は大童でしょう。
本年度チャンピオン・タイトルの行方がほぼ決まった今、最大の見物はF-1唯一の日本人にしてアジア勢、佐藤琢磨選手の活躍でしょう。
歴代のF-1レーサー中、私の好感度No.1は英国の誇りだったN・マンセル選手です。
不遇な修行時代、F-1に上がった後も事故による深手など苦難続き、そうした中で次第に運をたぐり寄せ、1992=平成4年度には見事念願の総合チャンピオンに輝きます。
他を寄せ付けない健全な攻撃精神、それに後年身に付けた聡明さ、1995=同7年途中の引退まで、私を魅了し続けてくれました。
強すぎる自己主張などの難点もあるものの、人間的魅力もある方でした。
佐藤選手は、こうした英雄を目指して頂きたい、とは私の独断と偏見でしょうか・・・?*(車)*
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追想~F-1日本GP

2004-10-08 23:43:00 | インポート
昨夜お知らせの通り、今夜からしばらくは今週末三重県の鈴鹿サーキットにて行われるF-1世界選手権、日本GPの事に少し触れて参りたいと思います。
世界最高のカーレース、F-1世界選手権と私の最初の出会いは、1987=昭和62年の初夏だったと思います。日本人として初めてレギュラー参戦を果たした中嶋 悟さんがデビューを飾ったこの年、日本でもTVの定期放映が始まりました。
初めてF-1の映像を目の当たりにしたのがモナコGP。専用コースではない市街地での、公道を利用しての特設コースでの走行は正に衝撃もの、そしてカルチャー・ショックだったのは事実ですね。中嶋さん、初年度から実に良くやってくれました。
当時のヒーローは、Williamsに乗るN・マンセルとN・ピケの両選手。世界王者のタイトルもこの両者で争われました。後はその前年の総合勝者MclarenのA・プロスト選手と当時伸び盛り、LotusのA・セナ選手、鈴鹿戦初の勝者となるFerrariのG・ベルガー選手も大いに注目を集めました。
あの頃のエンジンは加給式、排気量1.5Lで1000psに達する怪力なるも扱い難い代物だった様です。高い加給圧に耐えられず、エンジンが損壊するブローと呼ばれる現象も度々発生した様でした。技術規定の改定により、今は自然吸気エンジン限定となり、又車体の造作に対する規制も主に安全面の見地から強化されつつある様です。
話すと長くなりますね。この続きは又明日にでも・・・。(10/7記)*(車)*
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異変~F-1日本GP

2004-10-08 23:42:00 | インポート
今年は台風の当たり年、と言うより気候そのものが変わってしまった様に思われます。今年の上陸台風として9件目に当る第22号が日本本土に接近中。明日日中には関東~東海にかけて上陸の可能性大。当地も相当な荒天が予想されます。速報によると、今年のF-1日本GPも明日の予選が取りやめ、翌日曜日の午前に延期された由。18回の歴史中初めての事態です。10/10(日)は午前予選、午後決勝と大いに忙しくなりそう。
チーム各位も一段と緊張する事でしょう。
いずれにしても、早い天候回復を祈りたいものです。
思えば雨の日本GPは今から10年前、1994=平成6年シーズンでした。
皆様もうご存知、この年5月にサンマリノGPにてA・セナ、R・ラッツェンベルガーの両選手が不慮の事態の為落命、鈴鹿でも追悼行事が行われ、この年友人と共に観戦した私もこの行事の輪に加わっていました。
鈴鹿で大切に保存されるセナ選手愛用のレースカーが姿を見せ、降りしきる雨の中、亡き両選手に黙祷を捧げたものでした。当時は土、日の両日共雨天で、レースには厳しい気象状況でしたが、雨を味方にできるセナ選手の追悼には、却って相応しい情景であったのかも知れません。*(車)*
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