Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

新線です!よろしく

2004-10-06 23:18:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

今日は久し振りに朗報に接しました。
名古屋市内に、2つの鉄道新線が開通です。
①「名古屋臨海高速鉄道あおなみ線」
JR名古屋駅と、市内南方港区の金城埠頭の間約、15kmを結ぶ新線。実は線路自体は貨物線として以前より存在したのですが、沿線各位より長年要望の多かった旅客線転換がようやく実現したもの。愛知県下で2つ目の第三セクター鉄道でもあります。
金城埠頭は、大きな催事の多く行われる国際展示場の最寄り駅。この路線の開業前の交通手段は道路のみ。交通混雑には私も度々苦労したものです。これで混雑のストレスもかなり解消されそうで、期待しています。尚、終点では中部新空港へ向かう高速艇とも接続する計画の様です。
②「名古屋市交通局、地下鉄名城線」
こちらも以前より存在した地下鉄線ですが、最後まで未開通だった名古屋市東部の名古屋大学と新瑞橋の間が今日付で開通、これで日本の地下鉄で初めての環状化を果たしました。これまで環状鉄道のなかった名古屋。都心の交通混雑緩和への貢献が望まれる所です。
(P.S これら新線の写真を近日中にお目にかけたく思います。開催間近のF-1世界選手権、日本GPについてのコメントは明日以降記させて頂きます)。*(新幹線)*

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あるエンジンの記憶

2004-10-03 22:38:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

今月は一応、乗り物に関する特集日記なる体裁にて進めようと思います。
2回目の今夜は自動車、でなくてそのエンジンの思い出話をひとくされしてみようと思います。良ければお付き合いを・・・。
エンジンこと内燃機関・・・19世紀末に初めて開発されて以来ほぼ1世紀余、改良に改良を重ねて今日に至っているのはご存知の通り。昨今はこれまでの出力重視よりも排気の有害物質の低減と、地球温暖化の原因と言われる二酸化炭素発生の抑制と言った、環境適合への動きが目立って来ています。
このエンジンについて、忘れ難い思い出が1つあります。
日産自動車が、確か昨年まで生産していた直列6気筒のガソリンエンジンRB20型。私がまだ幼少の1960代末=昭和40年代の初期に開発され、当時プリンス自動車合併直後に日産車となったスカイライン、高級車のセドリック、そしてデビューしたての初代フェアレディZが採用していた様に記憶しています。
随分後まで自家用車を持つ機会に恵まれなかった私は、実家に住んでいた頃は、実家近くの日産系レンタカーの営業所にて日産車を良く借りていましたが、当時のスカイラインやローレルと言った車種は悉くこのエンジンを採用。決して強力ではないけれど、そのスムーズな回転感と心地よい高めの排気音にはいつも魅了されたものでした。燃料系は当初気化器仕様、後に電子制御化され1990年代に入り、排気量を2.5Lに拡大したRB25系も加わります。又同じ直6の2.6L加給式RB26DETTが、不朽の名車と言われたスカイラインGT-Rの動力に採用されたのは有名な話でしょう。
あるいは現在も一部車種で細々と生産が続いているのかも知れませんが、いずれ打ち切られるのも時間の問題でしょう。いつまでも耳に残る快音・・・さよなら、そして有難う。日産RB20・・・。*(車)*



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新幹線と私

2004-10-01 23:23:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!10月も宜しくお願いします。
今日10/1は日本の大動脈、東海道新幹線の開通40周年記念日。1964=昭和39年のこの日、まだ幼児だった私は登場間もない親元のTVでこの歴史的瞬間を目撃する事に・・・。勿論良き衝撃映像でした。
当時画期的な200km/hの超高速、東京~大阪間で4時間と言う劇的な時間短縮、この数字は戦前の最速列車の半分です。1年後には更に50分の時間短縮を果たしました。
1970=昭和45年春からは大阪での日本万国博に備えて現在の16車両の長編成へ成長、2年後、東海道山陽新幹線として初めて岡山へ、その3年後、1975=同50年春には福岡博多へ延伸、現在の路線が完成される事となります。
私と新幹線の初の出会いは、小学生時代の1967=昭和42年春、一家で東京へ出かけた時に乗ったのが最初でした。
それまでの汽車、電車とは比較にならない静粛で快適な内装、余裕の座席、使い易い化粧室など、売り物の超高速と共に、その全てが異次元の乗り物の様に思われた鮮烈な記憶がありますね。
この0番台と呼ばれる初代新幹線の電車は初登場後、約20年に亘って生産が続き、1999=平成11年秋まで東海道新幹線のエースとして君臨していました。今でも山陽線区では元気でいる様です。
東北、上越、長野そして九州と活躍場所を広げ、後輩、そして子孫に当る車種も随分増えた新幹線ですが、もう40年近く前のあの良き出会いの記憶、これからもこれら列車に乗る度に思い出したい大切な1コマです。*(新幹線)*
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