呉竹鮨で持ち帰りの折をたのむと、インスタントではあるが赤だしがもれなく付いてくる。
とりあえず鮨を食べ、ふと気がつくと赤だしのほうをチラッと見る。
チラッと見るだけで、まだ手をつけない。
また鮨を食べ、半分位なくなったあたりでようやく赤だしをズズッと吸う。
とりあえず感想は無い
「まぁこんなもんだろ」、という感想はあるのだが、そういう感想があったことさえ気がつかない。
じゃぁ鮨に赤だしがついてなくてもいいのか、と問われれば、いやそれは困る。
いや困る、というほど困るわけではないが、ないよりあったほうがいい、という程度に困る。
「こんなもんだろう」と思うのだが、別にないならないなりに対処しましょう。
と一口で言うと関係が希薄である。
これがゴハンと豚汁の関係だったらどうなるか。
とたんにその関係は濃密になる。
ゴハンと豚汁の場合は、一口目のゴハンを食べている時でさえ、視線は豚汁のほうに釘付けになっている。
もともと味噌汁と赤だしは、ゴハンの友という意味で義兄弟の関係にある。
ではどっちが兄でどっちが弟か?
ふつうは味噌汁が兄で、赤だしが弟と思うだろうが、赤だしは鮨という最強のパートナーの下で働くようになってからエラくなってしまった。
持ち帰り用の折についてる赤だしはインスタントだからエラくないのだが、ちゃんと手間ひまかけた料亭などの赤だしは先付け、お造り(刺身)、揚げ物などと同等の地位にある。
定食屋の味噌汁よりエラいのだ。